子は親を選べない

TVで若いイケメン俳優さんが何気なくサラリと言ったひと言
「子は親を選べないですからね」
彼は親への感謝として言ったのですが
あまりにも当たり前過ぎて 驚いたのです
そしてこのブログでは 親に向けての記事がほとんどないことを 読者の皆さんにお伝えしていなかったのです

ここで書いているのは当事者である子のこと 子を主人公として 子に向けて書いています
それには理由があります

親に向けて何かを伝えようとしても 親ご自身が聞く耳を持たないと お話にならないからです
そして AC親の多くは ご自分の不全感に気づいていないのです
不全という自覚がないのです 健全だと思っています

機能不全家族では 親が変わることで子も変わるといいます
親にも子にも言えることですが これは自身が「自分は人と何か違う 上手くコミュニケーションが取れない 感情を言葉にできない」など不全感を持っていて 何とかした方がいいかも と感じていれば 変わるきっかけ 可能性があるということ

自分は健全だ と思っている限りは変わるきっかけも可能性もないのです
まして年齢を重ねると 頑固にもなりますね 自分を変えることへの抵抗は大きくなる
であれば若いうちに 思考も感情も柔軟な若いうちに と思うのです

ご自分の親も同じ不全感を持っていました あなたと同じようにあなたの親を育てた
家族の輪廻 家庭内連鎖が続いてきたのです

この記事を読んでいるあなたが もし子の親だったら どうかその連鎖を止めてください
あなたが子どもの頃に受けた傷 悲しい思いを これ以上あなたの子に刷り込まないでいただきたいのです

子は自分が育ったように自分の子を育てます
「そんなことはない 子供はちゃんと育ててる」
それは違います
子は我慢しているだけです 本来の自由で無邪気な自分を抑え込んでいるのです
いつも親の顔色を窺って びくびくしながら生きてきました
思い出してください それは幼児期のあなたと同じですから

これ以上 不幸な子を増やさないで
心から思います
子は親を選べないのですから
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子どもを虐待する親

子供への虐待が増えている気がします
テレビを騒がせる親たち

親の側には虐待という認識がなく
それは「しつけのため」という言葉に置き換えられて
親の免罪符になるようです

冷静に考えれば「しつけ」と「虐待」とは明らかに違います
客観的に眺めれば分かるのですが 当の親には区別できません
それとも本当は分かっているのに 虐待をしつけと言い換えることで
自己弁護して 罪悪感を取り払おうとしているのでしょうか

しつけか虐待か それは「される側」の子が決めることでしょう
親がいくら子のためにと思って厳しく「しつけ」たとしても
子の側にしてみれば いじめ 嫌がらせ 虐待でしかない という場面はあります
それは親子だから許せるというものではありません

外国では子への虐待に行政や警察が介入するといいます
この国のように警察に相談しても動いてくれない 児童相談所に言っても動いてくれない
外国から見たらどう映っているでしょうか

そしてACの多くにはこの苦い思い出が 辛く悲しい記憶が鮮明に残ってるのです
自身の記憶を辿っても「あの時のアレは絶対しつけじゃなかったよな」というものがいくつか いいえ いくつもあるのです

しつけなら今になってその記憶は 暖かい思い出として蘇るはずです 親への感謝として
でもそうではないので どうやら虐待だったのです 今になって分かります

この虐待のおかげで ACはとても悲しい幼児期を過ごしました
今となっては取り戻せない時間

でもやり直しはできる

そんな親への思いを手放すことです
恨み 憎しみ 悲しみ 強い愛着を手放す
もう終わったこととして静かに見送るのです
憎しみや怒りを増幅させるのは もうやめようと決めるのです

虐待された側が もうこれ以上家族の連鎖を続けないために
あなたにできる唯一のことかもしれません
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