アーカイブ | 1月 2010

第2作:続.男はつらいよ~(佐藤オリエ)

第2作:続.男はつらいよ~(佐藤オリエ) ; 男はつらいよ第2作。第一作目から何と3ヶ月足らずで作られた続編。マドンナ役は佐藤オリエ。東野英治郎扮する寅さんの恩師の娘として登場します。この作品は寅さんが未だ見ぬ「瞼の母」を探すエピソードです。葛飾と京都で物語が進みます。寅さんが入院するのも珍しいですが、その医者に扮しているのが山崎努。そして「さしずめてめぇインテリだな」とい名セリフもこの山崎努に対して吐かれます。寅さんは、このころは非常にワイルドといいますか元気がよくトラブルを巻き起こします。東野英治郎扮する恩師と酒を酌み交わすシーンが度々登場しますが、これが非常に良いです。おかしくてジーンとくる作品でした。

2010年マクスタ村新年会参集の皆さん
お世話に成りました。第3位の賞品まで戴きありがとうございました。皆さん今年も頑張りましょう~寅さん。

第1作:男はつらいよ~(光本幸子)

第1作:男はつらいよ~(光本幸子) ; 本作は第一弾として、監督、役者、スタッフの作り手の熱気が強く伝わってくる作品なのである。 妹のさくら(倍賞千恵子)、義弟のヒロシ(前田吟)が若く驚いた。 また彼らのなれ初めも、本作の縦軸として展開され楽しめた。 印象的なシーンは、ヒロシと反目していた大学教授の父親(志村喬)が二人の結婚式に参列し、朴訥と語るスピーチのシーンは感動的であった。 そして何よりうれしいのは、寅さんが若くワイルドで躍動的なのである。最期に追加で好きなシーンは、御前さまの笠智衆が記念撮影の際に「バター、バター、」繰り返しつぶやき、さくらに「それはバターではなくチーズですよ」と笑いながら訂正されるシーンも大好きなシーンです。

般若心経に学ぶ

般若心経に学ぶ
◆漢訳
 
(玄奘三蔵訳を元にした流布本)

 ぶっせつまかはんにゃはらみたしんぎょう
 仏説摩訶般若波羅蜜多心経

かんじざいぼさつ ぎょう じんはんにゃはらみったじ しょう けんごうんかいくう
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空

 
どいっさいくやく しゃりし しきふいくう くうふいしき しきそくぜくう
度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 

くうそくぜしき じゅそうぎょうしき やくぶにょぜ しゃりし ぜしょほうくうそう
空即是色 受想行識亦復如是 舎利子 是諸法空相 

ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん ぜこくうちゅう
不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中 

むしきむじゅそうぎょうしき むげんにびぜっしんい むしきしょうこうみそくほう
無色無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 

むげんかい ないしむいしきかい むむみょう やくむむみょうじん
無眼界 乃至無意識界 無無明亦 無無明尽 

ないしむろうし やくむろうしじん むくしゅうめつどう むちやくむとく
乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 

いむしょとくこ ぼだいさつた えはんにゃはらみったこ
以無所得故 菩提薩 依般若波羅蜜多故 

しんむけいげ むけいげこ むうくふ おんりいっさいてんどうむそう
心無礙 無礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 

くう ぎょうねはん さんぜしょぶつ えはんにゃはらみったこ
究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 

とくあのくたらさんみゃくさんぼだい こちはんにゃはらみった
得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多 

ぜだいじんしゅ ぜだいみょうしゅ ぜむじょうしゅ ぜむとうどうしゅ
是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 

のうじょいっさいく しんじつふこ こせつはんにゃはらみったしゅ
能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪

 
そくせつしゅわっ ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい
即説呪日 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 

ぼじそわか はんにゃしんぎょう
菩提薩婆訶 般若心経 

◆和訳

私はこのように聞いています。お釈迦様が大勢の出家した弟子達や菩薩様達と共に王舎城の霊鷲山にいらっしゃった時、お釈迦様は深い悟りの瞑想に入られました。その時、観音さま(観自在菩薩)は深淵な“智慧の完成(般若波羅蜜多)”の修行をされて次のように見極められました。人は私や私の魂というものが存在すると思っているけれど、実際に存在するのは体、感覚、イメージ、連想、思考という一連の知覚を構成する5つの要素(五蘊)であり、そのどれもが私ではないし、私に属するものでもないし、またそれらの他に私があるわけでもないのだから、結局どこにも私などというものは存在しないのだ。

しかもそれら5つの要素も幻のように実体がないのだと。そして、この智慧によって、すべての苦しみや災いから抜け出すことができました。お釈迦さまの弟子で長老のシャーリプトラ(舎利子)は、観音様に次のように尋ねました。「深淵な“智慧の完成”の修行をしようと思えば、どのように学べばよいのでしょうか?」 それに答えて、観音様はシャーリプトラに次のように説かれました。

「シャーリプトラよ、体は幻のように実体のないものであり、実体のないものを本当にある物のように思っているのです。体は幻のように実体のないものに他ならないのですが、かといって真実の姿は我々が見ている体を離れて存在するわけではありません。体は実体がないというあり方で存在しているのであり、実体がないというあり方が体の真実の姿なのです。これは体だけでなく感覚やイメージ、連想や思考も同じです。(つまり、私が存在するとこだわっているものの正体であるとお釈迦様が説かれた「五蘊」は、小乗仏教が言うような実体ではありません。

