5年か。。。
あの日のコトは明確に覚えている。
429が今の場所に移転してちょうど1ヶ月たった日のコト。
15時の開店を待ち
シャッターを半分開け、まだ新しいレジのカウンターに座り同じようにパソコンに向かいブログを綴っていた。
カラダにも感じる小さな小刻みの揺れから急変、大きく“店が揺れた!”
直感的に思ったのが
『やべえ!店が潰れる!!』
耐震の問題で郵便局が移動した築40〜50年の古い建築物である。
『移転してまだ1ヶ月なのに。。。』
瞬間的にそう思ったのを鮮明に覚えている。
潰れる!ヤバい!と思いながら急いで外に出ると
足元にゴジラでもいるのか!?と思える程に地球が揺れていた。
『地割れするかも!』
なんて恐怖したのは、今思えば映画の見過ぎだが
少しの間【死】を覚悟した記憶もある。
揺れが治まり、お店も無事で、気持ちの整理をする為に周囲を自転車で巡回してみてもアパホテルの前が濁流だったコト以外はあまり印象に残っていない。
[液状化]なんてコトバも知らなかった当時は、水道管が破裂したのだろうくらいにしか思っていなかったし、意外に大丈夫だったな。。。なんて軽く考えていたりして。。。
今思えば20代、京都で経験した阪神淡路大震災も同様だった気がする。
寝ている時に下から突き上げるような大きな揺れで起こされた。
3階建ての2階に住んでいたのだが、1階は吹き抜けの駐車場。
10本程の柱で宙に浮いている状態。
その時も
『やべえ!マンションの柱が折れる!』だった。
しばらくして揺れが治まりテレビをつけると、京都周辺の震度だけが速報で流れていて
『今回はデカかったな。。。』
なんて思いながら2度寝。
明るくなるまで小さな余震にも気付かず寝ていたのかもしれない。
再び起きてテレビをつけてコトの重大さに驚いた
神戸が壊滅状態になっていた。
今日から5年前もソレに気付いたのは夜になってから。
周囲は少しの不安と、興奮、そして緊張の糸がプッツリと切れた状態だった。
仕事場に行けなくなったというお客さんと近所で呑みながら観た報道番組で初めて知った。
それでも津波というものをよく理解せず、少し酔いが回ったアタマでソレを眺めていた。
2004年のスマトラ沖地震での被害は『インドネシアの住宅が脆いから!』なんて勝手に決めつけて、ただただ何かのサポートになればと前職でチャリティーTシャツの販売に努力するも、【身近でない遠く異国で起こった災難】に何か少しだけでも。。。そんな気持ちだった。
ボクはナニモシラナカッタ
地震から数ヶ月後、近所にあるラーメン屋【一’s】さんの炊き出しに参加させていただいた。
何をしていいか分からない
何が出来るか分からない
分からないから何もしないのか?
ひとりのチカラで何か出来るのか
対象があまりにも大きすぎる
微力すぎるから何もしないのか?
それを見て、触れて、知り、感じてみたかった。
当時のブログ
http://blogs.makusta.com/429/tsunami-relief%E3%80%80%E3%80%80南相馬の思い.html
既に4ヶ月が経った被災地を見渡して感じ
被災者の方々とふれて考えたこと。
炊き出しの合間に現地のボランティアの方々とお話させて頂いた。
『今、我々にできるコトはなんですか?』
『今、被災地に足りないモノはなんですか?』
返って来たコトバにハッとしたさせられました。
『物資は余る程にあるんです。』
『気力のある人は既に自ら動き出していてココからは出て行ってるんです。』
『過剰な援助は彼等にとって良くないことかもしれません。』
『今、彼等に必要なのはほんの少しの娯楽とやる気を起こさせる為の希望です。』
『そして、今の現状を多くの人たちに伝えてもらうことなんです。』
その場はジブンらしく何が出来るか分からないまま少しでも癒しになればと持参した数百枚の『イルカの写真』を預けて幕張に戻ってきました。
海のコトを連想させてしまうから、扱いはお任せしましたが。
『体感し、知り、伝える』ソレに何かを感じてくれたヒトがまた『行動し、体感し、知り、伝える』
その伝播なら今すぐできる!
お店という場所もある。
ブログもある。
仲間もいる。
ボクにデキルコトガミツカッタ
今我々にできるコトをこの日くらいは考えても良いのかもしれない。
そう考えるとあの炊き出しの日
最大のMVPは彼だったのかもしれない(笑)
そしてそんな機会をシェアしてくれた一’sさんには感謝の気持ちでいっぱいです。
http://blogs.makusta.com/429/お風呂覗いちゃ~ダメぇ.html
『ドラえもん のび太とロボット王国』より
Tsunami Relief