ロッテ時代
2008年11月15日にFAとなり、複数年契約を提示したフィリーズを始め複数のメジャー球団から三塁手としてのオファーがあったが、家族の生活環境と二塁手としてのオファーを優先し、2009年1月20日に千葉ロッテマリーンズに入団[1]。背番号6は過去に落合博満や初芝清らが着けており、「偉大な番号をいただけて、本当に光栄。この番号に恥じないプレーをする」とコメントした。
2009年2月1日から始まった石垣島での春季キャンプでは、ダイエー時代に行っていたアーリーワーク(朝練習。メジャーでは怪我の恐れなどから禁止だった)を竹原直隆と2人で敢行。開幕から4番を担い、2009年4月7日には史上7人目となる全打順本塁打を達成した。この本塁打は自身のNPB通算150本塁打でもあった。
2010年は3番セカンドに定着し、シーズン打率.294に対し得点圏打率は.340を記録し、リーグ2位の104打点を記録した。また、四死球112と二塁打44は共にリーグトップだった。