真実とは?

巷では「戦国武将」なるものが流行っているようですが
私は、幼少の頃から「織田信長」がにあこがれていました。
ただ、不思議なのは、本当に信長は光秀に討たれたのか?
そんなに簡単に、あの信長が殺されるわけがない・・・とか
そんな中、こんな本が数年前に発刊されました。
いつか買おうと思いながら、ズルズルと
でも、やっと手に入れました。
なんと、作家は明智光秀の子孫でした。
さてさて、ゆっくりと謎を解いていこうかな。

9件のコメント

  1. くまさんちん

    本能寺の変は確かに謎だらけですね。
    光秀はだれかに操られていたのか、
    もしくは協力者が居ないと決起は難しかったと思いますよ。
    ここから先は勿論妄想空想ですが、
    実は秀吉、家康、光秀は結託して
    信長の暗殺を画策!
    動機は家康は嫡男信康を武田との内通を疑われて切腹させられている恨みが有り、光秀も所領没収や母親を殺されているので恨み満載。
    秀吉は毎日信長に恐怖を覚えていて自分が取って代わらないと何時粛清されるかわからない毎日。
    しかも秀吉軍師の黒田官兵衛は有岡城で捕虜になってる間に息子が殺されかけている(もしくは本当に殺されている)ので信長への恨み大有り。
    とにかく殺られる前に殺っちまえみたいな感じで・・・
    ・・・続き聞きたい??

  2. コメントありがとうございます。
    続き
    もちろん聞きたい。
    例えば、信長の自殺説とか・・・

  3. くまさんちん

    信長の自殺説の検証は後日するとして・・・
    続き、
    秀吉、家康、光秀の3名は密使を頻繁に交わし事を計画する。(書状は使わないバレたら証拠になっちゃうから)
    秀吉は毛利攻めで中国地方に進軍中だが
    わざと戦を長引かせて苦戦を演出。
    そして信長を安土から京都へおびき出す。
    家康は信長を油断させる為わざわざ堺まで出向くが、事件後の帰り道はちゃっかり確保済み。(服部半蔵が大活躍)
    光秀は当時織田軍の武器庫であった本能寺に信長が滞在する日に併せて出陣。
    (襲撃時、火薬に引火してくれれば逃げられず仕留められるとの思惑)・・・
    そしてその時は来た!
    天正10年6月2日 未明!!
    次号 待て

  4. くまさんちん

    続き、
    本能寺を囲んだ光秀軍は一気に攻め立てる!
    一方、信長は少ない護衛の中奮戦するが、衆寡敵せず脱出を試みる。
    本能寺には隠し通路があり南蛮寺まで
    脱出できるはずだったが、保管されていた火薬が大爆発を起こし通路が塞がってしまう。
    信長は生き埋めに・・・
    結果、遺体は発見できず。
    予定では信長亡き後3人で協力して日本を治めようとしていたのに、遺体が見つからないところで秀吉の野心に拍車が掛かる。
    光秀の単独謀反と言う事にして権力を全て手に入れようとする。(ここで官兵衛が大活躍)
    秀吉が中国大返しであれほど迅速に畿内まで帰ってこれたのは、毛利方への密使を捕まえたからではなく、元々光秀からの信長討つの報告が有ったから。
    報告の中で遺体が見つからなかった事を知り次は光秀さえ潰せば・・・となったわけである。
    続く・・・

  5. くまさんちん

    続き、
    まだその時点では光秀は秀吉と戦うことなど想定していなかったのに、急に裏切られて山崎の合戦へ突入することに・・
    慌てて細川忠興や筒井順慶に援軍を頼むも断られ孤立。
    戦意も兵力も劣る光秀軍は秀吉軍に惨敗。
    光秀は土民に竹槍で刺されて死亡・・・
    って伝えられているがそこでは死なない。
    家老の斉藤利三が身代わりになって死亡
    その間に光秀は逃げ仰せ暫く身を隠すことに成功。
    家康は秀吉に出し抜かれたが、2人の争いを傍観することに・・
    続く

  6. くまさんちん

    続き、
    光秀軍を破った秀吉は織田家の重臣を仲間につけ信長の実質後継者に・・・
    仲の悪い柴田勝家とは賎ヶ岳で決戦!
    絶世の美女 お市の方は前夫 浅井長政と息子万福丸を秀吉に殺され、しかも女の感で兄、信長を殺した黒幕が秀吉だと気付き勝家の力を借りて秀吉に復讐を果たそうとする。・・が結果は秀吉軍の勝利。
    勝家、お市の方は自害
    茶々、初、江の三姉妹は秀吉の下へ
    続く

  7. くまさんちん

    続き、
    時が経ち秀吉の側室となった茶々は淀の方として大阪城に君臨
    しかし両親の仇である秀吉に心を許すわけも無く、我侭放題で豊臣家の財政を傾けさせる。 秀頼の父親は秀吉ではなく
    大野治長あたりでは・・・
    ちょうどその頃に隠れて修行していた光秀が南光坊天海として徳川家康の宰相となって再び世に現れる。
    併せて光秀の家老だった斉藤利三の娘
    おふくが家光の乳母として徳川家に召抱えられる。
    続く

  8. くまさんちん

    続き
    秀吉が死に、秀頼の代になると関が原、大阪の陣と戦が続き豊臣家は滅亡する。
    滅亡に追い込んだのは家康となっていますが、陰では天海こと明智光秀の智謀が冴え渡っているわけです。
    また、おふくも春日局として初代大奥の責任者として協力な権力を持ち、半端な田舎大名なんか太刀打ちできないほどになったわけです。
    徹底しているのは豊臣家に復讐を果たしただけでは飽き足らず、人生を狂わせた織田の血を引く者へも復讐が果たされたことです。
    淀の方は大阪城陥落時秀頼とともに自害
    江の息子である家光の弟、忠長も後年自害させられています。
    そして家光の光は光秀の光
    こう考えると光秀恐るべし
    もっと突き詰めると光秀を幼少時鍛えた
    斉藤道三こそが一番恐ろしいという事になるわけです。
    おしまい

  9. くまさんちんさん、
    これをブログに書けばいいのに。

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