ACの自己愛 ②自分を愛するために

自己愛
文字通り自分を愛することなのですが
愛することがどういうことなのか分からないACにとっては とても困難なこと
正確に言うと 無償の愛を知らない 生まれてから今まで 条件付きの愛で育って来たのです
見返りを求めない無償の愛ではなく 支配とコントロールに満ちた条件付きの愛
それは愛とは呼べないのですが 親も そして子も それが愛だと思い込んでいます
この思い違いが 大人になっても続きます
自分を愛せない人には 他人を愛することなどできない と ここでも何度か書きましたが
幼児期に親からもらう無償の愛は その後の子どものパーソナリティの形成に大きく影響します
ACにとっての自己愛は 親からもらったものと同様 条件付きの愛です
OKなら自分を好きでいられる でもNGなら嫌い
というより ACは基本的に自分のことがあまり好きではない どちらかというと嫌い とても嫌いと言ってもいい
自己嫌悪 自己否定 などの言葉が渦巻いているようです
他者を支配コントロールするのと同じように 自分も支配コントロールします
他者を無償の愛で愛せないように 自分も無償の愛で愛せないのです
これでは長い間に生き辛く 不全感を抱えたまま生きることになります
学校で 職場で 例えいじめに遭っても 帰って行ける家族という場所があれば 温かく迎えてくれる家族があれば 立ち直れるものですが
ACには帰る場所 自分の居場所がありません
生まれて来たことに 存在そのものに 子どもにとってはその世界のすべてである家族に祝福される という基本的な安心感がないのです
機能不全家族の最大の不幸です
さて 不幸にも親からの無償の愛をもらえなかったACは どう自分を愛するのでしょうか
そしてどう他者を愛するのでしょうか
自分を愛する 無償で 無条件に ただただ好きでいる
〜ができなくても 〜がダメでも 自分を嫌いにならない ずっと好きでいる この当たり前の シンプルなことを実行する
そして無償の愛の獲得ですが 原家族からは得られないので 他の健全な家族を真似る→学ぶことしかないでしょう
身近な他者から言葉 表情 仕草 一つひとつを丁寧に真似て学んでいく
ここで 感情を言葉にすることを実践します 喜怒哀楽を言葉にする
どれもACには未知の体験 体感になるはずです
そして親からの支配とコントロールを完全に捨てる 手放すことです
これもなかなか難しいのですが きっぱりと決別する
それでも時々 長い間に得た癖は現れますが 自覚しながら 直しながらゆっくり進めます
もちろん途中には挫折もあります 過剰な あるいは不足な言動もあるでしょう それもすべて学び
焦らず 腐らず 諦めず です

ACの自己愛 ①私は健全だ という思い込み

このところ 自己愛ということに思いを巡らしていました
で 私の体験
自分は健全だ と長い間思い込んでいました
AC家族の中で暮らしているので 外の世界の人との認知の歪み 感覚のズレに気がつきません
家族以外の他人と関わって始めて 自分は人と違う 変わっている と気づきます
物心ついた頃 友達の家に遊びに行って驚いたことがありました
その子は特に可愛い訳でもなく 成績がいいでもない子でした
ただ いつでも笑顔で優しい印象でした
その子と一緒に家に行くと お母さんが出迎えます
その子は母親に向かって走ります
母親はとびきりの笑顔でその子をハグするのです
ショックでした こんなに羨ましい光景が目の前で繰り広げられたのですから
そんなに出来のいい子でもない子なのに お母さんはこんなに愛せるものなのか
いい子じゃなくても 成績が悪くても こんなに愛してもらえるのか
ウチは違うぞ
そして うっすら気づいたのです ウチは普通じゃないかもしれない と
幼い私にはこの体験がありませんでした
愛される実感 体感 満足感 肯定感
生まれて来たことへの祝福 存在そのものへの歓迎
愛の言葉の語りかけ 気分や感情の言葉の語りかけ
これらは親自身も体験しなかったもの そのまま子へ連鎖するのです
無償の愛をもらえなかったのです もらったのは支配とコントロール
これを愛と勘違いして いいえ 疑いもなく信じて 受け入れていたのです
ですからそもそも無償の愛というものを知りません
文字通りの条件付きの愛
例えば 成績が良ければ褒めてもらえる 親の言うことを聞けば褒めてもらえる
それができなければ嫌い 嫌な表情 不機嫌な親になる
子どもは親に褒められるために 気に入ってもらうために必死に成績を気にし 言いつけを守ろうとします
自ら親の支配の下に入り込みます これは考えて行動するというより 本能的に といった方が近いのです
自分の命を預けているのですから 従わなければ明日の食事もままならないのですから
こうして育ったACは 大きくなってもこの嗜癖のままです
その時々の気分や感情を言葉にして 相手に伝えることができないのです
できることはことがら 情報の伝達 思考の言語化だけ
友達どうしの笑い合ったり泣いたり共感したりのコミュニケーションを眺めては
なぜ同じようなことが自分にはできないのだろう と不思議な思いでした
それでも自分は健全だと 思い込んでいました