親の言い分 子の言い分

親は自分が育ったように子を育てる
これが家庭内連鎖 家族の輪廻といいます
不全な嗜癖は世代を越えて受け継がれるのです
親は子を育てるのに一生懸命です
「大好きよ」「愛してるよ」などの言葉を子どもに言うこともなく育てます
根底には溢れるほどの愛情があるのに それを言葉にすることもありません
愛=一生懸命 愛=育てるのに大変だった のです
言葉が足りないだけではなく 表情や仕草にも険しいものがあるのでしょう
子どもはそれを逆に受け止めます
一生懸命=大変な思いをさせてごめんね 育てるのに大変だった=生まれて来なけりゃよかったね
「大好きよ」「愛してるよ」の言葉ををもらえていれば 幸せに育ったでしょう
愛されていない実感は とても些細な行き違いかもしれません
「愛してる」って言わなかったから
子どもは愛されなかった不満を 成長してからも持ち続けます
親の悪口 さまざまな反抗や ひどい場合は暴力
親は思うのです こんな子に育てたはずじゃなかった
幼児期に親からたくさんの言葉かけをもらった子は ほとんど間違いなく健全に育ちます
愛されている安心感が根底にあるので 表現も豊かです
他者にも愛を伝えることができます
親子であっても他者どうし
言葉の大切さは他人に向かう時と同様です

時代のせい 社会のせい?

AC共依存の人が増えている気がします
これを時代のせい 社会のせいにしてしまう論調があります
AC共依存とは家族の関係 コミュニケーションの不全
本来はその家族内の問題ですが
時代の変化 社会の変化と無関係ではないだろうと思います
昔は といっても戦後
確かに貧しかったのですが 時間には余裕があったように思います
みんなが貧しくても それでも日々の暮らしや食べるものにはそれほど不自しなかった
経済成長はこれからだと 希望もありました
現在は 特にバブルが弾けて以来 またリーマンショック以後は経済は下降気味
暮らしに余裕がなくなり 気持ちにも余裕がなくなる
経済的に逼迫すると 笑顔もなくなります 家族関係も険悪になります
経済的な話だけではありません
親子の関わり 夫婦の関わり 家族の関係にしても
昔は今ほどコミュニケーションが取れないことはなかったように思います
現代の「競争化」「利己主義化」などが 他者とのコミュニケーションを遠くしていないでしょうか
幸せ感が希薄になったこともあるでしょう
経済的な豊かさでしか「幸せ」を計れなくなったのではないでしょうか
そんな時代の流れに 社会の変化に巻き込まれ 
不全感は募ります
一つ見落としていることがあります
時代も社会も それを構成しているのは 大人
時代のせい 社会のせいと言い換えはできません

LGBTに潜む不全感

LGBT (レズビアン ゲイ バイセクシュアル トランスジェンダー) などの性的少数者(マイノリティ)
自分の性的指向 嗜好が 周りの人と違うことに悩み
ジェンダー(心の性)とセクシャリティー(身体の性)の違和感に悩んでいます
例えばこの人たちの悩みの奥深くに
AC共依存の嗜癖がないでしょうか
幼児期の禁止令が 自分のセクシャリティーとジェンダーに影響を与えているとしたら
この不全感を先に解消することが望ましいでしょう
ACが幼児期に自分に向けて発する禁止令に
男になってはいけない 女になってはいけない
自分と同じ性になってはいけない というのがあります
父親のDVやアルコール依存症などを目の当たりにして 男の子が自分に発するのが
母親を守りたくても小さいためにそれができない その代償としての
男になってはいけない であり
母親のネグレクトなどを見て 女の子が自分に発する禁止令が
女になってはいけない なのだと ワタシは捉えています
そしてこの禁止令が LGBTの不全感の根っこにあるのではないかと思っています
LGBTの人たちの悩みは 自分の今の悩み 性的指向に向きがちです
自分は男なのに男性が好き 女なのに女性が好き
男の身体の自分を嫌悪する 女の自分の身体を嫌悪する
このことでの自死率はかなり高いと聞きます
本当はどっちでもOK 何でもいいのだと ワタシは言いたいと思います
男でも女でも どっちが好きでも どっちになりたいでもいいのです
なりたい自分になればいい それは誰でも自由なのです
幼児期に受けた深い傷を癒すことができれば
今の自分を肯定できるのだと思います

