昭和43年に公開され三船敏郎、石原裕次郎の競演で空前の大ヒットを記録した傑作「黒部の太陽」。今や伝説となったこの映画の裏側には、壮絶なドラマが隠されていた。五社協定の壁、配給問題、困難を極めたトンネルセットでの撮影、そして十数名の負傷者を出した大事故。誰よりも銀幕を愛し、製作不可能と言われた大作に命をかけた男達の物語。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 熊井 啓 1930‐2007。映画監督・脚本家。長野県生れ。1949年、旧制松本高校修了。’53年、信州大学文理学部卒業後、’54年、日活撮影所に入社。『霧笛が俺を呼んでいる』(’60)、『銀座の恋の物語』(’62)などの脚本を執筆。’64年、『帝銀事件・死刑囚』で監督デビュー。『忍ぶ川』(’72)で芸術選奨文部大臣賞、『サンダカン八番娼館・望郷』(’74)でベルリン国際映画祭銀熊賞、『千利休 本覺坊遺文』(’89)でベネチア映画祭銀獅子賞など映画祭での受賞多数。1995年、紫綬褒章受章(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) [黒部の太陽]ということばから何を想うのだろうか。立山連峰の大自然と人工のダム、日本と産業の復興の為に尽した皆さん、それを名作とした石原裕次郎さん、紅白で地上の星を唄ってくれた中島みゆきさん。この作品はそういった数々の伝説を生み出したプロジェクトを、現代の俳優さんたちで再現リメイクしてくれた作品。 単なる登山、工事でなく、日本の成長や会社の命運を背負って、昭和中期に完工された黒四ダム。 地道な努力とともに、会社や個人の強い意志で、完成した難工事。そこにはそれぞれの現場での戦いがある。 香取慎吾、ユースケ・サンタマリア、綾瀬はるか、深田恭子など若手の俳優さんたちが、それぞれによい演技を見せてくれている。 経営者、技術者、農家や建築業者は、深みのある俳優さん達で構成。 昭和の風とともに、現代日本で必要とされる元気、執念といったものを感じさせてくれるドラマ。