自治会の歴史(追加5)皆の努力で続けられているサマーフェスティバル

広報担当副会長

ここでは、サマーフェスティバルが東急不動産主催から地域主催に変換した平成14年~平成19年頃の第一自治会の活動の思い出を書きます。東急不動産主催の頃は、タレントを外部から呼ぶのが目玉でした。資金がないため、それを自分たちの手作りでやろうというのが、地域主催でした。

模擬店大賞:(泉田会長、森山会長)

集会所にある表彰状を見ると、第一自治会は平成14年、15年(2002年、2003年)に2回も模擬店大賞を受賞しています。以前からフェスティバルには熱心だったことが分かります。

あすみが丘サマーフェスティバル実行企画委員会委員長は森山あすみが丘第一自治会長)

平成16年(2004年)、平成17年(2005年)は、東急不動産主催から地域主催への変換期です。平成16年に東急不動産から「主催を地域に変換してほしい」との申し入れがあり、サマーフェスティバル実行企画委員会が設立されました。初代の会長は、あすみが丘の新住宅地で一番古い第一自治会の森山会長でした。副会長をしていた私は第一自治会担当として参加しました。この年のサマーフェスティバルは20回目で「はたちの独立」と銘打って行われました。この年は地域主催ではありましたが、東急不動産の支援がありました。新企画として、よさこいソーラン、和太鼓すめらぎ、ジェフ千葉お届け隊などが組み入れられました。花火時の参加者は警察調べで5000人、第一自治会模擬店訪問者900人の記録があります。露天商のまとめ役、花火師との交渉は旧市街の方が得意でした。黒い帽子を斜めに被ったカッコイイ露天商のまとめ役が回ってきた時には、露天商の皆さんが緊張していたことを思い出します。

最初に独立した地域主催サマーフェスティバル:こどもフェスタ2007

最初の独立した地域主催のサマーフェスティバルは平成19年(2007年)でした。片山会長の頃で、文化体育部長は寺本さんでした。この年は資金がなく、まったく手作りの子供向けフェスティバルでした。その頃、活躍したのは森山さんです。テント張りの指導はいつも森山さんでした。この年は竹馬、水鉄砲、缶馬とびの指導も森山さんがしました。よさこいソーラン、紙ヒコーキも人気でした。打ち上げ花火が出来なかったので、代わりにナイヤガラを含めた子供花火をしました。これが意外に大変人気でした。活躍したのが、大木戸サッカークラブと寺本さんでした。子供向けのミニサーカーもやりました。

以下に特記事項を3点追加します。

よさこいソーラン「翠天翔」

平成17年(2005年)、私は実行企画委員の一人として、あすみが丘プラザの運営委員代表をされていた土気町のMさんの所へ、地域で参加して貰うのにいい団体はないかと相談に行きました。紹介して頂いたのが、よさこいソーラン「翠天翔」代表の女性Sさんでした。その後、翠天翔とのお付き合いは続き、数年前まで寺本さんと一緒にサポーターとして、夫婦でクリスマスパーティーに参加していました。長谷部さんと一緒に、あすみが丘ふるさとエクスプローラーで取材したこともあります。

土気高吹奏楽団:

土気高との関係は、平成16年(2004年)に国際交流で引率の先生のホームステイを引き受けたことに始まります。その時は、寺本さんにお願いして、お宅で土気高の先生方も含めたガーデンパーティーをしました。土気高とはその時以来の付き合いです。サマーフェスティバルになくてはならない存在になりました。吹奏楽は土気・土気南・大椎の3中学にも拡がりました。

個人募金の始まり:

平成17年(2005年)には、まだ東急不動産の支援があり、それに加えて商工会の募金で運営していました。その頃、第一自治会の近くの商店街に募金をお願いに廻ったことがあります。その中には、苦しい経営の中から協力して頂く所もありました。このことを寺本さんに話すと、「僕も出します」と言って頂きました。「ならば、私も出します」と言ったのが、個人募金の始まりだったと思います。配られ来た募金者名を書いたチラシには、商店・クリニックらの他に、2名だけ個人名が載っていました。寺本さんと私の名は同じ大きさで書かれていましたが、寄付金額は寺本さんが一桁多かったのです。その後、自治会単位で募金が回るようになりました。

 

 

 

自治会の歴史(追加5)皆の努力で続けられているサマーフェスティバル」への1件のフィードバック

  1. 商工会と仲良くしたいですね!創造の杜の花火も限界では?ドッキングすると、もっとダイナミックな花火大会になるかも?
    昭和の森の花火大会は屋台のテキ屋さんも含め、毎年結構な人出です。

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