ACの自己愛 ①私は健全だ という思い込み

このところ 自己愛ということに思いを巡らしていました
で 私の体験
自分は健全だ と長い間思い込んでいました
AC家族の中で暮らしているので 外の世界の人との認知の歪み 感覚のズレに気がつきません
家族以外の他人と関わって始めて 自分は人と違う 変わっている と気づきます
物心ついた頃 友達の家に遊びに行って驚いたことがありました
その子は特に可愛い訳でもなく 成績がいいでもない子でした
ただ いつでも笑顔で優しい印象でした
その子と一緒に家に行くと お母さんが出迎えます
その子は母親に向かって走ります
母親はとびきりの笑顔でその子をハグするのです
ショックでした こんなに羨ましい光景が目の前で繰り広げられたのですから
そんなに出来のいい子でもない子なのに お母さんはこんなに愛せるものなのか
いい子じゃなくても 成績が悪くても こんなに愛してもらえるのか
ウチは違うぞ
そして うっすら気づいたのです ウチは普通じゃないかもしれない と
幼い私にはこの体験がありませんでした
愛される実感 体感 満足感 肯定感
生まれて来たことへの祝福 存在そのものへの歓迎
愛の言葉の語りかけ 気分や感情の言葉の語りかけ
これらは親自身も体験しなかったもの そのまま子へ連鎖するのです
無償の愛をもらえなかったのです もらったのは支配とコントロール
これを愛と勘違いして いいえ 疑いもなく信じて 受け入れていたのです
ですからそもそも無償の愛というものを知りません
文字通りの条件付きの愛
例えば 成績が良ければ褒めてもらえる 親の言うことを聞けば褒めてもらえる
それができなければ嫌い 嫌な表情 不機嫌な親になる
子どもは親に褒められるために 気に入ってもらうために必死に成績を気にし 言いつけを守ろうとします
自ら親の支配の下に入り込みます これは考えて行動するというより 本能的に といった方が近いのです
自分の命を預けているのですから 従わなければ明日の食事もままならないのですから
こうして育ったACは 大きくなってもこの嗜癖のままです
その時々の気分や感情を言葉にして 相手に伝えることができないのです
できることはことがら 情報の伝達 思考の言語化だけ
友達どうしの笑い合ったり泣いたり共感したりのコミュニケーションを眺めては
なぜ同じようなことが自分にはできないのだろう と不思議な思いでした
それでも自分は健全だと 思い込んでいました

コメントを残す