うちには二羽のセキセイインコがいます。
メロンとピーチ、併せて『めろぴー』って言ってます。
左がメロンちゃん、右がピーチさんね。
メロンちゃんをお迎えして、もうじき8年になります。
お迎えした頃は生後3週間ほどだったでしょうか。なので、8歳になったことになります。
メロンちゃん、おめでとー!
メロンお迎え1年半後に、ピーチをお迎えしました。ピーチさんは6歳です。
メロンちゃんがうちに来てから、私の鳥に対する気持ちが変わりました。
こんな小さいのにとても大きな存在。
子供の頃も飼った事あったけど、ここまで観察したかなって思います。
各々性格も違うし、とっても頭が良い!
メロンは1年半一羽飼いをしていたこともあって、よくなついてます。
お客さんが来ると必ず挨拶に行くし。
。。って言っても、点検とか修理の男の人が多いんだけど、
『ね、誰?誰が来たの?』と言わんばかりにピヨピヨ言って肩に乗ります。
帰宅すると声を掛けて来るのもメロンちゃん。
ピーチさんは何か企みがあるときに寄って来ます。
そのピーチさんはたまに産卵するんですが。
抱卵の様子を撮影した動画をようつべにうpしたところ。。。
驚きの13万ヒットを超えました! ありがとうございます。
http://www.youtube.com/watch?v=_jV7dkM8Xfk
セキセイインコ、可愛いよ~。
ご家族にお迎えしてはいかがかしら?
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バイトのお誘い、娘編
昨日、恩師(中学時代の家庭教師)に、娘の大学合格を知らせました。
ずっと進路とか気にしてくれてたのでね。
手放しで喜んでくださいました♪
『でも見に行ったら貼り出ししてなくて、銀行のキャッシュコーナーで携帯から見たんだよ。』って言ったら、
『え~、またキャッシュコーナー?』と言われました。
実はね。恩師との出会いなんですが。
当時、地元の某大学(笑)に通うべく下宿してたんですね、恩師は。
家庭教師やりますって紙を、駅前の銀行の伝言板に貼っておいたら、私の母が見つけて…。
それが始まりだったそうですよ。
以来、音信不通になったこともありますが、まだ付き合いは続いています。
教え子の子供の大学合格って、どんな気持ちなんでしょね?
感慨深いと言ってました。
ところで、娘はある個別指導の塾へ約5年間通ってたんですけど、
進学先が決まったので、めでたくそちらは卒業。
『塾長が電話するって言ってたよ。』娘はこう言ってました。
やっと昨日、塾長と話すことが出来ましたが。。
『ご本人にもお話したのですが、次はぜひ講師を…。』
え? 講師って先生よね?
塾からそんな話があったなんて、娘は全く言ってませんでした。
『ええ、私からも勧めておきます。』ってね。
だって、こんな良い話ないでしょ?
先方さんから『働きませんか?』と言って貰えて、しかも講師だし。
塾に通う子は様々だから、卒業したからと言って全員に声を掛けてるわけじゃないと思うの。
ある意味、優秀だから(バカ親)誘われたわけだし。
そう、娘は数学が凄く得意なんです。
受験も『数学に救われた。』と言ってました。
んで。昨日、教習所の申し込みに行ったんで、車中で話しました。
『うん、でも苦手だからな~。いやだ。』と間髪入れずに返されました。
娘は何かを説明するのがとても下手。
解ってることを他人に説明するのって難しいよね。
塾の先生ともなると、そこが大切になってくるわけで。
逆に言えば、トレーニングにもなると思うんだよね~。
アルバイト初心者の登竜門?のファミレスやファストフードのバイトよりも、
明らかに時給も良いと思われ。
ある程度経験したら、気付くだろうね、きっと。
でも。働いてお金をいただくと言うのは、どの道楽なことはないです。
いろいろ経験してちょーだいな。
今は教習所で頭がいっぱいかな(笑)
合格発表
昨日は、娘の第一志望校の合格発表でした。
ネットで確認すると言う娘と、見に行こうって言う私。
もし不合格だったら、昨日が受付期限の某大学の2部へ願書を出すつもりで、結局見に行くことに。
なーんか静かなキャンパス。
守衛さんに『合格発表なんですけど…。』って聞いたら、
『高校ですか?』と(付属校がある)
『いえ、大学です。』と答えると、思わぬ返答が。
『大学は貼り出ししてないんですよ。』
下調べ不十分。
って言うか、今ってみんなそんなもん?
