昔は芋ばっかだった

今月はチヨ婆ちゃんに さつまいもと幕張logoicon の昔話を聞いてきました。
マクスタッフ(以下マ) :昔は多くの家でさつまいもを作っていたのですか?
チヨ婆ちゃん(以下チ):昔はな、ほとんどの畑がいも畑だっただぞ
チ:ここらではな(幕張町1丁目)3件でん粉屋があってな、
 百姓のもん(者)は朝くれぇ(暗い)うちから芋掘って、昼過ぎから10貫(1貫3.75キロ)に分けて
 南京袋に入れて、夕方になると牛車に積んでみんなでんぷん屋に運ぶだよ。
 列が出来ただぞ。
 酒飲みにはでん粉屋がお茶替わりに酒をふるまうんだ。
 でん粉屋には東北から住み込みで働きにきてもらって、夜にガラガラと洗ってでん粉をすって 
 それを干して売ってたな。

(でん粉屋さんが、さんまつという会社に持って行き、そこで水あめとかにしたそうです。)
 でん粉の他には稲毛に焼酎会社があったから、百姓のもんは芋の皮を剥いて干して、持っていくだよ。
チ:昔はな、今みたくせんべいだの菓子だのなかっただぞ、芋やどにく(でん粉をとった後に出る芋のはしくれだそうです)
 を食ってただ。
 戦争中は東京からも買いにくるもんが大勢いてな、見つかると警察につかまるからリュックに入れて
 しょって帰ってただよ。着物と芋を交換しにくるもんが多かったみてぇな。
 1年中芋食ってただぞ。
 だいたいは蒸かして食ってたけどな、冬になると乾燥させた芋をふやかして
 あんこみたくして食ってただぞ。
 でも砂糖だのなかったからな・・・


 といって今日の朝、旦那さんのために砂糖を沢山入れてさつまいもを煮たそうですナイフフォーク
 マクスタッフにも裾分けしていただきましたface02
 甘くて美味しかったです。
マ:最後に、チヨ婆ちゃんは今でもさつまいも好きですか?
チ:おう。好きだんな。
※昔、チヨ婆ちゃんが作っていたさつまいもの種類は「おきなわ」という名前だったそうです