ACと仕事

ACなら誰もが一度は経験しているであろうこと
仕事に就いても周りの他者との関係が上手くいかず コミュニケーションが取れない
ことがら 情報のやり取りはできるのに 気分や感情の交流ができず 疎外感を感じる
人と同じように他人の話に共感したり 共感を得たり ができない
結果 仕事に就いてもそう長続きせず 職を転々としたり
ニートや引きこもってしまったり
それは自分が悪いのではないのです ACの必然 育ちのせい
幼児期のトラウマ 不安と恐怖 親への愛情欲求の不足 不満
子にとっての最重要課題 親との関わりの不全感が解決していない 終わっていないのです
自分の内側の大切な部分が片付いていないのに 社会に向かうことなどできないのです
そのことが自分でも自覚できないので 言語化できない というだけなのです
これを終わらせることがまず先決
自分のインナーチャイルドを癒し 親の支配とコントロールから離れること
自分の感情や欲求を言葉にするトレーニングをすること
これらがある程度までできない状態では 外の社会と関わるのは無理でしょう
無理やり関わっても自分が苦しくなるだけです
子が仕事に就けない理由は親にあるとも知らず 親は言います
とにかく仕事をしろ と
親の願いはそれだけです
仕事さえしていれば 心の状態がどうであろうと関係ない と
子どもの心が理解できないのです もちろん自分の心も
AC親の価値観は お金 モノ なのです
子にしてみれば 何と酷なことを言うのかと言いたいのですが
それは言葉にはなりません
感情を言葉にすることができていないのですから
感情を言葉にすることができさえすれば ごく普通に生きていけたのに
これができないために 必要以上の苦労をすることになります
家族の輪廻 家庭内連鎖の弊害は深刻です

ACの子育て

ACが家族の輪廻 家庭内連鎖を最も実感するのが 子育ての場面でしょう
親のようにはならない 反面教師のつもりで子育てをするのですが
気がつけば自分が育ったように自分の子どもを育てています
自分が小さい頃に受けた扱い
暴力や無言のメッセージ 仕草 ため息 表情
同じように子どもにしているのです
まず幼児期の「言葉かけ」がありません
生後から3歳頃までの幼児期に親からの言葉をもらっていないのです
幼児は話すことができるのは一番後になりますが 
それまでの間に見ることも聴くこともできています
健全な家族の場合
この間に親は言葉のシャワーを浴びせます
例えば子どもが泣くと「寂しかったのね」「悲しいね」
笑うと「楽しいね」「嬉しいね」
幼児はそれを学ぶのです 行動と感情が繋がるのです
もちろんスキンシップも充分です
柔らかく温かい肌に抱かれる安心感は その後の心の成長に大きな糧をくれます
この体験がないACは この世に生まれて来たことの幸せ
親から歓迎され愛されていることも分かりません
(歓迎されていない 愛されていないことが分かるのです)
不安があるだけ
そしてこの不安に恐怖が加わります
親の言動です
いけないと分かっているのに 思わず叩いてしまった
言葉で伝えなければいけないのに 黙って怒ってしまった
子どもと笑顔で向き合えない 怒った顔になる
子どもの気持ち 感情を受け止めることができない
共感できず つい指示的になる 過干渉になる
自分を振り返ると まさにこの通りです
暴力を受けて育った子どもは 自分の子どもにも暴力を振るいます
自分が育ったように 自分の子どもを育てるのです
機能不全家族のメンバーは 言語のコミュニケーションがとても弱いのです
例えば悪いことをした子どもに 話して諭す などができません
親自身も感情的になって 怒りの感情で暴力を振るうのです
言葉以外の他の方法で まるでそれを補うかのように
これに気づくとかなりショックを受けます
ここから立ち直るにはどうしたらいいのでしょう
悲しい過去をすべてリセットして 記憶を消して
それができればどんなにか楽でしょう
でも残念ながら 悲しい記憶は深く潜在意識の中に沈み
消えてなくなることはありません

ACの結婚

類は友を呼ぶ といいます
短い会話でお互いの不幸を一瞬にして嗅ぎ取ったACどうし
すぐに惹かれ合い恋に落ちるのですが
愛する という感情が分からないままです
欲求を貪り合う とでもいうように お互いを求め合います
今までの不足感を取り戻すかのように
愛する のではなく 求める のです この違いは大きいのです
勢いで結婚するという言い方がありますが ACどうしもまさにその例
ただ 一緒に生活を始めても あまり充実したものにはなりません
喜怒哀楽の感情を言葉にすることができないので 気分や感情の交流がありません
やり取りはことがらや出来事の情報交換だけ
恋愛の時と同じように 相手を束縛 支配しようとします
新婚時代はそれも快感ですが 時間が経つとお互いのわがままが出て来ます
ACに欠けている「ありがとう ごめんなさいが言えない」はここでも登場します
相手を認める 赦す 受け入れる ができないので お互いの不満は少しずつ募ります
罪を憎んで人を憎まず と言いますが それもできません 
坊主憎けりゃ 袈裟まで・・・の世界です
気持ちのすれ違い 行き違い 誤解 
お互いの関係の修復 和解ができません
ちょっとしたきっかけで喧嘩 そして離婚
ACの行動や認知のお手本は親です
親からもらったものを 自分の結婚生活でも繰り広げます
私は親のようにはならない と反面教師 という言葉を使っても いつの間にか同じことをしてしまいます
自分の親を見てみましょう 夫婦の関係は健全でしょうか
あなた自身を眺めてみましょう あなたの夫婦は大丈夫ですか?