19. 生き物の知性に境界線があるのでしょうか?

 多くの動物は、知的で他の動物を利用して食べ物を手に入れたり、言葉を作り出したり

迷路から脱出したり、いろんな問題を解決する能力を示しています。 植物には、

これと同じことが出来るのでしょうか。 これまで記述してきた植物の知性から、もちろん、出来ます。

いつも植物達は複雑な戦略を使って捕食者から実を守る。この際に、ほかの生き物を巻き込むことも

珍しくありません。受粉のために信頼できる「配達人」に花粉を運んでもらう。 障害物を迂回する事も、

お互いに助けあったりします。 動物を狩ったり、上手く操ったりできます。 栄養分、水、光、酸素を手に

入れるために動く事も出来ます。

 このように植物は、動物と同じことが出来ます。それなのに、なぜ、「植物はあらゆる点で知的な生物である」

と認めないのでしょうか。

 このように考えてくると、知性はすべての生き物の特質であり、最も下等な単細胞生物さえも、持っているはずです。

生きていくためには、絶えず問題を解決し続けなければなりません。そして、さまざまな問題は、本質的には

人間に降りかかる問題と大して変わりません。 生き物がぶつかる問題は、食べ物、水、居住地、仲間、防衛、

繁殖など、私達が今、直面している問題の多くも、もともとは、この様な問題から生じているのではないでしょうか。

知性が無ければ命ではないと、この明らかな真実を認める事に、ためらいはないでしょう。 

 確かに、人間の知性は細菌や単細胞の藻類の知性よりもはるかに優れています。ただ、その違いは量の、

違いに過ぎず質の違いではありません。

 もし、知性を「問題を解決する能力」と定義するならば、知性を持っている生物と持っていない生物との間に

境界線を引くことは不可能です。 知性は生命に初めから備わっているものとして考えるべきではないでしょうか。

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