ヒトは「いじめ」をやめられない 中野信子 著

いじめがなくならないどころか、ますますエスカレートし、ついに犠牲者まで出てしまいました。
いじめる側の何と陰湿な執拗なことか。若い女性を狙う卑怯。許せるものではありません。

著者はTVでもお馴染みの脳科学者です。少し前に買って、このSNSでのいじめのエスカレートと犠牲者が出てしまった機会に読み始めました。

オキシトシン、セロトニン、ドーパミンという脳内物質、性ホルモン・テストステロンが、いじめ=サンクション(制裁行動)を支配している、と始まります。

「大津市中二いじめ自殺事件」にも触れ「いじめ防止対策推進法」「いじめの重大事態の調査に関するガイドライン」策定といった学校の取り組みにも触れます。

傍観者が通報すればいじめは減るのか
の章では「日本では沈黙は金、というように、仲裁する人よりも傍観した人が最も得を得やすい」と。同調圧力の強さも挙げています。

脳内物質、性ホルモンのせいなのか、と何だか暗澹たる気持ちになるのですが、後半ではいじめの回避策も書かれています。成長に合わせて自分をコントロールする「メタ認知力」が大切、とも。

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裏面交流する人

交流分析にあるこの言葉。裏面(りめん)交流。
物事の裏表、人の裏表と同じ意味です。

私たちが通常している交流のパターンはいってみれば表面での交流。
思ったこと感じたこと考えたことをそのまま素直に言葉にしています。その言葉の裏には他意はない。

私もかつてはそうでした。時々こんな人がいます。思ってもいないこと、考えもしないこと、感じてもいないことを口にする人が。これが裏面交流。

健全な交流=コミュニケーションの取り方を親から教えてもらえなかったのです。AC共依存の人は言葉のコミュニケーションより非言語のコミュニケーションが多かったので、言葉のコミュニケーションは苦手でした。

ましてや幼い頃から感情を抑えつけて育ちます。喜怒哀楽の喜と楽は特に強く抑えつけています。いくつもの禁止令を自分に課して大きくなります。

裏面交流する人の、その目的は何でしょう。思ってもいない、心にもないことを言葉にする目的は?
自分に振り向いて欲しい、注意・興味を向けて欲しい、自分がかけた言葉を受け止めて欲しい、自分に言葉をかけて欲しい、寂しいから構って欲しい…まだまだありそうです。相手への欲求。

自分が相手にかける言葉はそれほど多くないのですが、相手には多くの言葉、対応を求めるのです。

裏面交流を続けていると、お互い不幸です。コミュニケーションを取るのが大変です。相手が本当は何を感じ考え思っているのか分からなくなります。

健全なコミュニケーションを取っている人は物足りない、空回り、感情の共有ができないフラストレーションを感じます。

AC共依存が苦手なのがこの感情の共有、共感です。自分の感情が分からない、他者の感情も分からない。

まずは自分の感情に気づくことが大切です。
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参考までに下の文献(抜粋)を。裏面交流の単純化パターンが示されています。

P=親  A=成人  C=子どもの自我
表面のメッセージとは別のメッセージがある場合があり、これを裏面的交流と言います。前者は社交レベルのメッセージでAからAへ、後者は心理レベルのものでPからCへ、あるいはCからPへのメッセージとなります。図3では、子どもの「今日はコンパに行くから夕食はいらないわ」に対して母親の「どうぞ、好きにしなさい」という反応は表面的にはAとAの交流ですが、「遅くなったらいけませんよ!」というPからCへの裏のメッセージが含まれている場合があります。日本人では、この裏面的交流が非常に多くみられ、会話に奥行きがあるとも言えますが、あまり裏のメッセージが多すぎると人間関係が複雑になり混乱の原因となることもあります。

(早稲田大学人間科学学術院教授

野村 忍)

 

