痛ましい事件の背後に

中学生の殺害事件
メディアは盛んに学校の責任を問うているようです
もちろん学校の責任はあるでしょう 生徒の言動に敏感に対応するのは当然ですが
学校は親からの訴えがあって初めて動きます 学校と親の連携もなかったのだろうと思います
「ウチの学校にいじめや暴力などあるはずがない」と隠蔽する学校もPTAもあります
学校側の責任とは別に ワタシはこの家族の関係を想像しています
暮らし慣れた 自然と友達がいっぱいの田舎の島を離れた一家
もちろんこれは親の都合でしょう この家族に何があったのか
子どもだけが親戚を頼って転校するのではなく 一家で転居するにはそれなりの重い決断があったことは容易に想像できます
または子の将来を見据えての判断だったかもしれません いずれにせよ親の判断
子は慣れ親しんだ友人関係から離されます 今までの人間関係から断ち切られます
転校先は今までとは違う都会 たくさんの子どもの中で味わう孤独
こんな時 頼りにするしかないのは家族 親ですが
その親とコミュニケーションが取れないとしたらどうでしょう
子どもにとって自分の居場所は家という場所そのものであり 親という存在
彼には帰る場所がなかったのだと想像しています
危ういグループに関わってしまったことも言えない 言っても届かない親だったのではないかと
子のSOSを気づかない 察知できない親だったのではないかと思うのです
子は「親に心配をかけたくない」と なかなか胸中を明かさないものですが
この子は明らかにSOSを発していました それに気づかなかったのです
気づいたとしてもどうすることもできなかったのかもしれません
この母親もまた同じように育ったのだと思います
機能不全家族の輪廻です
そしてこの家族の輪廻は 加害者の側にも同じように渦巻いています

自分のために生きる

自己評価の低いAC
誰かの役に立つことで 自分の評価を上げる癖がついています
だから自己犠牲が伴う仕事に就きがちです
医療系 福祉系など その傾向が強いといえます
もちろん自己犠牲が悪いのではありません
時間から時間まで マニュアル通りではできない仕事は数多くあります
少なからず人の犠牲の上に成り立っている仕事はあるのです
ただそれを前提にして 他者のために生きてしまうのは不幸です
自分以外の誰かのために生きるという癖がついているAC
長い間 親のために 家族のために生きてきました
そうすることが最良だと 教え込まれてきたのです
親の支配とコントロールは大成功したのです
ですから 肝心の自分はいつも空虚で 自分というものがなかったのです
夫のため 子どものため 姑のため と懸命に働いてきて
ふと気がつくと自分がいない そう言って涙をこぼす女性を 今まで何人も見てきました
ワタシ自身も当時は自己評価が低く 介護の仕事に就き
クライアントからのありがとうの言葉に自己評価を上げる毎日でした
自分で自分を評価できないので 他者から評価されることで自分の価値を判断するしかなかったのです
自分で自分を褒めることができるようになって 自己犠牲はなくなりました
他人という鏡に自分を映すのではなく 自分で自分を映す これができればずいぶん変わります
自分の人生の時間を自分のために使うという当たり前のことを 今から始めましょう

機能不全家族は「家族内モラハラ」?

モラハラ=モラルハラスメント
(Wikipediaより引用)
モラルハラスメント(仏: Harcèlement moral、英: Mobbing)とは、モラルを装った、あるいはそう思い込みながら為される…心への暴力、嫌がらせのこと。俗語としてモラハラと略すこともある。フランスの精神科医、マリー=フランス・イルゴイエンヌが提唱した言葉。外傷等が残るため表面化しやすい肉体的な暴力と違い、言葉や態度等によって行われる精神的な暴力は見えづらいため、潜在的なものとされていたが、イルゴイエンヌの提唱により広く知られるようになった…。イルゴイエンヌは「社会は精神的な暴力に対しては対応が甘いが、精神的な暴力は肉体的な暴力と同じ程度に、場合によっては肉体的な暴力以上に人を傷つけるもので、犯罪である」と述べる…。「モラルハラスメントがどれほど被害者の心身の健康に破壊的な影響を与えるのか、その恐ろしさを嫌と言うほど見てきた。モラルハラスメントは、精神的な殺人」とも述べている。
主に夫婦間で繰り広げられるこの残虐な行為
最近も何かと話題になっているようです
夫婦という他人どうしの関係なのに まるで自分の所有物でもあるかのように振る舞うのです
ここでも繰り広げられる支配とコントロール
離婚しようにもできない何かがあります 共依存
お互いの生育歴に 似たような体験の記憶 感情の記憶があると 無意識に受け入れてしまうのでしょうか
この話は別の機会に譲るとして
実は機能不全家族のメンバーのは間では 日常的に行われていることではないでしょうか
他人どうしではなく親子の間で 肉親どうしの間で それが行われることに その深刻さがあります
親子なのだから 愛されているに違いない 守ってもらえるに違いない
子は何一つ疑うことなく身を預けようとするのですが 見事に裏切られます
親は無償の愛ではなく 条件付きの支配とコントロールをしてきます
愛されているから厳しく怒られるのだ 冷たくされるのだ と
子は幼い頃からこれが愛なのだと勘違いして受け入れます じっと耐えるのです
まさにハラスメント 言葉の暴力 無言の暴力です
それは親から子へ子から孫へ受け継がれます 家族の輪廻 世代間連鎖です
ここから逃れなくては 幸せにはなれません
無償の愛の自由さを 支配とコントロールのない世界を
早く手に入れたいものです