主人公

ACが外の世界と関わる時 周りの人が気になります
普通の人以上に「とても」気になります
自分は周りの人に あの人に この人に どう見られているのだろう どう思われているのだろう
嫌われているんじゃないか 失敗したり変なことを言ったら笑われるんじゃないか バカにされるんじゃないか
自分の言動をいつも誰かにチェックされているんじゃないか
自分の噂や悪口で話題になっているんじゃなかいか
これが過剰になると 自己嫌悪や対人恐怖の元になります
自己顕示欲は普通以上にあるのです このギャップに苦しむことになります
自分を普通に理解してもらいたいのですが どう言葉にしていいのか分かりません
言葉にする方法も それを使って相手とコミュニケーション取る方法も分からないのです
人は誰も 自分の人生をひたむきに生きています
赤の他人の人生にまで介入する暇はありません
それぞれが 自分が主人公です それ以外の人のことは 話題にしても一瞬でしょう
周りの目を 声を過剰に気にすることなどないのです
ところが ACには この「自分の人生では自分が主人公」の認識がないのです
自分はいつも脇役でした 主人公は親
自分の人生の時間を 親に介入され 奪われていたのですから
親からの評価のために生きていたのですから
この癖のまま外の世界と関わると 他人に評価されるために生きてしまうのです
この癖を すぐにでもやめることです
やめるのはとても難しく思えますが 意外に簡単です
無意識の中で親に捕まり続けていたあなたのその手を すっと離してしまうのです
親へのしがみつきをやめるのです
自分は一人で立てるのだ 一人で歩けるのだと 自分を信じることです

愛したい 愛されたい

ACにとって この「愛したい 愛されたい」は未知の世界
愛が何か そもそも分からないのですから
〜したい 〜されたい という「欲求」は人一倍強く持っているのです
愛 そのものが分からないのです 愛という「感情」 が分からないのです
ですからACにとって愛したい 愛されたいは「かまって欲しい」「世話を焼いて欲しい」という意味です
そして所有欲 あなたは私のもの 私はあなたのもの
ですから向かう方向もそれなりです お互いを束縛し 支配し 干渉し合うのです
自他の境界がないので 相手の領域を侵します 相手との距離が取れずにくっつきます
この調子で恋愛そして結婚に向かうのですから 破綻するのは目に見えています
御多分に洩れず ワタシも愛が分かりませんでした
カウンセラーはこう言いました
彼女曰く 愛とは 「あなたがいる 私がいる 私はあなたが好き」
驚きました こんなにシンプル
好き という感情だけで 余分な欲求はありませんから
自他の境界がはっきりしていますから お互いの自立・自律を認め合います
束縛も支配も干渉もありませんから 互いを解放します
ACに最も大切なのは この「感情と欲求を分ける」ことです
〜がしたい 〜して欲しい 〜と渦巻く欲求の 一番奥底にある感情に気づくことです
愛したい 愛されたい の前に 愛を感じる ただただ好き という感情を感じる
この感情 親からもらえなかったので とても理解しにくいのですが
例えば誰かを好きになった時に 「好きです」が素直に笑顔で言える とか
誰かに「好きです」と言われた時に その言葉を その気持ちをきちんと受け止める など
 
欲求にブレーキをかけるのではなく じっくりと自分の感情と向き合う 相手の感情と向き合う のです
じっくりと感じた後で 欲求を言葉にしてみます
例えば
「大好き」「だからずっと一緒にいたい」
相手の言葉を待ちます 相手の言葉を待つのが苦手なのもACでした それはNG
自分の感情も欲求も尊重する それと同様に相手の感情を欲求も尊重します
言葉は相互通行 一方通行ではありません 感情を大切にするから言葉も大切に
少しずつ 少しずつ やってみて確かめましょう
見返りを求めないで