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自分の命を守ることが

少し前のことですが元官僚による婿刺殺事件。

機能不全家族の悲しい末路に胸が痛みます。

父は事務次官に就任。「お前らエリートは俺を馬鹿にしてる」

息子は中学時代からいじめを受けた。アニメ会社に就職失敗。「画力が足りないと言われた」

息子からの暴力で母親は鬱、そして自殺未遂。長女は縁談があったが「兄に変なのがいる」と破談。絶望して自殺。

息子(被害者)は一人暮らしをするが父親(加害者)の「ゴミを片付けろ」などの指令・命令。

同居を開始した翌日に暴行を受ける。息子を殺すこともありうると考えるように。

「殺すぞ」と言われ息子を包丁で刺した。

「できるだけ寄り添ってきたつもりだったが」と父。

ざっと経緯を見ただけでも、かける言葉がありません。

家族の輪廻。世代間連鎖がこの家族にもあったことは容易に想像できます。

父親も同じように育ったのです。自分の息子にしたように、支配とコントロール(操作)で息子に対した。

それは愛ではありませんでした。息子は愛が欲しかっただけなのです。

「できるだけ寄り添ってきたつもりだったが」実際にはそれは寄り添ったのではなく命令、指示でした。

父親自身も同じように自身の親に育てられたので、同じように息子を育てたのです。

子供のこのような暴力・暴言・乱暴な行動はほとんどすべてが親の責任。

子供のこのような行動・言動はすべてSOS.

親にも子にもそのことが分からないのです。悲しいすれ違い。

AC共依存の機能不全家族に生まれ育った子であるあなたにお願いがあります。

このようなことにならないために、親から離れてください。できるだけ早く。

機能不全家族の親は加害者。子であるあなたは被害者になりうるのです。

子には親から離れたくないという執着・愛着があります。あの時に愛されたかった、言いたかったことが達成されていないので、ずっと愛されたい欲求が終わりません。

酷なことですが、それは叶えられません。あなたの愛着・執着を手放すことが必要なのです。

あなたが自分で自分の命を守ることが大切です。

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共依存の証

煽り運転で逮捕されたカップルの共依存ぶりが報道されています。
その光景を眺めながら、私の過去を思い出していました。

私が二度目の結婚をして、それまでの人間関係友人関係を断つことになりました。結婚相手がとても嫌がったのです。友人と会うのに出かける、友人を家に招く、一緒に遊ぶ、食事をするなどはなくなりました。
相手が私に求めたのは「私とあなた」の二者関係だけ。
私は何の疑問も持たず異議も唱えずに相手に取り込まれていきました。まさに「取り込まれる」という表現がぴったり。友人関係を失って何年も後に気づきます。

その間に進むのはお互いを支配し支配され、コントロールしコントロールされること。非言語のコミュニケーション。言葉の暴力。原家族にあった機能不全のすべてでした。この関係が嫌で家を飛び出したのに、気がつけばそれを懐かしむかのように繰り返す。かつて慣れ親しんだこの感覚は、魔法のようにお互いを縛り付けます。

私はこの結婚生活で最も嫌悪したのは、言語コミュニケーションがいつまで経っても取れない、どんどん悪化していくことでした。
原因はお互いの感情を言語化しない、できないことだったのですが、当時はそれが分かりません。関係が悪化しても、それは相手のせいだと思っています。自分に非はないのです。「自分は悪くない」はどんどん強化されて、カウンセラーに諭されるまで分かりませんでした。
私の場合特に「感情というものが分からない」状態でした。「思う=思考」「感じる=感情」の区別がつかないのです。カウンセラーに「どんな気分?」と感情を問われても「〜思う」と思考を答えるのでした。それほど感情を抑えつけていたのです。
感情を抑えつけていた=言語化できなかった のですが、感情的になる=キレることはよくありました。
今私はこんな気分だよ、こんな感じ、と普通に言葉にして他者に伝えることができない。キレるだけ。そして無言になる、分かってくれないと相手を恨む憎む、そんな繰り返しです。
この行動、言動の裏には「分かって欲しい」が隠れています。相手への愛着、執着はとても強いのです。その分嫌われた時の恨み憎しみは何倍も強いのです。共依存とはこれほど厄介なものです。
共依存を拗らせて現れる行動、言動は上に書いた通りボーダー(境界性パーソナリティ障害)そのものです。境界性だけでなく演技性、自己愛性、回避性、依存性などの特徴がまぜこぜになっていることも多いのです。
そしてその根っこにあるのがACと共依存です。
根深く厄介な自分を変えるのは、他の誰でもない自分です。自分と向き合うことがいかに大切かが分かります。