現地で携帯で確認することになりました(笑)
行きしなから『どうしよう、見たくない。』を連発してた娘。
そりゃね、競争率高いしね。
散々『滑り止めを探せ。』と言う私に『某大学の2部にする。』と言って聞かなかった娘。
アルバイトもしたことない子がいきなり社会人&学生なんて出来るのか。
やっぱり親としては心配で。
でも『それなりの覚悟は出来ている。』と言う娘の言葉を信じ、受け入れることにしてた。
で、その2部の合格発表までには、志望校の2期の募集期限、試験、発表があるから、
もし不合格だったら、トライしようねって、合否を見る前に話しました。
結果。
見事、合格。
私の携帯で合格の文字を確認した娘は、『良かった…。』と安堵の涙を流しました。
そう、嬉しい以上に安堵だったんですね。
私も一緒に泣いて『良かったね、おめでとう。』って言った。
って言うか、大学まで見に行った意味は?(笑)
駅前で『パパに電話しな。自分の携帯から。』って、電話させました。
そして、『じゃ、新大久保行こうか!』って言いました♪
今、娘はK-POPに夢中。ドラマも好きみたいで、友達と新大久保までグッズ買いに行ったことも。
久々にじっくり話して、娘とデートも出来た。
その前日に浅草で友人と会ったのですが。
その友人が大学生時代に出版社でアルバイトしていて、それが凄く忙しかったんですって。
『その大変さを考えたら、何でも乗り越えて行ける!』って言ってたのを聞いて、
自分が娘を心配するのは、少し甘やかしもあるんじゃないかと。少し思った。
若いうちの苦労は、必ず糧になる。
人との出会いも必然だなって実感しました。
推薦入試もこの大学。
実質1校しか受験してなくて、希望校だってのも、ある意味ラッキーよね。
娘は学校の先生にこう言われていたそうです。
『現役で合格するのが親孝行。』と。
浪人すれば、お金もかかるから、って意味ですね。
あと、本人の精神力の問題もあるし。
『4月からの進路が決まってないってのは困ります。浪人は出来ません。』
と、先月辺りに言った私の言葉は、娘には突き刺さったのかも知れません。
だから、志望校でないなら、某大学の2部って考えになったのかも。
今日、入学金等の振込みをして来ました。
銀行の窓口で『合格、おめでとうございます。』と言われ…。
私も涙ぐんでしまいました。
貧乏くじ
娘が後厄なので、厄払いに行こうって話をしてました。
旦那は厄が明けたので、行っても行かなくても良い。
ワンコと留守番するってことになりました。
そこで気になったのが、旦那の会社にあるお札。
有効期限の1年を過ぎ、お炊き上げしてもらわんと…。
厄除けのところでやってもらうには、まずお札を剥がさないといけない。
事務所行って戻って来るのもってことで、『やっぱり行くわ~。』ですって。
ワンコ連れて『ママが運転してね。』って言われて、旦那は後部座席に乗りました。
んで、幕張から京葉道路下りへ乗って、れっつごー!
宮野木から東関道へ入り、千葉北の料金所を過ぎたところで、オマワリに停められました。
『今ね~、全席シートベルト着用が義務付けられてますんでね、後ろの方が…。』
おいおい、何だよ。サイテー。
免許証出して、オマワリが書類に記入してる時に、ぼそっと
『シートベルトしてない奴から違反取れよ。』って言ってやった。
私、7月に理不尽な取締りを受けたばかり。
今日も理不尽。
って言うか、もう法律で着用義務があるってのに、何で言われないとシートベルトしないの?
