シオフキガイ


チヨ婆ぁちゃんが幕張の潮干狩りについておしえてくれました。
約40年程前まで、幕張は潮干狩りの町でした。
幕張でよくとれる貝は、上の写真の左上から時計回りに、
バカガイ(青柳)
カガミガイ(この辺りではドウショウと言ったそう)
アサリ
シオフキガイ

その他にも、マテガイやハマグリ、赤貝もとれたそうです。
幕張には、潮干狩りの他にすだて遊びを楽しめるところもあり、
首都圏をはじめ、群馬、栃木などから観光客が訪れたそうです。
その観光客が少なく、畑仕事も少ない冬の時期に、たくさん獲れたのがシオフキガイ。
幕張の人は、冬になるとこのシオフキガイを獲って茨城や埼玉で売ったそうです。
まず、販売を担当する人(男性)は自転車で1人茨城、埼玉へ向かい宿に泊まります。
幕張に残った人達でシオフキガイを獲り、剥き身にして浜田川で洗うそうです。
そのむき身を鉄道の宅配便をつかい、現地入りしている男たちに送ります。
男たちはシオフキガイを自転車にのせて売り歩いたそうです。
シオフキガイは生で食べたり、みそ汁に入れたり、切干し大根と一緒に煮て食べたそうです。
そのむき身をござの上で天日干しにしたものをべったら干しと言い、
炒めて、砂糖醤油につけて食べたそうです。
とってもシンプル。
チヨ婆ぁちゃんいわく、この辺は新鮮な海産物が獲れたから、
恵まれていて、調理方法は煮るくらいしか知らなかったそうです。
食材がそろわない地域の方が、知恵を絞って料理をするのかもしれませんね。

幕張の大麦小麦


チヨ婆ぁちゃんの若い頃、幕張の代表的な農作物はサツマイモと麦だったそうです。
おおまかに・・・
4月〜10月の半年は、サツマイモ
10月〜4月の半年は、大麦と小麦
麦の収穫前に、麦と麦の間にサツマイモの苗を植えると、
直射日光を避け芋の根がよく張ったそうです。
そして、芋の苗が根付いた頃に、麦の収穫。
とっても効率的です。
大麦(写真上)は収穫後、近所のでんぷん屋に持ち込まれ『もみすり』されます。
もみすり後、天日干しをするのですが、その場所取りが肝心だったそうです。
チヨ婆ぁちゃんの家は毎年、朝2時にでんぷん屋に行きポールポジションをとっていたそうです☆
( The early bird catches the worm! 早起きは三文の得! )
干した麦は、雑穀米に入っている押し麦のようには押さずに、そのままお米に混ぜて炊いたそうです。
お米50:大麦50が基本。
通常は、この麦飯におしんこと芋類のみそ汁が基本セットだったそう。
お祭りや祝い事の時にだけ、白米100%とカツオが食卓に上がったとか。
その時は、嬉しくて、たくさん食べたそうです。

次に小麦(写真上)・・・
小麦は、でんぷん屋でもみすりした後、小麦粉にして使ったそうです。
もみすりで出たもみ殻は『ふすま』と呼ばれ、農作業用の牛の餌にしたそうです。
その牛(朝鮮牛)の餌はこんな感じ:
約5cmに刻んだわら(稲のわら、少し湿らせておくと喉通りが良い)
米ぬか
ふすま
人間が食べたみそ汁の残り
以上をミックス。
何だか栄養がありそうですね〜。
そして肝心の小麦粉は、
やはりうどんを打ったり、まんじゅうを作ったりするのに使ったそうです。
エコで持続可能で健康的な暮らしです。
PCの前に一日中座ってるよりずっと面白そう・・・。
そう思ってチヨ婆ぁちゃんに『昔の方が生活が楽しかったのでは?』と質問してみると。
海の仕事、畑仕事、家事、子育てで忙しくて、
『楽しんでる暇なんかねぇよicon08
・・・との事。

金比羅さま


チヨ婆ぁちゃんが子供の頃、幕張は漁師町でした。
幕張一丁目にある金比羅さまは、漁の安全を守る神様として、
地域の人々の生活の大切な一部だったそうです。
毎月9日の日の晩には縁日が行われ、この参道に出店が並んだそうです。
チヨ婆ぁちゃんが若い頃好きだったのは、金平糖と豆の煎餅の出店!
月に一度、地域の人々はここにお参りに来るのでした。
12月31日には特別に『裸参り』が行われ、
地元の男衆はふんどし一丁で参道を駆け上がり
一年間の漁の安全に感謝したそうです。

参道の入り口にある石、
これは『力石』と呼ばれ、男衆が力比べに使ったそうです。
マクスタッフも試してみましたが、大きいのはびくともしません!
漁や畑仕事で鍛えた人達とPCの前に一日中座ってるスタッフの力の差は歴然!?

昔、境内だった場所は今はこの通り寂れてしまっています。
戦争中はここで神楽を組み地域の人々による『素人演芸』が行われ、
チヨ婆ぁちゃんもそれを楽しんだそうです。
戦争後、この境内には幕張小学校の校長先生の家族も
住んでいらっしゃったそうです。
チヨ婆ぁちゃんの若い頃のように、
金比羅さまを幕張のみんなが集まれる場所として
復活させたいものですね☆

スミイカ


チヨ婆ぁちゃんの若い頃、幕張の海はスミイカの漁で大賑わいだったそうです。
毎年たくさんのスミイカが幕張の海に戻ってくるように、
地元の漁師は、スミイカが卵を産みつけるための仕掛けをこしらえ、
それを沖(場所は、今の神田外語大学のある辺り!)に浮かべておいたそうです。
仕掛けとは・・・
葦の根っこをこもで包み、それに箒草を差し込んだものだそうです。
その箒草の上にスミイカは黒くて小さいイクラみたいな卵を産みつけるそうです。
産卵の為に幕張の海にやってきたイカを地元の人は船一杯に獲ったそうです。
それこそ、船が沈むくらい沢山。
スミイカには甲と呼ばれる骨のようなものが入っており、
チヨ婆ぁちゃん達は、それを消しゴムとしても使ったそうです。
昔の幕張も楽しそうですね〜。