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増える中高年の引きこもり

内閣府が2015年度に実施した調査で、15~39歳の「若年ひきこもり」は54・1万人と推計された。今回、40~64歳の「中高年のひきこもり」について国レベルで初の調査を実施。調査方法の一部変更があったため単純比較はできないが、その結果に基づく推計数は、若年層を上回った。

(略)

今回の推計は、ひきこもる中高年の子と高齢の親が孤立する「8050(はちまるごーまる)問題」が、特殊な例ではないことを示すものといえる。また、「就職氷河期世代」(おおむね現在の30代後半~40代後半)の多くが40代に達したため、中高年のひきこもりが増えているとの指摘もある。

調査時期や手法の違いから「若年」と「中高年」の推計を単純合計はできないとしつつも、北風参事官はひきこもり総数が「100万人以上」になるとの見方を示した。(略)

(朝日新聞デジタル 2019.03.29)

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私が引きこもりの居場所事業を行うNPO法人で有償ボランティアをしていたのが10年ほど前。その頃、利用者(引きこもり当事者)は10代後半から30代後半でした。

ですから彼らが今も引きこもっていたら、もはや中高年。

若い頃の引きこもりなら、そこから立ち直る可能性、時間的な余裕があるのです。親が元気なうちは引きこもっていればいいのです。親が年老いて病気でもしたら、そろそろ外に出て仕事を探す。この時期的な余裕で自分の始末をし、内側を片付ければよかったのですが。

親の財産を食いつぶしてもよかったのです。親は支配とコントロールで子の人生を食いつぶしてきたのですから。

でも中高年だと実際問題として残った時間が少ない。やり直しがきかないのです。本気で短時間で何とかしなくてはいけません。

さて、どうしましょう。

昔なら人付き合いが苦手だったら手に職をつけて職人に。私の両親は床屋の職人でした。

今の時代でもそれは通用すると思うのです。

ネットの発達で在宅での仕事は広がりましたから、仕事の依頼を受けて返す、器用な人ならクラフト系に進む、通販で稼ぐ、など。今なら無料でも開設できるネットショップがいくつもあります。もちろん全部自分でやります。

大切なのは、自分が本当にやりたいことを始め、それを続けることです。淡々と、楽しみながら。

今まで親に向けて発信していたSOSはしばらくやめて、ひたすら自分のことに集中しましょう。好きなことに取り組む上での最低限の対人関係だけには注意を払って。ミスしたら修復して。言葉が足りなかったら補足して。なるべく明るくポジティブに。

親は常に「お前が心配」を口実にあなたを支配し操作(コントロール)しようとしてきます。それに巻き込まれないように。

ただ、今までのように強い恨み憎しみの感情で拒否する必要はありません。親との距離を今までより多く取って、動じないように。

少しなら他人と関わってみたい、という人は製造、商品管理など時間から時間まで働けばいい職種を。空いた時間に同僚先輩と話すことから、対人関係の作り方を学びましょう。そうすれば接客などもできるようになるかも。

決して無理をしないで、嫌ならすぐ辞めて。変な我慢はしないように。ストレスが溜まるだけです。

親はもうそれなりの歳。

あなたには積年の恨み憎しみがあるでしょう。言いたくて言えなかったこと、言って欲しくて言ってもらえなかったこと、して欲しくてしてもらえなかったこと、してあげたくてもしてあげられなかったこと、たくさんあるでしょう。

