親の気持ち

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最近福島の第一原発の事故処理現場で、また汚染水がタレ流しになっていた事実が明るみになりましたね。
なにより心配なのが、マスコミの取り上げ方が少なくなったことです。
マスコミの取り上げ方が少ないということは、世間の関心が少なくなったということに等しいと思います。

この事故が起きた当時は、多くの親御さんも汚染された食べ物をいかにして見分けるかということについて気を病んだのではないでしょうか?
また、小さなお子さんがいるご家庭では、子供の遊び場の放射能汚染にも気を付けたりしていませんでしたか??
多くの親御さんも、自分の子供の未来には、自分たちの世代が作り上げてきた負の遺産を残すことへの《負い目》みたいなものを感じたのではないでしょうか??
私もそう思いました。『自分がもっと世の中のことを勉強し、少なくとも原発についてはもっと声を上げることができたのではないだろうか??』と。
大きく反省しました。ただ、『じゃあ何ができるのか?』とはいっても、一介のサラリーマンで何ができる訳でもありません。
でもですね。じゃあ『何もしないか?』というとそれも私の中では『NO』でした。悶々とした結果たどり着いた考えは、『自分のできることを、自分のできる範囲でやれれば良いのではないか?』ということでした
例え原発だのなんだのという大きなテーマではなくとも、『少しでも未来のこども達により良い未来を残すための活動ができれば良いのではないであろうか?』ということでした。
私はたまたま企業人時代に、Sustainabilityについて学ぶ機会がありましたので、その知識や経験を活かすことができました。
こども達の為の活動だからこそ、『こども服・こども用品』であり、これらを通じて『ものを大切にするココロ』を啓蒙し、ムダにしない、資源を分け合う、といったことを生業にしてこうと決めたのは、このような背景がありました。
ただ、もちろん疑問もありました。『世の中の親御さんたちが、理解してくれるか?』ということです。
私も人の親です。『自分の子供には幸せになってほしい』というのは、ごくごく当たり前の気持ちですよね?
自分の子供も含めて10人のこども達が飢えていたら、パンが一個しかないとしたら、まず自分の子供にパンを与えたくなるのが人情ではないでしょうか?
何が言いたいかというと、私の訴える大義は皆さん理解してくださるだろう、と。ただし、じゃあ『自分の子供に古着を着せるのはまた別話だ』ということになりかねないかということです。
《大筋賛成、各論反対》ということです。
『自分の子供が来た古着をよその子が着る』ということと、『よその子が着た古着を自分の子供に着せる』ということがイコールにはならないということですね。

いま、まさしく私はそこに課題を見出しています。『古着を自分の子供に着せる』ということに価値をどう見出してもらうか?ということです。
それは単に《古着》を着せるというだけのことではなく、《その子と、その子と同世代の子供たち全員の未来をより良くする》ため選択なんだと。
どうかご自身のお子さんの将来を心配されるならこそ、《古着》を着せるというのも大事な選択なんだということに気づいて頂けると有りがたいと思います。

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