ずっと口きいてません。
さっき、少し家出したら電話がかかって来て、
『今日でお休みも最後だから、帰って来なよ。』だって。
だから、帰って来て、ブログ書いてます。
でも、謝罪がないのはおかしいと思いません?
非常に立腹しています。
そーいえばさ~、元旦に旦那の実家へ行きました。
旦那の母親は、食べ物をたくさん用意して待っていてくれてます。
あまりに量が多くて拷問にすら思えて来る(笑)
でも応えるのが礼儀かな~って思うので、ちゃんと食べますよ。
ただね。
『いちじく煮たんだけどさ~、さっき見たら上の方にカビが生えてて、
でも中は大丈夫だから食べられるけど、食べる?』
どうして私が断れましょうか。
『じゃ、小さいのひとつ…。』
食べたらすごく甘くて(甘露煮ではあるけど)、
『砂糖入れ過ぎちゃって、200gも多く入れちゃって~。』だってさ。
旦那もその場にいたんだけどさ…。何も言わないのよね。
ご機嫌損ねてもいけないから、帰って来てちょろっと言ったの。
そしたら『その場で言えば良いじゃん。』だってさ。
って言うか、カビ生えたのを勧めた時点で、お前が言えよ。
胃腸が丈夫で良かったよ。
禁酒宣言
30分くらい前に、旦那が言った。
『俺、酒やめるわ。今年は。』
たったの5時間半かよ~ww
しかも昨日買って来た6本の350ml缶の最後を飲みながら…。
どうなることやら(笑)
きっと明日、飲むよ。
みなさま、来年もよろしくお願いいたします。
似てる芸能人
さっきテレビを観ていたら、はんにゃの金田が出てました。
うちの娘、似てるんだよね~(笑)
学校でも言われるって言ってたし…。
色が白いところとか、ちょいと眉毛が下がり気味なところとか、
びっくりしたような目元の表情とか、挙動不審なところとか、よく似てるわ。
その娘の下がり気味な眉毛、私、気になってます(笑)
だってさ~、整えて下がり気味だもんで、もうちょっと上げようよって思って。
バランス悪いんだよね、何となく。
私は眉毛、書かなかったら麿ですからね。
いつも、多少上げ気味に書いてます。もうその顔にも慣れました(笑)
娘、誰に似たんだろう?
小さい時は旦那そっくりだったんだけど…。
腕の形や長さ、肩幅があるところとかは私、O脚は旦那、とか(笑)
ミックスなんだね。
私の母は、秋野陽子をぽっちゃりさせたみたいな感じだったかな~。
父は周富徳にそっくりで(笑)
私は、母にそっくりらしいんだけど…。秋野陽子ではないな(笑)
生まれ変わったら。。臼田あさ美ちゃんになりたい…。
99歳(明治44年生まれ)大往生
昨日、私の父方の祖母が亡くなった。
99歳。明治44年生まれ。大往生です。
私が小学低学年だった頃から、一緒に住み始めたの。
最初は嬉しくて、よくおばあちゃんの布団で一緒に寝たっけね。
でも、母との折り合いは良くなかった。
とても強いおばーちゃんだったよ。
母に厭味もよく言ってたっけね。
私は母からボヤキを聞いてて、ある時『一緒に住まなければうまくいってたのにね。』と言ったそうです。
ま、母も感情を隠さない人だったし、
おばあちゃんはおばあちゃんで、女手一つで4人の子供を育てたプライドもあったでしょう。
衝突の現場を目の当たりにすることもよくあった。
4人での生活は私が結婚するまで続いた。
母は文句を言われながらも、ずっと祖母の食事の支度もしてたっけね。
あ、晩年は夕飯だけだったか。
一緒に食べる事はなく、祖母の部屋に食事を運んでた。
『おばあちゃんより先に死にたくない。』と言ってた母だったけど、先にお役目を終えた。
何よりムカついたのは、父の妹2人と弟1人。
父が昼間仕事へ行っている間、誰もいない家で祖母が一人きり。
何かあっても困るから、祖母の面倒を誰が見るか、兄弟4人で話し合ってた。
弟が『何言ってるんだよ、兄貴。長男のくせに。』
確かに長男ですよ。でもね、小学校の時に父親を亡くして、生活は苦しかった。
その為に、私の父は大学進学を諦めて就職して、兄弟の生活費や学費にまわしたんだよ。
散々、世話になった兄貴に言う言葉かね?
