被災地からのメッセージ

生きてました
仙台の友人(医者)からのメールです
みんな、頑張ってます。
仙台の○○です。地震後の復旧状況を日を追って報告します。尚、私の団地は泉パークタウン桂といい三菱地所が開発した比較的新しい大規模団地で周りには外見上損傷を受けた家屋はまったくなく仙台では最も恵まれた状況下にあると考えてください。まずライフラインですが11日地震発生後12日夜、電気復旧、13日夜インターネットが使えるようになりました。14日午後には・u档Pーブルテレビ開通、携帯も一応使えるようになりました。そして15日夜には水がでるようになりました。ガスの復旧のめどはまったくたっておりません。そのため風呂に入れません。交通ですがJRは全線運休。地下鉄は途中まで、バスは不定期の間引き運転で使えません。車は病院でプリウスを失いましたが、自宅にあるやつを通勤用にしています。(ガソリンがなく2回しか行っていませんが)食料は開いているスーパーが極めて限られているため、どこも長蛇の列で2から3時間並んでやっと5から10点残っているものを買えるといった状態です。外に出ればリュックを背負い袋を持った人、人、いつ開くかわからないガソリンスタンドに並ぶ車の列。スーパー、コンビニの前に並ぶ人、人、戦時中もこうであったのか?とにかく皆のたくましさに感嘆しています。私はディズニーランドのアトラクションに並ぶのも嫌なたちで1回しか買い物をしておらず1日二回の粗食でひもじい思いをしています。しかしすぐ近くでは給水用のポリ容器や、灯油のポリタンクを持ってさまよっている人がたくさんいます。それから多賀城の勤務先ですが未だ電気、水道、電話ダメ。津波で水没した車はそ・u桙フまま。ただ救援物資(食料)は結構届いており、私も気が引けたが少しもらってきました。だけど病院の再開のめどはついていません。幸い外科の入院患者を全員帰すことが出来た(内科ではこの間寝たきりの患者が10人ぐらい亡くなった)ので暫らくは失業です。両親、息子とも東京にいるので疎開しようかと考えていますが高速バスも3月いっぱい満席で脱出の手立てがありません。でもこの状況が暫らく続くのなら何としても脱出しようと思っています。その際は暇ですので△△君の店にでも行こうかと考えています。

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