なるほど

教えていただきましたのでシェアしました

幕張新都心に千葉の花火大会が引っ越してくるという話題がちらほら・・今年の夏は楽しみにしています。
昔書いたネタから
玉屋~鍵屋~打ち上げ花火を見るときの掛け声ですが、この掛け声をかける人は最近少なくなりました。
この玉屋、鍵屋とは何か?これは江戸の花火屋の屋号でした。(屋号は三河屋とか越後屋とかいろいろありますね)
大和国篠原村出身の弥兵衛という男が江戸へ出てきて、1659年日本橋横山町で「鍵屋」を開きます。1808年、7代目鍵屋から暖簾わけというか、新しくできたのが「玉屋」です。
なぜ玉屋、鍵屋と付けられたのか?これは鍵屋の守護神とされていたお稲荷さんの狐が、一方は鍵をくわえ、一方は玉をくわえていたところから付けられたといわれています。
玉屋が出来ると、両国橋を境に上流を玉屋が担当し、下流を鍵屋が担当して花火を打ち上げていたといわれます。おなじみ「玉屋~鍵屋~」と江戸の花火もピークを迎えます。
こんなことがうたわれています。
「橋の上 玉屋・玉屋の声ばかり なぜに鍵やといわぬ情なし」 (鍵と錠をかけています)
これは「玉屋~」の声が勝っていたことをうたっているわけですが、確かに「玉屋~」「鍵屋~」と玉屋が先に言われていることや、「玉屋~」の声が多いと感じませんか?
このことについては玉屋の技術がとても高く、人気が勝っていた説がよく言われています・・が、実際のところはどうだったのでしょう。
しかし、「玉屋」はその後、失火をしてしまい、幕府は玉屋を江戸所払い(追放)にしてしまいます。たった一代、三十数年間しかありませんでした。
江戸から現代に玉屋の屋号を伝えたのは、玉屋の技術の高さのほかに、江戸の人たちの玉屋に対する名残惜しさかもしれませんね。
鍵屋は「宗家鍵屋」15代目として続いており、千葉県では浦安の大花火大会などを行っています。
一方、所払いとなった玉屋は、その後廃業してしまったようですが、実は千葉県の八千代市にある花火店が、玉屋直系ではありませんが、3代くらい前から玉屋の暖簾をつなぎ「元祖玉屋花火店」として名前を残しています。
したがって、千葉市で行われる花火大会では、この「元祖玉屋花火店」が関わっていることをみつけることができます。

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