老いていく親を眺めながら、手放すこと、諦めることを自分の中から探しましょう。親の死を越えて、初めて子は自立、自律します。

怒りの感情をコントロールする

全豪オープンを制した大阪なおみさんから こんな言葉が出ました。

「私は精神的に成長する必要がある」「今は3歳児の精神状態」「この1年で成長できた。今は5歳児」

自分のメンタルの弱さ、怒りの感情をコントロールできない自分を客観視できている状態です。

それまでの彼女はコートの上で怒ったりふてくされたり泣いたりラケットを投げ捨てたり、見ていても可哀想になるほど不安定でした。それがこの1年で見違えるほどの成長を遂げました。

ピンチになっても慌てない、過剰に落ち込まない。失敗しても自分に腹を立てない。

自分の感情をきちんとコントロールできている21歳の女性アスリートの姿がそこにはありました。

怒りの感情をコントロールするのは、そう簡単にはできません。特に私たちACには至難の技です。

自分の感情が一体どこから来るのか分からない。どう対処すればいいのか分からない。冷静に自分の感情と向き合うことができずに、感情的になってしまう。激昂してしまう。それでパニックになってしまう。自分の感情に簡単に飲み込まれてしまうからです。自分で毒を吐いて、その毒に当たって中毒を起こしてしまうのに似ています。自家中毒です。

ACのもう一つの悪い癖は「余分な感情を上乗せする」ことです。

自分の内側に立ち現れた感情を客観視できずに、冷静に対処できずに次々に感情を増幅させるのです。

例えば立ち現れた不快な感情の原因が「嫉妬」だとします。これに「私は今、彼(彼女)に嫉妬してる」から原因を探ったり、その感情をなだめたりするのではなく、さらに余分な感情を、例えば恨み、憎しみなどの感情を上乗せしてしまうのです。

客観視する とは、一枚の風景画、風景写真のように眺める に近い行為と言えばいいでしょうか。

感情を無理やり抑え込むのではなく、客観視する。ただ眺める。
余分な感情を上乗せしないことはとても大切です。

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「ここは、おしまいの地」こだま 著

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「ここは、おしまいの地」こだま著 を少しずつ読んでいる。
読みながら感じる独特の初めての感覚を言葉にできないでいた。
そんな時、自分の記憶が途絶えた頃の感覚と重なったのだ。
浮遊感。
読者でしかない私が、彼女の物語の中で、亡霊のように俯瞰であるいは隣で、それを眺めているのだ。
私は彼女の物語の中にいる。物語の展開を眺めている。
この感覚は。
私は3歳から10歳ほどまでの記憶がない。
小学校入学、校外写生会の大きなイベントの記憶はあるが、日常の生活の記憶がない。
きっかけは父親のDV。
いつものようにお昼ごはんを食べていた。母親の言葉の何が気に障ったのか、父親の目の色が変わる。明るい鳶色に。
掘り炬燵は夏の間、食卓テーブル代わりになる。
父親は食べ物、食器の乗ったこたつ板を両手で持ち上げた。全てが散らばる。3歳の私は泣き出す。母親は危険を察知して逃げ出す。後を追う父親。それを私が追う。このような事件は珍しいことではなかったのだろう。今思えば母親の反応は素早かった。
部屋を出た土間を走り、突き当たりは台所(炊事場)とお風呂場。井戸ポンプが据えられているので逃げ場がない。
井戸ポンプと壁に挟まれた母親をめがけてこたつ板が振り下ろされる。
ここで私の記憶が消える。
心理学では乖離という。衝撃が大き過ぎた事件を記憶から消して「なかったことにする」のだ。自分の命を、脳を守る本能から来るのだろう。
記憶が途絶えた7年ほどの間、私には生きている実感が希薄だったようだ。時間の感覚もない。夢うつつの中にいるような感覚。どちらの世界にも属さない感覚。
あの日見た恐ろしい光景をなかったことにするには、相当の時間が必要だったのだ。私の中でどのような作業が行われていたのか知る由もないが、その記憶を切り取って前後を繋ぎ合わせることさえできず、そっくりそのまま記憶を消したのだ。
浮遊感は決して恐怖や不安ではなかった。だからといって心地よい訳でもなかった。
この感覚が蘇り、本の中で彷徨う自分を感じている。
本を読んでこんな感覚を覚えるのは初めてだ。
前作「夫のちんぽが入らない」から1年だという著者の文章はやはり綺麗で品がある。悲しみを笑いにしてしまう強ささえ、私の胸に刺さる。泣きたいのを我慢し、笑いたいのも我慢して生きてきたのかと、そんなところにも共感してしまう。
こんな読み方をする読者は極めて少数だと思うが、こんな読まれ方をする作品も珍しい。

