行商に行っただよ


前回のストーリーで書いたように、幕張の人々は東京に行商に行っていたそうです。
幕張の女たちは、年末の伸し餅だけではなく、
年間を通して野菜・魚・漬け物なんかを背負い籠に入れて東京で売り歩いていたそうです。
電車で行商に行く人がとても多く、京成電鉄には行商専用車両が有った程だそうです!
魚を売りたい場合は、船橋で途中下車して、市場で魚を仕入れてから東京に向かったそうな。
チヨ婆ぁちゃんの義理の母もそんな行商の女で、約30年前まで亀戸や平井まで品物を売りに行っていたそうです。
お得意先は、とうふ屋、花屋、下駄屋、材木屋など商売をやっている家が多く、週に3回程回っていたそうです。
毎回、一番仲のいい豆腐屋さんの家で幕張から持って来た朝食を一緒に食べるのがおきまりだったとか・・・。
夏が近づくと、お得意さん達が幕張のチヨ婆ぁちゃん家に潮干狩りや海水浴に遊びに来たそうです。
花屋の娘さんは、一ヶ月間泊まって幕張の夏を楽しんで行ったこともあったそうな。
東京と幕張、
お客と行商・・・
地域と枠を超えた人情味の溢れる交流ですね〜。

ゼーの米俵


※写真はイメージです。
チヨ婆ぁちゃん家にいくと餅を食べていました。
毎年、年末に餅をつくそうなんですが、その前に古い餅を食べ切ってしまいたい様子。
『いしゃ、昔はみんな3俵ついただえ〜』
昔はそれぞれの家で180kg分の餅米をついていたそうです。
米俵1俵 には 60kgの餅米が入っていたそうです。
もちろん、ついた餅は全て家で食べるわけではなく、一部は伸し餅にして行商で東京まで売りに行ったそうです。
(※次回チヨ婆ぁちゃんのオラが幕張では、行商について書きます)
さて、チヨ婆ぁちゃん曰く、幕張の村で使っていた米俵は『ゼー』で作られていたとか・・・。
『ゼー』がなにかさっぱり解らず、改めて聞き直すと、幕張の人から見て長作や八千代の方面を差すそうです。
辞書でその漢字の”在”を調べたところ”都会からみた田舎”という意味が有りました。
昔から幕張は海が近くにあり栄えていたので、山側の長作や八千代を在(ゼー)と呼んでいたのでしょうね。
<チヨ婆ぁちゃんの幕張弁教室>
いし = あなた
〜らんチャン = 〜の旦那さん
〜らんオッカ = 〜の奥さん
(基本例)
幕張弁:いしらんおっか
標準語:あなたの奥さん
(応用例文)
幕張弁:『あそこらんチャンは、ゼーのもんだベー』
標準語:『あそこの家の旦那さんは、長作ご出身よね』