●映画「おくりびと」

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●「おくりびと」
●遺体を棺に納める納棺師となった男が、多くの別れと対峙する、本木雅弘主演の人間ドラマ。一見地味だが、人生の最期に必要な職業を通して、家族や夫婦愛のすばらしさを描くストーリーリストラを機に帰郷した、チェロ奏者の大悟。高給と短い労働時間にひかれ、求人に応募した彼だが、その内容は棺へ遺体を入れる納棺師という仕事だった。戸惑いながらも大悟は、さまざまな境遇の遺体と対面していくことに。 スタッフ&キャスト[監]滝田洋二郎  [出]本木雅弘広末涼子 山崎努余貴美子吉行和子笹野高史}  [制作データ] 2008松竹[上映時間] 130分(京成ローザ上映)(★★★★★アカデミー賞受賞) [ 2008年7月19日公開 ]

●映画アニメ「崖の上のポニョ」

eiga (66)●「崖の上のポニョ」

●(監督:宮崎駿(声の出演)、山口智子、所ジョージ海を臨む崖の一軒家に住む5歳の少年・宗介は、瓶に入り込んで動けなくなっていたさかなの子・ポニョを助けた。
一緒に過ごすうちにお互いのことを好きになる2人だが、ポニョの父親・フジモトによってポニョは海へ連れ戻されてしまう。
それでも宗介を想い、人間になりたいと願うポニョは、妹たちの力を借りてフジモトの蓄えた魔法の力を盗み出し、再び宗介の元を目指すが、
[ 2008年7月19日公開 ](京成ローザ上映)

倍賞千恵子(バイショウチエコ)

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倍賞千恵子(バイショウチエコ) プロフィール [生年月日]1941年(昭和16年)6月29日 [星座]かに座 [出身地]東京 [性別]女 [血液型]B型 [身長]159cm [体重]48kg [ジャンル]歌手・アーティスト/女優 庶民派女優の代表格、倍賞千恵子。なんといっても、寅さんの妹・さくら役が有名だ。 61年に映画『斑女』でスクリーン・デビューを果たした倍賞は、その勢いを買って翌年に歌手としてもデビュー。 彼女のキャラをそのままタイトルにしたような「下町の太陽」はレコード大賞新人賞を受賞し、歌い手としての人気も獲得する。 以降、女優業と並行しながら、「さよならはダンスの後に」「忘れな草をあなたに」などのヒットを放ち、素朴で愛らしい歌唱は、 広く親しまれるようになった。大女優としての地位を確立した後も音楽活動には熱心で、90年代には100回以上のリサイタルを開き、 現在も自分史のトークを交えた『Song & Talk あなただけに』を精力的に公演している。 その歌声を聴けば、ホッとするような家庭的な温もりに包まれる。華やかさに縁はないが、”お袋の味”的魅力が真骨頂です。

寅さん特集渥美清(アツミキヨシ)

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渥美清(アツミキヨシ) 1928年(昭和3年)東京市下谷区車坂町(現・上野七丁目)に生まれる。 本名は田所康雄(たどころ やすお) 終戦後、旅回り一座の裏方から、役者となり ストリップ劇場のコメディアンとして浅草の名門フランス座に出演。 結核で3年間の療養生活ののち認められてテレビ界に進出。 日本人にもっとも愛され続けた銀幕スター、渥美清。映画『男はつらいよ』の寅次郎を演じた名優と言えば、知らぬ者はまずいないであろう。何ともイイ味な風貌と情緒あふれる名演技は、我々の心をとらえて離さなかった。そして“定職に就かず、恋と旅に明け暮れる”という夢のようなライフを実践する寅次郎は、男にとって憧れそのものであったのだ。また渥美清は、かの有名な主題歌も歌っている。冒頭の「わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します」そして始まる「♪俺がいたんじゃ、お嫁にゃいけぬぅ~」。朴訥な歌声と泣ける詞世界が胸にグッと響き渡る。 男はつらいよシリーズは、昭和44年のこの1作から始まり、 27年で48作、作られ出演したマドンナは、36人います、後藤久美子が5回、 浅丘ルリ子が4回、竹下景子が3回、2回が吉永小百合、栗原小巻、大原麗子、松坂慶子、 この1作目のマドンナ光本幸子は、この後の作品にもゲストとして顔を見せています。  男はつらいよの楽しみ方として好きなマドンナの出演作品から見ていくのがいいと思います、 後藤久美子と浅丘ルリ子と吉永小百合は、つながりがあるので順番に見ていくほうがいいと思います、 そして何作か見て行くうちに、必ずこの1作目が見たくなると思います。  この1作目には、寅次郎の出生から生い立ちや、珍しいネクタイ姿や 雪駄じゃなく靴を履いてる姿など見ることができます、 何より寅次郎が若い(41才)櫻が若い(28才)、話は皆さんご存知の通りマドンナに 恋をして騒動を起こすというものだけど、 櫻のお見合いの場面や結婚式の場面は見ごたえありますよ。 見終えた後なんともいえない気持ちになる、 これは寅さんが好きな人にしかわからないかも知れません。 平成8年8月永眠享年68歳されまいた。寅さんありがとう!

山田洋次映画監督特集

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山田 洋次(やまだ ようじ、1931年(昭和6年)9月13日生まれ)は、大阪府豊中市出身の映画監督、脚本家、立命館大学映像学部客員教授。
川島雄三、野村芳太郎の助監督を経て、1961年に『二階の他人』でデビューする。 以降、『男はつらいよ』シリーズをはじめとする膨大な数の人情劇を、実に精力的に発表し、絶大な大衆的人気を誇る。
中国などでも、俳優・高倉健とともに日本映画界の第一人者としてよく知られている。 日本共産党を強く支持している。いわさきちひろ美術館理事。
作風は、落語等の影響を受けており、主に人間ドラマに焦点を当て、ユーモアとペーソスに溢れたものである1969年、『男はつらいよ』を発表。
その後27年間に全48作が製作される大ヒットシリーズとなり、国民的映画とまで言われた。
車寅次郎役である渥美清の体調が優れなくなってからは、甥の満男を主役としたサブストーリーが作られ、さらに渥美の病状が深刻になってからは、年2回作られていた『男はつらいよ』シリーズを年1回に減らし、満男の出番を増やして寅次郎の出番を最小限に減らす決断をするが松竹の経営事情などにより映画の制作は続けられた。第47作と第48作は、ドクターストップがあったものの無理に出演して貰ったものである。
1996年8月13日、「寅さんとのお別れの会」で弔辞を読んだ。
このように渥美とは長年いっしょであったものの渥美の家族や個人的な連絡先は知らなかったと言う。
知るようになったのは寅さんとのお別れの会に出席した後だと言う。
渥美の死去によって男はつらいよシリーズを失った4年後には大船撮影所が閉鎖され、監督としてメガホンを取る機会も減ってしまった。
近年ではロケ地に行くと「男はつらいよを何本でも作れそうだ」と語っている。大船撮影所が閉鎖されるまで、松竹の経営を支え続けた。