風景写真ばかりを追い求めて1ヶ月。
雪山での山ごもり生活を始めて1ヶ月が過ぎました。
風景写真もおもしろいね♪
ただね、やっぱりなんだか違うんだ。
人物と自然では似ているところもあるんだけど、
全く違うところもあって、それがどうにもこうにもね(←笑)
僕の中では、風景っていうのは、撮るもんじゃないって思い込んでいる部分があるんです。
風景は写真に残すのはいいんだけど、それを第三者に見せたくないんだ。
そう、
写真だけで満足してほしくないんだ。
直接見てほしいんだ。
富士登山のときがまさにそう。
自分の足で登っていくから本当の感動を味わえるんだよ。
苦労してたどり着いて、自分の心に焼き付けられるから一生もんの想い出になるんだよ。
写真を見せて、「あぁ綺麗だね。」って終わってしまうようなら見せたくないんだ。
だからこそ、
だからこそね、
僕は写真を撮って、たくさんみんなに見せたいんだ。
その風景を自分で直接見に行きたい!!
連れてって!!
って。
そう思ってもらえるようにね♪
僕自身、写真を撮ることよりも、
感動できるような場所へ行こうとすることに夢中になっている部分もある。
自分が今までに見たことの無い世界へ。
それを追い求めていることが楽しい♪
まだまだ奥へ、
まだまだ見えていない世界へ!
最近、旅番組だったり、海外や地方のニュースだったりと
そういうのをみていていろいろ思うことがある。
考え始めてしまった自分がいる。
でもここではまだ言わないんだ♪
言ってしまうと必ず叶えようとしてしまうから♪
“写真のその先” への3件のフィードバック
コメントは受け付けていません。
>僕の中では、風景っていうのは、撮るもんじゃないって思い込んでいる部分があるんです。
昔々、大好きな場所がありました。
仕事を辞めてでも出かけました。
でも1枚も写真がありません。
写真を撮る気にもなりませんでした。
五感が全て記憶として残っています。
今でもその場所に降りれば匂い、音だけで場所を言い当てる自信があります。
今では近くに高速道路が走り街は変貌したと思います。
もう一度、その街を訪ねたいと思いつつ未だに出かけられない自分が此処に・・・
いい体験、いい思い出を作ってください。
樹の写真を見ると、知識と言う名の邪念が。。。。
この樹林は間伐されてない・・・とか。
列が正しいから人工林だとか・・・。
悲しい性ですorz
俺は、撮りたい風景に出会うとぽかーんとしてしまいシャッターを押してないときあります。それでもいいんだと思います!
俺もいっぱい考えます!
sen-jiさん☆
僕の故郷も自然がいっぱいで、
子供の頃は、自然が遊び場でした♪
今では開発や汚染が進み、昔のような景色は薄れています。
それでも僕自身の中ではその頃の景色がいまでも広がっています。
写真に残しておく風景と心に残しておく風景
その選択は自分次第で、どちらも正解でもあるのかも。
今でも故郷を「感じ」に、よく自転車で走り回っています。
カメラはバックの中に入れたままで♪
ろばーとさん☆
ご名答です♪
広大な人工林空間だよ。
雪はそんなに降っていないのに、いっぱい倒れてるんだ。
吹雪ばっかりの頂上付近にある、人工林ではない樹木は元気に立っているのにね。
でも、人工林だけど、そこに自然が雪を使ってアートを施してくれるから、そんな光景に感動できるんだ♪
情報を伝えられるのは写真が全てじゃない。
文字だったり、話し方だったり、話し手の表情だったりね☆
いろんな方法を使って、現実だったり、綺麗なものを伝えていきたい。
そして、いつかは直接見てほしいな♪