人間の知性にしかない特徴とはどんなものだろうか、理解する事は容易ではありません。
人工知能の分野では、数十年前から、人間の知能の本質はどのようなものか、機械と
人間を区別するのは何か、というテーマについて議論されてきました。
人類は、自分たちが生物の中で最も優れ、宇宙の中心を占めている存在だと、数千年の間、
信じてきました。しかし、今では、この確信は根底から揺るがされ、決定的に否定されました。
まず、私達が住んでいる地球は、宇宙の辺境に位置する銀河系の、取るに足りない一惑星に
すぎないことが判り、地球を中心に置く宇宙の概念を捨てなければならなくなりました。 さらに、
人間は他の動物とよく似ていて、人類の起源さえも動物にあるのだと認めなければならなくなって
きました。 そのために人間は、人間以外の生き物と自分達を区別するために、動物には
乗り越えられない概念の壁を築き始めました。 例えば、人間しか言語を使用しない、人間しか
道具を使用しない、かっては、複雑な計算を行うのは人間だけでしたが、今では、わずか、500円で
買える安物の計算機と張り合おうとする人はいません。何世紀も時間が過ぎゆくにつれ、人間は
徐々に退却を強いられています。
かって人間が独占していると思われていた知的な特徴を、機械がまねする事が出来、しかも
その能力を人間以上に向上させる事が出来るという事実は、いったい私達に何をもたらすのでしょうか?
最近のコンピューターは、人類最強のチェス・チャンピオンや将棋のチャンピオンを負かすことが出来、
さらに、現在、人類最強の囲碁のチャンピオンも負かすことが出来ました。人工知能は、あらゆる事項を
一つのミスもなくそして、ほとんど際限なく記憶する事が出来ます。
人工知能のこうした成功に対して、「機械にいろいろなことが出来ても、それ自体は本当の知性の現れではない」
と考えています。しかし、こうした事態がどんどん進んでいき、知性をもつ人間の特徴であると考えられていたもの
すべてを機械がまねできたり、人間以上の事が出来たりするのなら、いつか人間が機械よりも下位に位置して
いることを認めなければならなくなる日が来るのではないでしょうか?
そうだとすると、人間とほかの生物とを区別するよりどころとして知性をとらえるのと、人間と他の動物や植物を
結ぶ絆として知性をとらえるのとでは、どちらが賢いのでしょうか?
人間の傲慢さを改める時代に入ってきたのではないでしょうか?