幕張スイーツ やきもち昆陽
焼いているところ
おっとこれではやきもちといっておきながら芋を焼いているではないか
ばれちゃうのだ
昆陽 いわずと知れた青木昆陽さんから取った商品名
青木昆陽さんは江戸時代の儒学者
よく徳川吉宗の命によりとはよく言ったもので 今も昔も そうやすやすと将軍様とお話ができるはずがない
大岡越前に見初められ推挙してもらったのだとか
吉宗はテレビでは暴れんぼう将軍で有名だけど 実は実は 米将軍として有名だったのね
飢饉によってお米の備蓄も減り 米に変わった保存が利く食べ物ということで甘藷が試されたのだとか
関西より西ではすでに栽培されていたようだけどね
関西に儒学の勉強に行っていた昆陽がサツマイモの作り方も習ったいたのが推挙のきっかけだとか
諸説あるのでわからないけどひとりの人物に注目するといろいろな人が出てきてれきしおもろ~~~
逆をたどっていくと良くわかるね 歴史って
ただひとつわからないことがあるのね
なぜ間k張りが栽培地に選ばれたのかってこと
小石川、九十九里、幕張 3つの街が選ばれた理由はなかなか出てこない ??
お菓子の名前やきもち昆陽やきもちは別に青木昆陽がやきもち焼きだったからではないのであしからず
目黒不動尊に青木昆陽のお墓があるんだけど ここに親、兄弟が眠っているのでここに自分も埋葬してほしいと近親者に伝えていた昆陽 そのとき甘藷先生 とかいてほしいと (芋神様という説もある)どちらにせよ自分で先生低生んだからすごいね
とまあそんなこんなで生まれたわけね
お菓子が生まれたのはhttp://www.tarbes04.com/contents/birthplace/ここに書いてあるので