昨日、私の父方の祖母が亡くなった。
99歳。明治44年生まれ。大往生です。
私が小学低学年だった頃から、一緒に住み始めたの。
最初は嬉しくて、よくおばあちゃんの布団で一緒に寝たっけね。
でも、母との折り合いは良くなかった。
とても強いおばーちゃんだったよ。
母に厭味もよく言ってたっけね。
私は母からボヤキを聞いてて、ある時『一緒に住まなければうまくいってたのにね。』と言ったそうです。
ま、母も感情を隠さない人だったし、
おばあちゃんはおばあちゃんで、女手一つで4人の子供を育てたプライドもあったでしょう。
衝突の現場を目の当たりにすることもよくあった。
4人での生活は私が結婚するまで続いた。
母は文句を言われながらも、ずっと祖母の食事の支度もしてたっけね。
あ、晩年は夕飯だけだったか。
一緒に食べる事はなく、祖母の部屋に食事を運んでた。
『おばあちゃんより先に死にたくない。』と言ってた母だったけど、先にお役目を終えた。
何よりムカついたのは、父の妹2人と弟1人。
父が昼間仕事へ行っている間、誰もいない家で祖母が一人きり。
何かあっても困るから、祖母の面倒を誰が見るか、兄弟4人で話し合ってた。
弟が『何言ってるんだよ、兄貴。長男のくせに。』
確かに長男ですよ。でもね、小学校の時に父親を亡くして、生活は苦しかった。
その為に、私の父は大学進学を諦めて就職して、兄弟の生活費や学費にまわしたんだよ。
散々、世話になった兄貴に言う言葉かね?
叔母たちも祖母に『これからはプシュケの世話になるんだから。』って言ってた。
私は『あ~、いやね。私、兄弟いなくて良かったわ。おばあちゃんも可哀相にね、4人も子供産んどいて、みんな擦り付け合ってさ。私は兄弟いないから、言われずともお父さんの面倒は見なくちゃね。』って言ってやった。
叔母たちは『私たちはもう嫁に行って家を出たんだから。』ですって。
私『それは、私も同じです。叔母さんたち死んでもまだおばあちゃんが元気だったら、喜んで面倒を見ましょう。それまでは、おばあちゃんには悪いけど、私の出る幕ではない。』と返しました。
結局、父が面倒を見るんだけど、市の介護施設に入るべく準備が始まった。
父は自分が死ぬまで、祖母の面倒を見てたよ。うん、晩年はその介護施設に通ってね。
で。祖母より父のが先に逝っちゃったんでね。
私は言葉通り、祖母の世話には関わらなかったよ。
7年前に父が亡くなって、直後に色々聞きに祖母に会いに行ったんだった。
耳が遠くてね(笑)会話になってるんだか何だか。
祖母は自分史なるものを書いてて、それを見せてくれた。
一人っ子だと言ってた祖母には、実は兄がいて幼くして亡くなってたこととか書いてあったな。
30代半ばで夫に先立たれた祖母。
一緒にいた年月よりも遥かに長い時間を一人で過ごしたんだ。
その間に長男にも先立たれ。
99歳で旅立ち、ようやく旦那さんの元へ行けるんだ。
祖母は若く美しい姿に戻って、祖父に会うんだろうか…。
めいっぱいお洒落して、たくさんたくさん話してね。
初孫(私)のこととか、初孫の旦那のこととか、初曾孫(私の娘)のこととか(笑)
私も良い孫じゃなかったけどさ。
でもおばあちゃんがいなかったら、私もいなかったんだもんね。
余談。私、昭和43年生まれです。
中学を卒業の時に、どこぞの塾から案内が来たの。
受験終わったのにおかしいねって話しながら宛名を見たら、祖母の名前が…。
祖母は明治44年生まれ。
その塾、昭和と明治を間違えたんね(笑)
アーカイブ | 11月 2010
両親の結婚記念日
結婚記念日です。ですが、両親の。
なーんで、まだ私が生まれてもない日を覚えてるんかね。
私の両親はとっくに他界しています。
子供の頃、両親の正確な生年月日を言えて凄いねーって誰かに言われた。
そう?