叔母たちも祖母に『これからはプシュケの世話になるんだから。』って言ってた。
私は『あ~、いやね。私、兄弟いなくて良かったわ。おばあちゃんも可哀相にね、4人も子供産んどいて、みんな擦り付け合ってさ。私は兄弟いないから、言われずともお父さんの面倒は見なくちゃね。』って言ってやった。
叔母たちは『私たちはもう嫁に行って家を出たんだから。』ですって。
私『それは、私も同じです。叔母さんたち死んでもまだおばあちゃんが元気だったら、喜んで面倒を見ましょう。それまでは、おばあちゃんには悪いけど、私の出る幕ではない。』と返しました。
結局、父が面倒を見るんだけど、市の介護施設に入るべく準備が始まった。
父は自分が死ぬまで、祖母の面倒を見てたよ。うん、晩年はその介護施設に通ってね。
で。祖母より父のが先に逝っちゃったんでね。
私は言葉通り、祖母の世話には関わらなかったよ。
7年前に父が亡くなって、直後に色々聞きに祖母に会いに行ったんだった。
耳が遠くてね(笑)会話になってるんだか何だか。
祖母は自分史なるものを書いてて、それを見せてくれた。
一人っ子だと言ってた祖母には、実は兄がいて幼くして亡くなってたこととか書いてあったな。
30代半ばで夫に先立たれた祖母。
一緒にいた年月よりも遥かに長い時間を一人で過ごしたんだ。
その間に長男にも先立たれ。
99歳で旅立ち、ようやく旦那さんの元へ行けるんだ。
祖母は若く美しい姿に戻って、祖父に会うんだろうか…。
めいっぱいお洒落して、たくさんたくさん話してね。
初孫(私)のこととか、初孫の旦那のこととか、初曾孫(私の娘)のこととか(笑)
私も良い孫じゃなかったけどさ。
でもおばあちゃんがいなかったら、私もいなかったんだもんね。
余談。私、昭和43年生まれです。
中学を卒業の時に、どこぞの塾から案内が来たの。
受験終わったのにおかしいねって話しながら宛名を見たら、祖母の名前が…。
祖母は明治44年生まれ。
その塾、昭和と明治を間違えたんね(笑)
両親の結婚記念日
結婚記念日です。ですが、両親の。
なーんで、まだ私が生まれてもない日を覚えてるんかね。
私の両親はとっくに他界しています。
子供の頃、両親の正確な生年月日を言えて凄いねーって誰かに言われた。
そう?