シャーリプトラよ、このようにすべては実体ではなく、生まれることも、なくなることもありません。汚れているとか、清らかであるということもありません。迷いが減ったり、福徳が増えたりすることもありません。
 このような実体はないのだという高い認識の境地からすれば、体も感覚もイメージも連想も思考もありません。目・耳・鼻・舌・皮膚といった感覚や心もなく、色や形・音・匂い・味・触感といった感覚の対象も様々な心の思いもありません。

目に映る世界から、心の世界まですべてありません。
(つまり、お釈迦様が説かれた「十二処」は小乗仏教が言うような実体ではありません。)迷いの最初の原因である認識の間違いもなければ、それがなくなることもありません。
同様に迷いの最後の結果である老いも死もないし、老いや死がなくなることもありません。(つまり、お釈迦様が説かれた「十二縁起」のそれぞれは小乗仏教が言うような実体ではなく生まれたりなくなったりしません。)苦しみも、苦しみの原因も、苦しみがなくなることも、苦しみをなくす修行法もありません。

(つまりお釈迦様が説かれた「四諦」のそれぞれは小乗仏教が言うような実体ではありません。)知ることも、修行の成果を得ることもありません。また、得ないこともありません。
このような境地ですから、菩薩様達は“智慧の完成”によって、心に妨げがありません。心に妨げがないので恐れもありません。誤った妄想を一切お持ちでないので、完全に開放された境地にいらっしゃいます。
 過去・現在・未来のすべての仏様も、この“智慧の完成”によって、この上なく完全に目覚められたのです。
“智慧の完成”は大いなる真言(呪文)、大いなる悟りの、最高の、他に比べるものもない真言であり、すべての苦しみを取り除くものであり、偽りがないので確実に効果のあるものなのです。さあ、“智慧の完成”の真言はこうです。

「ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー」
(智慧よ、智慧よ、完全なる智慧よ、完成された完全なる智慧よ、悟りをもたらしたま)
シャーリプトラよ、深淵な、“智慧の完成”の修行をするには、以上のように学ぶべきなのです。」
この時、お釈迦様は瞑想を終えられて、「その通りです」と、喜んで観音様をお褒めになられました。そして、シャーリプトラや観音様やその場にいた一同をはじめ、世界のすべての者達はお釈迦様の言葉に喜びました。

女優;倍賞千恵子物語

倍賞千恵子(バイショウチエコ) プロフィール [生年月日]1941年6月29日 [星座]かに座 [出身地]東京 [性別]女 [血液型]B型 [身長]159cm [体重]48kg [ジャンル]歌手・アーティスト/女優 庶民派女優の代表格、倍賞千恵子。なんといっても、寅さんの妹・さくら役が有名だ。 61年に映画『斑女』でスクリーン・デビューを果たした倍賞は、その勢いを買って翌年に歌手としてもデビュー。彼女のキャラをそのままタイトルにしたような「下町の太陽」はレコード大賞新人賞を受賞し、歌い手としての人気も獲得する。以降、女優業と並行しながら、「さよならはダンスの後に」「忘れな草をあなたに」などのヒットを放ち、素朴で愛らしい歌唱は、広く親しまれるようになった。大女優としての地位を確立した後も音楽活動には熱心で、90年代には100回以上のリサイタルを開き、現在も自分史のトークを交えた『Song & Talk あなただけに』を精力的に公演している。その歌声を聴けば、ホッとするような家庭的な温もりに包まれる。華やかさに縁はないが、”お袋の味”的魅力が真骨頂。

映画監督:山田 洋次物語

山田 洋次(やまだ ようじ、1931年9月13日生まれ)は、大阪府豊中市出身の映画監督、脚本家、立命館大学映像学部客員教授。川島雄三、野村芳太郎の助監督を経て、1961年に『二階の他人』でデビューする。以降、『男はつらいよ』シリーズをはじめとする膨大な数の人情劇を、実に精力的に発表し、絶大な大衆的人気を誇る。中国などでも、俳優・高倉健とともに日本映画界の第一人者としてよく知られている。日本共産党を強く支持している。いわさきちひろ美術館理事。作風は、落語等の影響を受けており、主に人間ドラマに焦点を当て、ユーモアとペーソスに溢れたものである1969年、『男はつらいよ』を発表。その後27年間に全48作が製作される大ヒットシリーズとなり、国民的映画とまで言われた。車寅次郎役である渥美清の体調が優れなくなってからは、甥の満男を主役としたサブストーリーが作られ、さらに渥美の病状が深刻になってからは、年2回作られていた『男はつらいよ』シリーズを年1回に減らし、満男の出番を増やして寅次郎の出番を最小限に減らす決断をするが松竹の経営事情などにより映画の制作は続けられた。第47作と第48作は、ドクターストップがあったものの無理に出演して貰ったものである。1996年8月13日、「寅さんとのお別れの会」で弔辞を読んだ。このように渥美とは長年いっしょであったものの渥美の家族や個人的な連絡先は知らなかったと言う。知るようになったのは寅さんとのお別れの会に出席した後だと言う。渥美の死去によって男はつらいよシリーズを失った4年後には大船撮影所が閉鎖され、監督としてメガホンを取る機会も減ってしまった。近年ではロケ地に行くと「男はつらいよを何本でも作れそうだ」と語っている。大船撮影所が閉鎖されるまで、松竹の経営を支え続けた。