今はね~、生きてたら父は74歳、母は73歳(同い年だけど)
57歳で旅立った母の、73歳の姿は想像出来ません。
結婚当初は確か29歳だった母。
くったくのない笑顔で写ってる写真を見て、
『この人のところへ生まれて来たかったんだ。』って思った私。
それは直感としか言い様がないんだけどね。
母の死後、母の次姉(私の伯母)から、
父は母の妹にプロポーズしたんだとか言われて(笑)
本当かどうか確かめる術はなく…。
母は結婚前、よく友達を家に連れて来たんだそうです。
そこには母の妹(叔母)もいるから、当然仲良くもなるわよね。
でも、江戸っ子気質の叔母は、姉を裏切るようなことはしません。
それに。。。これも伯母に聞いた話なんだけど。。
叔母はどこぞのお妾だったらしく…。
ま、プロポーズが本当だったとしても、父の一方的なものだったと思うけど、
本当かよ。。
って言うか、当事にしちゃ、この姉妹ってみんな結婚遅いよな…。
長姉と次姉は後妻だし…。
結婚記念日にする話?(笑)
何だって良いさ~。
きっと母は。。幸せだったはず。
不満もあっただろうけど、不満もない結婚生活なんてないと思うから。
祥月命日
今朝、旦那に『確か今日、お父さんの命日だと思うから、墓参り行って来る。』って言ったら、
『思うって、多分かよ。』って言われたんで、一応位牌を見て確認した。
間違いない(笑)
平成15年の今日、旅立ちました。
『もう7年になるんね~、7年前の今日は苦しかったね~、みんな。私は数日泊り込みだったし。』
『そうそう、俺なんかこいつ(犬)にメガネ食べられちゃってさ~。』
『それで○○(娘)が、写メって来たんだっけね。』
父が亡くなる数日間は、メンタルでとてもきつかった。
もう旅立つのを待つしかない状態だったからね。
夜になると、主治医が来て『今夜もつかどうか…。』って言われ、それでも2日は頑張ったっけね。
どうすることも出来ない私はずっと父の手を握ってたんだっけ。
さてさて、霊園ですが。
夏以来の墓参だったんで、草がボーボーでした。
草むしりは良いんだけど、変な芋のツルみたいのがなかなか抜けなくて。
次に行くときは軍手持参で行こう!って思いました。
一応、墓参グッズ(スポンジやゴミ袋、ろうそく、ライターなど)は持ってたんだけどね。
命日ってのは、故人への窓口が開く日なんだそうです。合掌。
勉強
昨日、娘のインフルエンザの予防接種行って来ました。
先生のお勧めで二度打ちすることに…。
2回目は3週間開ければ良いよ~ってことで、また月末。
念には念を…。
何せ、受験生ですから!
って、ことです…。はい。
一昨日ね、凄い火事があったの。
昨日の夕刊に載ってたらしいんだけど、うちは朝刊しかとってないから。。
記事は見てません。
現場近くを通るだけで、こおばしい臭いがします。
気の毒に…。
火事、怖いよね。
野次馬しながら写メってみたりして。
ご町内の皆さんが野次馬してたので、その中に幼馴染がいたのね。
『勉強中でさ~、エンピツ持ったまま出て来ちゃったよ。』って。
こだわりUNIのエンピツを愛用してるんだって。
って言うか、勉強中?
