先日、STEPメンバーから 詩を送って貰って
「茨木のりこさん」を検索したら 2つ好きな詩を見つけました
1つは
■癖■
むかし女のいじめっ子がいた
意地悪したり からかったり
髪ひっぱるやら つねるやら
いいイッ! と白い歯を剥いた
その子の前では立往生
さすがの私も閉口頓首(へいこうとんしゅ)
やな子ねぇ と思っていたのだが
卒業のとき小さな紙片を渡された
ワタシハアナタガ好キダッタ
オ友達ニナリタカッタノ
たどたどしい字で書かれていて
そこで私は腰をぬかし いえ ぬかさんばかりになって
好きなら好きとまっすぐに
ぶつけてくれればいいじゃない
遅かった 菊ちゃん! もう手も足も出ない
小学校出てすぐあなたは置屋の下地っ子
以来 いい気味 いたぶり いやがらせ
さまざまな目にあうたびに 心せよ
この人ほんとは私のこと好きなんじゃないか
と思うようになったのだ
もう一つは
■汲む■
大人になるというのは
すれっからしになることだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女の人と会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました
初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました
私はどきんとし
そして深く悟りました
大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子供の悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと・・・・・
わたくしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです
あと一つ加えよう
ぎらりと光るダイヤのような日 茨木のり子
短い生涯
とてもとても短い生涯
六十年か七十年の
お百姓はどれほど田植えをするのだろう
コックはパイをどれ位焼くのだろう
教師は同じことをどれ位しゃべるのだろう
世界に別れを告げる日に
ひとは一生をふりかえって
じぶんが本当に生きた日が
あまりにすくなかったことに驚くだろう
本当に生きた日は人によって
たしかに違う
ぎらりと光るダイヤのような日は
銃殺の朝であったり
アトリエの夜であったり
果樹園のまひるであったり
未明のスクラムであったりするのだ
それからコメントで 「倚りかからず」も良いって教えてくれたから
もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
今の自分状況によって、心への響き方は違うのだろうけど・・・
こういう機会をくれた、メンバーにほんと有難う
上の画像は トイレの前の壁
ほんの少し剥がれていたのだけど、それが気になっていて
スイッチの下に何か飾るって場所じゃないし
子供っぽくなくそれでいて、オシャレなシール無いかなぁってずっと探していて
ふと、思いつきましたレースを
ということで、シールではなく壁にレースを付けて 剥がれを隠しました
レース!ステキなアイディアですね^^
詩も、朝からとてもあたたかい気持ちになりました☆☆
マリブさんへ
有難うございます!
インテリアに関しては、って言うか何でもかも(*^_^*)
納得しないと買わないのですが、やっと良いの見つけました。
そしてやっと、はがれを隠すことが出来ました(*^^)v
心に響く詩や言葉との出会いって
きっと自分のあり方やその時の状況で違うのでしょうね
汲むという詩は私も好きです
でも癖には目がいかなかったので
不思議な感じがしました。
茨木のり子さんの生き方にはすごく感銘を受けました。
特に「死」に関することもらしいなと思いました。葬儀のこともしないと決められていて
親しかった友人に200通死んでから手紙が届いたそうです。
ひっそりと潔く
凛と生きる生き様がかっこいいなって思います。
アンさんが日記に書いてくれてから
私もまた向き合えた
こうやって深く広がるんだな
って思いました。
自分が好きなだけでは広がらないから
これもSTEPみたいw
人に話して話が広がるいいですね。
ありがとうございます
キキさんへ
あと1つ、また紹介するからね~
その前に検索しようっと♥