日本フルート界の師 吉田雅夫先生

最近はすっかり寒くなりまして、冬の到来ですね。
夏の頃は冬が待ち遠しく、冬になるとあの暑かった頃が懐かしいと、なんともわがままな私です。
これからまだまだ寒くなりそうです。dawn
その代わり鍋がとても美味しい季節になりましたよね。ピース
昨日は早速我が家はキムチ鍋をいただきました。
鍋は忙しい主婦にとっては簡単で大助かり。
具材を刻んで煮込むだけ。これでもう充分だしみんなには喜んでもらえるし、これ以上の手抜き料理はあるかしら
我が家は鍋の中でも手抜きでお安い、「白菜と豚バラ肉のミルフィーユ鍋」が大人気です。
さてさて、「吉田雅夫先生」とは、
フルートを真剣に取り組んだ人なら誰でも知っている、日本フルート界の発展に尽力し、多大な功績を残した先生です。
先生がいらっしゃらなければ、日本でフルートがこんなに盛んに親しまれることはなかったのではないでしょうか。
そんな先生の経歴をざっと見てみましょう。

幼少より音楽に強い興味を示し、15歳ではじめにピッコロを、間もなくフルートを始めたそうです。
先生は1915年生まれですが、このころの日本というのはどんな時代かといいますと
庶民層では江戸時代とあまり変わらない時代でした。
例えば「卵」を見てみます。
卵は今の時代簡単にお安く手に入りますが
このころは高価で貴重なもので一般庶民の日常の食卓には登場しません。
そんな時代に音楽をこよなく愛していらっしいました。
中学校卒業にあたって音楽学校へ進むことを親に反対され、慶応大学法学部法律学科(フランス法)に入学します。
在学中はマンドリンクラブとオーケストラクラブに在籍しました。
ちょっとした伝説があるのですが、
大学で同姓同名の人物が3人おり、別人宛の月謝の督促状が届いたことに腹を立てた先生は、
以後「雅夫」を名乗るようになったそうです。本名は吉田正雄です。
3人もいた、って、結構メジャーな名前だったんですね。
卒業後、会社勤めをしていましたが肌に合わず、昼休みに隣にあったNHKで歌謡曲の演奏をする仕事をしていました。
1年2ヶ月で会社を辞め、東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)に入学したが、
軍事訓練ばかりで音楽の勉強ができなかったことから半年で自主退学します。
会社辞めたり学校辞めたり、辞めると決めたら早いですね。
その後スタジオオーケストラで流行歌の伴奏などをします。そして新交響楽団(現NHK交響楽団)で仕事をするようになります。
吉田先生はフルートを独学しており、後に40歳でヨーロッパへ留学するまで師はいなかったため、
レコードや書物などで研究を積むと共に、オーケストラの指揮者から音楽に必要な多くの要素を学んだそうです。
ここまで見ただけでも、フルートがメジャーでなかった時代に独学でNHK交響楽団に入った根性がすごい!
書物はおそらく日本語訳のはなっていなかったでしょうから読むのも大変だったでしょう。
ここから先生は日本にもフルートを!と、後進の指導や、本の和訳などに尽力されます。
そのおかげで、今の日本のフルート人口の多さなんでしょうね。

 

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