何だろ。。。
大学院行ってるんだって、働きながら。
んで、博士号取るべく猛勉強ってことらしいです。
昔ね。携帯のオンラインゲームで知り合った千葉大の大学院生がね。
ちょうど博士課程の1年目に知り合って。
『良かったら、娘さんの家庭教師しますよ~。』なんて嬉しいこと言われたんだけど、
うち散らかってるしw
その機会はなかったな~。
んで、その人が、博士号を取るのに論文二つ、英語の論文一つ書かねばって。
しかも書いて、それがちゃんと認められなくちゃいけないんだもんね。
卒業の為に総説ってのを書くらしいんだが、それが大変で大変で。。って言ってたのを思い出します。
今行ってる内科の先生も皮膚科の先生も医学博士なんだよね。
大学+大学院(修士2年、博士3年)医学部って6年だから、全部で11年ってことか。
それだけで尊敬します。
トンビはタカを産まないけど、娘もそのくらいの気持ちで頑張って欲しいわ。
受験生
梅雨のある日、娘が私に『ね~、7月10日って何か用事ある?』って言った。
『何?納豆の日だけど。』と返答したら、
『○○大学のオープンキャンパスがあるんだけど、一緒に行こう。』って。
娘からそう言うお誘いがあることはほとんどないので、快く受けた。
娘は他の大学のオープンキャンパスに数回行っていて、その大学希望から譲らなかったんだけど、
一緒に見に行った大学が気に入ったらしく、あっさりとシフト変更した。
で、その大学の入試だったの、今日。一般推薦なんだけど。
数週間前に『乗り換えが不安だから、朝、一緒に行って。』って言われて、
受験だけでも不安だろうに、少しでも不安が減るならと、快諾した。
その話を旦那にしたら『甘やかしてる。』と。そうかな~。。
誰が何と言おうと送って行こうと思ってた。
そしたら夕べ遅い時間に、酔っ払いから電話がかかって来て、幕張本郷まで迎えに来てと言う。
朝早いし、もう寝たいんだけど、しぶしぶ迎えに行ってあげた。
車に乗った酔っ払いは『ほら、お前の為に買って来たぞ!』と、すき家の牛丼を差し出す。。
あの~、深夜1時だし、食べられないよ~って思ってたら、
帰宅後、旦那は自分で食べ始めた(笑)
『こんな時間に牛丼食べるなんて、酔っ払いかデブかどっちかだよね~。あ、酔っ払ったデブって場合もあるかw』
そんなこんな会話して、寝た。
今朝、受験する大学の最寄り駅まで一緒に行ったんだけど、
時間もあるし、正門まで行ってみようと、駅から少し歩いた。
推薦入試って言っても5会場もあって、受験生がたくさんなわけで。。
それを見た私は不安になってしまった。
娘は『ま~、全学部だからね。』とサラッと言ったけど。。
学内の曲がり角で『じゃ、頑張ってね。』って肩を叩いてバイバイした。
見えなくなるまで手を胸に当てて見送った。娘は一度も振り返らなかった。
何だか、ウルウルと涙が出て来た。
親と一緒の子がほとんどだった。
付き添いの控え室まであって、私はマイノリティじゃないじゃんって思ったよ。
結果は週末までおあずけ。そっとしておいて下さい(笑)
初恋の人
初恋の人って覚えてます?
私の初恋は小学校5年生のとき。
テレビに出てた人。
当時、私の年代の人では知らぬ人はいないんじゃないかってくらいの人。
もう大好きで大好きで…。
でも、テレビの人なのよね~。
その番組を楽しみにしているだけじゃ飽き足らず、
所属の事務所を調べてファンレターを書いたっけね。
以来ずっと、『好みのタイプは?』と聞かれると『初恋の人。』と答えます。
さてさて。4年くらい前ですか。
某SNSで彼が唯一主役をやった番組のコミュニティーに参加して、
『初めまして。彼は私の初恋の人です。』とコメントいたしました。
すると。。それを読んだらしき人の足あとが…。
踏み返してみると、これはひょっとしてご本人???
勇気を出して、メールしてみました!
すると、やはり本人だったと言う。。
そして今では親友と言って良いほど仲良しです。
でも男と女。どうなる?と思うでしょ?
私にとっては、出会えないはずと思ってた人と出会って仲良くなっただけでも凄いこと!
これ以上、何を望むと言うのですか。
(しかも私は人妻だしww)
でももし、青春時代に出会うことがあったら、結婚してたかもね、なんて話した。
いや~、本当。本望ですよ。それだけで胸が一杯♪
そうそう会うこともないし、連絡も頻繁にするわけではないけれど、
お互い何となく思いやっている。。そんな関係です。