生き直し

前回は親の納骨のことを書きました。
私がAC共依存から離れられたのは、当然ながら親の死があったからです。

存在がなくなる、親がいなくなる。それまで抱えていた全てが終わるのです。
強い愛着、執着、恨み、憎しみ、悲しみ、怒り、言葉にできなかった感情の全て。
親と自分を縛り付けていた共依存という怪物が消えてなくなります。

もちろんこれに狼狽え戸惑い、自分を失くします。親と私は一卵性だったのですから。
その喪失感も長くは続きません。自分の手で足で、自分の頭で生きていくことになります。

親への思い。言いたくて言えなかったこと、言って欲しくて言ってもらえなかったこと、してあげたくてできなかったこと、して欲しくてしてもらえなかったこと。できなかったことを諦め、手放す。これで区切りがつけられます。

今までのことを終わったこととして受け止め、受け入れる。終わったことを少し離れて、まるで風景画のように眺める。

親の死とは、AC共依存を手放すための儀式でもあります。
その後は自分の生き直しです。文字通りの生き直し。

親からもらった価値観、コミュニケーションパターン、認知の癖などなどは、ほとんどが役に立たないどころか邪魔なもの。全部捨てます。そうすると肝心の自分には何もありません。親に代わる師を探します。見つけるのは大変ですが、探します。その間にも他者の優れた点を真似る=学ぶ のです。

道は遠いですが、楽しんで生きることを覚えましょう。今まで楽しむなんて罪悪感でいっぱいでしたから。たっぷり楽しんで構いません。人生は楽しい。

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親の遺骨

親の遺骨を市営霊園の合葬墓に入れる手続きをしています。
親の謄本を結婚から死亡まで辿り、霊園が確認して納骨するのですが。この前時代的なシステム、明治時代に作られてそのまま使われているシステムは何とかならないかとは思いますが。
居住した地を4ヶ所辿り、熊本県の私が生まれた土地の役場に郵送申請して、謄本が届きました。
母親が姉を連れて父親と再婚したことは聞いていましたが、その姓を知ったのは初めて。
振り返れば親のことは何も知りませんでした。親は自分たちのルーツ、生い立ち、歴史生き方、人生哲学など一切子に話してはいなかったのです。機能不全家族あるある、です。
父親は癇癪持ち。コミュニケーションが取れない、今でいうパーソナリティ障害。どんな家庭で育ったのか想像がつきます。
姉を連れた母親と父が結婚します。当時の常識では初婚の男と子連れバツイチの女と結婚するのは珍しかったでしょう。
父方は癇癪持ちの息子に手を焼いていたのかもしれません。
この二人が結婚して私が生まれた。親が育ったように子も育った。面前DV、乖離、トラウマ、コミュニケーション障害、そしてパーソナリティ障害。
家族の輪廻、家庭内連鎖は見事に次の世代に受け継がれました。機能不全家族の歴史は脈々と続きます。
親は機能不全のまま死んでいきました。姉は強い共依存のまま。母の亡き後は他の依存相手を探して収まったのでしょう。
幸いにも私はカウンセラーと出会い、カウンセリング、心理療法でAC共依存を終わらせました。
機能不全家族がなくなることはないのでしよう。少なくなることもないでしょう。見ていると逆に増えているような気がします。社会全体が機能不全になっているのでしようか。とても気になります。

 

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