3.11の記憶

その日は月に一度の絵手紙の有償ボランティア
駅近くのスーパーで描材を買います
野菜 果物 花 季節のものを少しずつ
フードコートで 時には駅ホームのベンチで軽いお昼
京葉線で千葉へ 乗り換えて誉田駅で降ります
待ち合わせたIさんと一緒に迎えの車に乗り施設へ
この住居型老人ホームは スタッフみなさん優秀です
目を離さず 手を出し過ぎず が行き届き 入居者もその家族も幸せそうです
入居者は介護度が高い 車椅子の方がほとんどです
すっかり顔なじみのみなさんと 絵手紙を描いて楽しい時間を過ごします
絵手紙を描くよりもお喋り 若い頃の思い出話のも花が咲きます 涙もあります
高齢者ですから長時間は持ちません 長くて2時間ほどで片付け
その時でした 大きな長い揺れ
それぞれの部屋に戻ろうとしていた入居者も 何が起きたのか分からない様子
しばらく続いた揺れが収まり テレビのも画面には東北の津波の様子
現実に起きていることなのか CGなのか 惨状です
停電 水道の停止などはなかったのが幸いです
地盤の良いところに立地しているので 建物にも被害はありません
災害時には携帯が使えなくなることを初めて知りました
メールももちろん不通
唯一Twitterだけが生きています これには助けられました
鉄道 道路 周りの被害状況 少しずつでも入って来るのが安心になりました
しばらく様子をみて 施設の責任者Tさんが車を出して送っていただくことに
裏道を通って同行のIさんは無事帰宅
その後千葉市の中心部を抜けるのですが 大渋滞
海沿いの357号線 辿り着くまで車が動かず 途中で降りて歩きます
国道から海側に1本入った道路を歩くと被害の様子が見えて来ます
地盤の液状化 斜めに傾いた電柱 垂れた電線 周りは停電で真っ暗
やがてiPhoneのバッテリーは切れ
帰宅困難者途中ですれ違いながら 黙々と歩くこと3時間 ようやく帰宅
室内の被害を覚悟してましたがそれもなく安心しました
あれから4年
波打った路面も 陥没した水道のポンプ室も 川岸の防波堤も復旧しました
でも 絵手紙を被災地にも送る活動を続けて 入って来る現地の状況は
何一つ変わってはいないということ
仮設住宅の暮らしは耐え難いこと
復興住宅の建設は 遅々として進まないこと
放射能汚染は 今この瞬間にも広がっていること
何も終わっていません

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