1月15日の記事

「し」
には、どれだけちょくめんしても
なれない。
それが、りあるにうごくすがたをしってるなら
なおさら。
できることなら
さけていたいけれど。
たくさんのおもいでがある。
ちいさいころのおもいでは
いまもきえない。
いまになって
はなしをきいてみたいこともあったけれど。。。
でもいまは、
ありがとうございます。
そして、
おやすみなさい。。。

“1月15日の記事” への6件のフィードバック

  1. 慣れなくていいんですよ。
    慣れるものじゃありません。
    生命のあるものは皆いつしか
    尽きる時が来ます。
    考えたくもないけど現実かな・・・
    私と出会ってくれてありがとうって
    感謝して今は手を合わせる事が
    精一杯の姿勢だと思います。
    ありがとうって・・・

  2. 自然の摂理として
    これほど当り前のことはないと
    十分にわかっているのに
    自分の大切な存在に訪れた時は
    これほど受け入れがたいことはないと思います。
    慣れるものじゃないですね。
    胸の痛みが強いほど、ありがとうが大きいです。

  3. 私には
    身近な「し」は
    受け入れられないかもしれない
    自分が死ぬより
    まわりの人がいなくなるのが怖い
    青島さん
    無理しないでね
    (ノ_<。)

  4. ☆まるみ さま
    ありがとうございます。
    この先何度あっても慣れないと思うし、慣れたくはありません。
    仕方がない事だけれど、まるみさんが書かれているように、
    「感謝の気持ち」を持っていたいと思います。
    何せ幼少の頃の自分は我儘放題でしたから…
    今も変わってないけど…。
    それにしても身近に感じれば感じるほど、意識してしまいますね…。

  5. ☆Bessel さま
    ありがとうございます。
    本当、判ってるんですよね。当たり前の事なんですから。
    でもやはり起こって欲しくないというのが本音です。
    小さい頃の記憶しかないんですけど、
    それでも思うことは沢山あるわけで…。
    もっと色々話を聞いていれば良かったな…って、
    今更ながら感じています。

  6. ☆小さな釣り人☆彡 さま
    ありがとうございます。
    実は同じ事を思っていました。
    「自分が死ぬより周りが居なくなる方が耐えられない」
    って。
    残されるのは辛い。って。
    自分が生きる年齢が延びれば延びるほど思う。
    どうあがいても仕方がない事なんですよね。
    「これが当たり前」と冷静になれるのか。
    と、思いたくは無いけど、ぼんやり考えてしまいました。

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