地震発生から10日以上経ちました。
皆さんはどのようにお過ごしでしょうか?
私はとうとう先週末、子供と二人で大阪の実家に
帰省を致しました。 帰省というより、避難か・・・
計画停電や物資不足、水の出が悪いこと、余震や原発・・・
などなど、日常生活の不便さや不安などで、落ち着いて
生活できないこともあり・・・
実家の祖父母も孫と遊びたいようなので・・・
浦安の、北の元町地区は水道の出も少しづつ回復してきており、
保育園も再開してはいたのですが・・・
計画停電は、結局17、18日と2日ほど実施されました(確か・・・)
いつもは家での図面描きが多いのですが、その日は
大阪行きの前にと、相手先にお願いしての打合せ。。。
お昼からの打合せが始まってすぐ、 ケイタイに保育園から
「2時から5時まで停電です。早めにお迎えを」って・・・
それはないやろ~!! 全然予定が立ちません・・・
まあ、電車も止まってしまってる時間帯だったので、
お迎えはムリ。。。
打合せも、計画停電が無いところ、 浦安か先方か中間エリアか、と
すったもんだした挙句にやっと決めたのに・・・
浦安付近にしなくてよかった。。。
東西線は動いていたので、戻ってくると、お店はどこも閉まっており、
シーン。。。 浦安駅前は信号もストップし、車が大渋滞。。。
保育園は暖房も切られ、 薄暗いカンジ・・・
日中なのでまだ明るさはあるけど、やはり夕方や晩は
どこにいても子供にとっては安全ではないな~って思った次第。。
家で停電の準備をしてても、ロウソクやマッチは、
子供から目が離せないので使えない。。
懐中電灯をいくつも用意したところで、 子供と二人で
家の中で過ごすのは危ないな~ って思った次第。。。
(皆さんはどうですか?? 子供と上手く停電の夜を乗り切れた?)
計画停電で生活のリズムが左右されるのも、小さい子供には
体が対応しづらいので、難しいな・・・
保育園の給食もサンプルを毎日見てるけど、 お皿にラップ敷き、
その上に食べ物が。。水が出にくいから仕方ないんだけど、 これじゃ
誰かが何か病気を持ってきたら・・・と考えるとネ・・・
内容も簡単なものばかり・・・ うーーん
(結局保育園は今週からお弁当持参になったようです)
被災された方々や避難所生活で不自由な生活を送る皆さんと
比べると、恵まれており、文句をいうことが恥ずかしいぐらいの
お話なんですが・・・・
大人が我慢したり工夫したりするのは、出来る事が多く、
やりやすいのですが
小さい子供にこれらを強いることは、出来れば避けたい、と思うのが
親心なんでしょうか・・・
幸い、私の仕事も多くはノートパソコンとネット・メール・電話で
済ますことが出来なくはなく、 今の仕事の一つは峠を越えていたり、
模型作成の話は、ゴメンナサイ、と事情を説明し、延ばしてもらったり・・・
急遽、打合せに伺い、遠方でもやりとり出来るようにしてきたのでした。。
そんなこんなで、超バタバタで、荷物をまとめ、宅急便にも載せ、
浦安を後にしたのでした。。。
本当は少しでもボランティア活動などして、被災地や浦安の支援を
したいという思いがありながら、小さい子供がいると、 やはり自分の
子供の面倒を見たり、家族のサポートをするので精一杯。。。
神戸の時のように、自身の身が軽いわけでもないので、簡単に
動き回れないし、すぐ被災地へ入ることも出来ないし、
(浦安の支援なら出来るけど、日中子供を保育園に預けて
ボランティアするのは、ちょっと違うよね・・・ )
かなり歯がゆい想いをしながら・・・・
大阪に帰るのは心苦しかったのですが、
子供の安全を優先させると、 こういった選択になったのでした。。
大阪に着いて、なによりホッとしたのは、余震など無いこと。
浦安ではしょっちゅう 「緊急地震速報」 が流れ、 子供と大きな
テーブルの下に潜り込むことが多かったのです。
子供は懐中電灯を、私はケイタイを持って、と手馴れたもんですが。
速報が流れなくても、 子供も、私もちょっとの揺れにとても敏感に
なっていたようです。
大阪の実家に来て、当初は、室内のドアが風で開いたり、
窓が風で軋む音を立てるだけで、揺れてる?っとビクッとしてて、
改めて揺れに敏感になっていたんだな~っと思った次第です。
(神戸を体験した人ならわかりますよね。余震に随分と怯える
日々で、 中々、たいしたことないやんー っと少々の揺れにも
動じなくなる のには随分と時間が掛かりましたよね。。。)
もう一つ、ホッとしたのは、やっぱし、大阪弁!
新大阪駅に着き、乗り継ごうか、晩御飯を食べようか
迷いながらも、切符の精算窓口へ。。
「**まで行きたいんですけど、この切符で乗り継げる?
いくらの追加?」と私。
金額を言われたので、
私は「ここで一旦外に出ても、乗り継いでも料金は一緒なの?
ゴハン食べようかと思ってンねんけど・・・」
駅員「それやったご飯食べはった方がええんとちゃう?
お金は一緒やで~。ゴハン食べるんやったらここの改札は
アカン(通れない)から、あっちの改札通ったら
ゴハン食べるとこ、ぎょうさんあるで~ 」
私は、出た、大阪弁!!っと心の中で嬉しくなり、
ニヤけながらも御礼を言い、その改札を後にしたのでした。。
(こういうやり取りって関東では無いよね~)
ゴハンを食べに入ったのが、目に付いた「551の蓬莱(ほうらい)」
おー久しぶりやな~と思い、即決。 席に案内されるや、
私の大きな荷物も見て
「これ奥で預かりましょか、大変やろ~ 貴重品とか入っておまへんな~」 と。
なんでこんなに大阪弁なん!!っとニヤけながら、
席に着くと、定員がメニューを。
「何にします~」 「お冷(おひや)、置きますね~」
もう何から何まで大阪弁で嬉しゅうなってきたわ~
きっとこれが大阪では普通なんやね・・・ (当たり前や!!)
久しぶりに地元の雰囲気に包まれ、気持ちがとっても和んだのでした。。
こういうのが一番の癒しになるな~っと思った次第です。。。。
きっと被災された方々も地元から離れると新たな不安や慣れない環境で
心落ち着かないことでしょう。 そんな時、地元の言葉で言葉掛けして
もらえたら、少しでも気持ちがほぐれるのではないでしょうか。。
そんなことを想った、帰省の一コマでした。