今はね~、生きてたら父は74歳、母は73歳(同い年だけど)
57歳で旅立った母の、73歳の姿は想像出来ません。
結婚当初は確か29歳だった母。
くったくのない笑顔で写ってる写真を見て、
『この人のところへ生まれて来たかったんだ。』って思った私。
それは直感としか言い様がないんだけどね。
母の死後、母の次姉(私の伯母)から、
父は母の妹にプロポーズしたんだとか言われて(笑)
本当かどうか確かめる術はなく…。
母は結婚前、よく友達を家に連れて来たんだそうです。
そこには母の妹(叔母)もいるから、当然仲良くもなるわよね。
でも、江戸っ子気質の叔母は、姉を裏切るようなことはしません。
それに。。。これも伯母に聞いた話なんだけど。。
叔母はどこぞのお妾だったらしく…。
ま、プロポーズが本当だったとしても、父の一方的なものだったと思うけど、
本当かよ。。
って言うか、当事にしちゃ、この姉妹ってみんな結婚遅いよな…。
長姉と次姉は後妻だし…。
結婚記念日にする話?(笑)
何だって良いさ~。
きっと母は。。幸せだったはず。
不満もあっただろうけど、不満もない結婚生活なんてないと思うから。
祥月命日
今朝、旦那に『確か今日、お父さんの命日だと思うから、墓参り行って来る。』って言ったら、
『思うって、多分かよ。』って言われたんで、一応位牌を見て確認した。
間違いない(笑)
平成15年の今日、旅立ちました。
『もう7年になるんね~、7年前の今日は苦しかったね~、みんな。私は数日泊り込みだったし。』
『そうそう、俺なんかこいつ(犬)にメガネ食べられちゃってさ~。』
『それで○○(娘)が、写メって来たんだっけね。』
父が亡くなる数日間は、メンタルでとてもきつかった。
もう旅立つのを待つしかない状態だったからね。
夜になると、主治医が来て『今夜もつかどうか…。』って言われ、それでも2日は頑張ったっけね。
どうすることも出来ない私はずっと父の手を握ってたんだっけ。
さてさて、霊園ですが。
夏以来の墓参だったんで、草がボーボーでした。
草むしりは良いんだけど、変な芋のツルみたいのがなかなか抜けなくて。
次に行くときは軍手持参で行こう!って思いました。
一応、墓参グッズ(スポンジやゴミ袋、ろうそく、ライターなど)は持ってたんだけどね。
命日ってのは、故人への窓口が開く日なんだそうです。合掌。
受験生
梅雨のある日、娘が私に『ね~、7月10日って何か用事ある?』って言った。
『何?納豆の日だけど。』と返答したら、
『○○大学のオープンキャンパスがあるんだけど、一緒に行こう。』って。
娘からそう言うお誘いがあることはほとんどないので、快く受けた。
娘は他の大学のオープンキャンパスに数回行っていて、その大学希望から譲らなかったんだけど、
一緒に見に行った大学が気に入ったらしく、あっさりとシフト変更した。
で、その大学の入試だったの、今日。一般推薦なんだけど。
数週間前に『乗り換えが不安だから、朝、一緒に行って。』って言われて、
受験だけでも不安だろうに、少しでも不安が減るならと、快諾した。
その話を旦那にしたら『甘やかしてる。』と。そうかな~。。
誰が何と言おうと送って行こうと思ってた。
そしたら夕べ遅い時間に、酔っ払いから電話がかかって来て、幕張本郷まで迎えに来てと言う。
朝早いし、もう寝たいんだけど、しぶしぶ迎えに行ってあげた。
車に乗った酔っ払いは『ほら、お前の為に買って来たぞ!』と、すき家の牛丼を差し出す。。
あの~、深夜1時だし、食べられないよ~って思ってたら、
帰宅後、旦那は自分で食べ始めた(笑)
『こんな時間に牛丼食べるなんて、酔っ払いかデブかどっちかだよね~。あ、酔っ払ったデブって場合もあるかw』
そんなこんな会話して、寝た。
今朝、受験する大学の最寄り駅まで一緒に行ったんだけど、
時間もあるし、正門まで行ってみようと、駅から少し歩いた。
推薦入試って言っても5会場もあって、受験生がたくさんなわけで。。
それを見た私は不安になってしまった。
娘は『ま~、全学部だからね。』とサラッと言ったけど。。
学内の曲がり角で『じゃ、頑張ってね。』って肩を叩いてバイバイした。
見えなくなるまで手を胸に当てて見送った。娘は一度も振り返らなかった。
何だか、ウルウルと涙が出て来た。
親と一緒の子がほとんどだった。
付き添いの控え室まであって、私はマイノリティじゃないじゃんって思ったよ。
結果は週末までおあずけ。そっとしておいて下さい(笑)