「タフラブという快刀」 信田さよ子

内容紹介には
「…子どもが目の前で転んだときすぐさま駆け寄って起こしてやるのではなく、手を貸す衝動を抑えて自力で起き上がるのを見守る。分かりやすく言えばこれが。尽くす愛、耐える愛、包み込む愛ではなく手放す愛、見守る愛、断念する愛。…」とあります
一読して目から鱗 です
手放す愛 見守る愛 断念する愛
AC家族にはこれらがありませんでした 大発見です

「パーソナリティー障害」 岡田尊司

精神科医・医学博士 「パーソナリティー障害治療の最前線に立つ臨床家の一人」の著者が書いた本
境界性 依存性 演技性…など タイプ別に ・特徴と背景・接し方のコツ・克服のポイント を挙げています
面白いのは「接し方のコツ」です
身の回りに 上司や部下に こんな人いる!という人は多いはず
こんな困ったちゃんや付き合いづらい人には効果的かもしれません
歴史上 各界の有名人を例に出しているのも興味深いものです
生きづらさを抱えながらも 多くの才能を持っていたわけです

「愛情という名の支配」信田さよ子

著者のタイトルには いつもはっとさせられるものがあります
愛情という言葉には それ以外の意味はないはずだと思い込んで ACは生きて来ました
ところが機能不全家族の「愛情」は 「支配」だったのです
「あなたのためを思って」は相手を支配する言葉として使われます
そして相手は「私がいなくては」とその支配下に入り 相手を助長する・・・
今から15年前の初版ですが 今読み返しても生々しく迫ってきます
こちらが新装版

こちらは初版

「もちきれない荷物をかかえたあなたへ」 クラウディア・ブラック

本の帯には「ACコンセプトの生みの親…クラウディア・ブラックからの提案」と書かれています
著書「私は親のようにならない」は全米ミリオンセラーになったと
世界中にACムーブメントは広がったのでしょう
ACとは 想像を絶する過酷な家族の環境から
文字通りサバイバーとして生き延びてきたのだと 本当に胸を締めつけられます
物語仕立てで話を進めながら 回復への道筋を明快に示します

「依存症」 信田さよ子

アルコールに ギャンブルに 買い物に セックスに…
依存している人は少なからずいるはずです
ワタシにも覚えがあり
買い物 それもオークションに依存する時期があります
依存は誰にでもある 珍しくはない状態ですが
それが依存症と名前を変えるのは どの瞬間なのでしょうか
〜がなくてはいられない 〜せずにはいられない状態
その奥には何があるのでしょうか
共依存が「依存する人」と「それを受け入れ助長する人」の関係性であるのに対して
依存症はその個人特有のもの といえますが
ここにもどうやらその家族のメンバーに関係がありそうです

「人格障害かもしれない〜どうして普通にできないんだろう〜」磯部 潮

精神科医として多くの著作がある著者
人格障害という言葉が 人格に問題があるかのようだと
パーソナリティ障害という呼称に変わりました
これは2003年の発行ですから「人格障害」と書かれています
カウンセラーなどのコ・メディカル分野では AC・共依存などの呼び方をします
これが根っこにあって さまざまな嗜癖となって現れると説明します
これが精神科医の世界ではこのような分類と呼称・診断名になります
症状と特徴で12ほどの分類に分けるとこうなります
 パーソナリティ障害の区分 (DSM/Wikkipediaより)
妄想性パーソナリティ障害 Paranoid personality disorder
スキゾイドパーソナリティ障害 Schizoid personality disorder
統合失調型パーソナリティ障害 Schizotypal personality disorder
反社会性パーソナリティ障害 Antisocial personality disorder
境界性パーソナリティ障害 Borderline personality disorder
演技性パーソナリティ障害 Histrionic personality disorder
自己愛性パーソナリティ障害 Narcissistic personality disorder
回避性パーソナリティ障害 Avoidant personality disorder
依存性パーソナリティ障害 Dependent personality disorder
強迫性パーソナリティ障害 Obsessive-compulsive personality disorder
特定不能のパーソナリティ障害
これらの特徴を分かりやすく示してあります
この障害がマイナスイメージではなく 豊かな才能と可能性に溢れていることも教えています
自分の長所も短所も 客観的に捉えることの大切さを教えてくれているようです