「夫のちんぽが入らない」こだま 著

 

久しぶりに紙の本を読んだので、今日はその感想文です。

単行本の頃からあちこちで話題になって、今更の感はありますが、文庫版が出たので購入。

なかなか衝撃的なタイトルで、拒否反応を示す方も多いでしょう。そりゃそうです。今までタブーとされてきたワードです。少なくとも男性の間で話し言葉として使われてきたものが、女性の手で書き言葉になったんですから。でもこれだけでも私はあっぱれと言いたい。

男性が女性器を呼ぶときのいやらしさは微塵もない、女性が男性器をこう呼ぶ時、むしろとても愛おしい、可愛らしいものとして呼ばれるのです。(もちろんこう呼ばない人もいらっしゃるので、その自由は尊重します。)

夫婦の間で、恋人同士の間で普通に交わされるであろう会話、ワードを表に引っ張り出した功績は大きいと思うのです。

普通なら入るはずの夫のちんぽが入らない。想像するだけで悲しい。そのくせ夫以外のちんぽなら入る不思議とおかしさ。

エッセイとして書かれているので、もっと生々しいはずが、この文章はとても綺麗です。細かな描写が優しい。そして切ない。

物語のもう一つの柱が、「言えない」というキーワードだと、私は読みました。この時に思ったことをそのまま口に出して言えばいいのに、言えない、言わない。自分の中にぐっと溜め込む。あ〜また我慢しちゃった。。がいくつも出てくる。

彼女がどう育てられたか、その生育歴が私のそれと重なって、切ないような懐かしいような感覚を何度も持ったのです。

あ〜、そう育っちゃったから言えないよねー。と共感してしまう。

振り返れば私もACだった頃、最初の結婚も燃えるようなときめくような感動はなかった。離婚するのも淡々としていた。二度目もそうだった。それは理性的とか冷静などというものではなく、単純に脳が動いていなかった、思考はしていたが感情は動かなかった。感情が何者かも知らなかった。動かし方を知らなかった。感情を言葉にすることができなかった。

彼女の文章を読みながら、そんな自分の過去を重ね合わせていました。本を読んで自分の過去を重ねるなど、カウンセリング関連の本を読んで以来のことです。

読み終わって著者に感謝のメッセージを送りました。

『どうもありがとうございます。「入らない」以外の出来事も同じくらい重くのしかかっていたことなので、そこも読んでいただけて嬉しいです。』

と返事が来ました。話し言葉でコミュニケーションをとることが苦手でも、彼女のように書き言葉できちんとコミュニケーションをとることができれば、それでいいのです。自分を表現する手段が一つでもあればそれでいい。それが一方通行ではなく、相互通行できていればいいのです。

そしてこの本のおそらく最大のテーマであろう「普通」を求める、求められることの理不尽を思うのです。みんなと同じでいなければならない窮屈さ、それをお互いに求めている不自由さ。

実はね、一緒に買ってきたこの本『ヒトは「いじめ」をやめられない』に、奇しくもそのヒントがあったのですよ。

セロトニン。

この読後感想文も書きますので。

秋の夜長は読書です。

他人には期待しない

こんなツイートがタイムラインに流れてきました。
なるほど。私にもこの体験はあった。この欲求、この感情があった。そしてこれにケリをつけるのが一番厄介だった記憶があります。
人をどうしよう=他人を支配し、操作(コントロール)しようとする欲求。
人にどうしてもらおう=他人に依存し、無意識に他人の下に入り込み、他人に結論を委ね自立、自律を放棄する。

ACの特徴に「過剰」という嗜癖があります。100か0か、All or nothing な感覚。中庸がないのです。これを他者に求める。

他者とほどよい距離をとる、ほどよい関係を保つ、ができない。幼児期からの見捨てられ不安が今も続いているのでしょう。

幼児期、親とべったりくっついて過ごす安心感を得られていないままなので、成長と共に離れていく体験もないまま大人になったのです。これを親以外の他者に求めてしまう。

ACの対人関係の過剰さはここからくるようです。

All or nothing ですから「他人に期待しない」と書かれると、相手を拒否する、関係を遮断する、嫌いになることと勘違いしてしまう。

他人には期待しない、とは具体的にはどういうことでしょうか。どうすることなのでしょうか。

❶ まず「他人は他人」「自分は自分」と自他の境界をはっきりさせる。

❷ 自分の欲求や感情で他人を支配・操作しようと思ってはいけないし、できるものではないと知る。原家族では行われていたかもしれないが、赤の他人には通用しない、通用させてはいけない。

❸ 「期待」という言葉を「支配」「操作」に置き換えてはいけない。期待はあくまでも期待。それが叶わないと相手を恨む、憎むのは相手の問題ではなく、自分の側の欲求や感情に問題がある。

❹ 他人に期待しないと同様に、自分にも過剰な期待しないこと。自分に期待して、それが叶わなかった時の打撃の方が大きいと想定できる時は、自分に負荷をかけないこと。できそうな目標を立てることはOK。1か100か、ではなく50でいい、20でもいい。どちらでもない中庸の心地よさを知る。

❺ あなたを受け入れるから、あなたも私を受け入れて!など交換条件を出さない。あくまであなたはあなた、私は私。それぞれ別の人格。お互いに自由であること。

やってみてください。
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自分の親からも同じように育てられた

痛ましい事件が続いています。

私は加害者がどんな育ちをしたのかをいつも考えてしまいます。

例えば我が子を虐待死させた親は、自分の親からも同じように育てられたのではないか。

例えばその場に居合わせた無関係の人を殺傷した青年は、自分の親からも同じように育てられたのではないか。

私の育ちの歴史にも、似たようなことがあるからです。

機能不全家族に生まれ育ち、普通の愛をもらえない幼児期、少年少女期を過ごし、死ぬことはなくても実際の死に等しい、もしくはそれ以上の親からの暴力を受け、自分の身体ではなく心を殺しました。

親からの言葉、視線、仕草、無言などの親からの攻撃。

ACにとっての死は、心の死も身体の死もそう変わらないのかもしれません。振り返ればACは何度か死を体験しています。自分で自分を殺すのです。

見たくないことは「なかったこと」にする。記憶から消し去る。強い恐怖と遭遇すると乖離(かいり)する。必要があれば嘘をつく。小さい頃から自分を守るためにしてきたことです。自分を拒否されたら死んだことにする。そうしながら生き残ってきた「人生のサバイバー」がACだといえます。

親に褒められたいために、親の愛を受けたいがために自分の人生を差し出してきたのですが、それが報われることはなく、子の大きな失望はいつか恨み憎しみの感情に変わります。最愛の人との関係が上手くいかないということは、子にとって最大の悲しみ、汚点です。他者との良好な関係が築けない原因がここにあるようです。親への愛着は簡単に拒否されたため、他者とはそれ以上の関係が作れないのです。

その恨み憎しみの感情は他者にも同じように、親へ向けるよりも簡単に向けられます。

誰にもあるであろう心の傷

健全に育った子と機能不全家族に育った子では、見た目の大きさが同じでも深さが違うような気がします。

これを治すにはとても時間がかかります。根気も自我の強さも必要でしょう。恨み憎しみ怒りの感情をコントロールする方法を身につけることも、そもそもそんなネガティブな感情をできるだけ呼び起こさなくても済むようにならなければ。親に差し出した自分の人生の時間を取り戻さなければ。恐怖に震えているインナーチャイルドを癒してあげなければ。他者とのコミュニケーションには暴力や支配ではなく言語だけが必須だということを学ばねば。

親から受けた傷は簡単には癒えません。

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