昔の幕張と海浜幕張の話

1年振りの更新となりました、チヨ婆ちゃんの「おらが幕張」
今月89歳となったチヨ婆ちゃんは、とっても元気です!
先日、神田外語大学の学生さんを交えて、幕張の昔話を聞く機会があったのでその内容を載せようと思います。

国道14号線から海浜幕張方面は昔は海でした。埋立地というのは有名な話ですね。
海では海苔や貝類(あさり、しおふき)などが取れ、むいた貝を浜田川で洗っていたそうです。
浜田川では、近所の方々が洗濯、米とぎ、おしめを洗ったりしていたそうで、今では想像がつかないですね。
幕張本郷周辺では、麦・さつまいもを栽培していて、その後しばらくしてからにんじんの栽培も始まりました。その一帯はすべて畑だったそうです。
ここで七年祭りの話題・・・
七年に一度に行われる七年祭り。昔からあるお祭りの一つで、幕張周辺の9つの神社から各神輿が担がれるのですが、神輿(神社)にはこんな意味があるんです。
七年祭りには、武石・畑町・三山・幕張などの神社から神輿がきます。そもそも七年祭りは安産祈願をさせことに由来しているそうで、
三山・・・二宮神社(父)
畑町・・・子安神社(母)
幕張・・・子守神社(子守)
武石・・・三大王神社(産婆)
・・・と各神輿に役割があるんです。
幕張にはもう一つ、昆陽神社がありますが、ここでは毎年10月12日に相撲大会が行われていたそうです。
私たちが生まれるずーっと昔の幕張は、今では想像もつかないことが普通に生活の一部としてあった事に皆驚きました。
神田外語大学の学生さんたちはこのお話を、小学生の子供たちにお話しするということなので、昔を知らない子供たちに歴史を引き継ぐ事はとても素晴らしいことなので、もっともっと幕張の素晴らしさを知ってほしいと思います。

昔の七五三


今回は七五三についてチヨ婆ちゃんにお話をしてもらいましたface02
マクスタッフ(以下マ):昔の七五三ってどんな感じだったのですか?
チヨ婆ちゃん(以下チ):昔はな、でぇじん(ダイジン=お金持ち)なうち(家)は餅をついて配って、
            餅をつかねぇ家は赤飯を炊いて配っただぞ
            神社にめぇり(お参り)に行くときは、餅やミカンを持っていって、神社で撒いた、それを皆
            拾いに行ったもんだぞ。
            それでな、家に親戚を呼ばって(呼んで)ふるまいをしただぞ。
            今みたいに料理屋なんて行かないで、家で折り箱でふるまっただ。
            親戚や、親しくしているもん(者)はおひねりを着物におっさして(さして)あげただ。

マ:いくらくらい包んだのですか?
チ:10銭くれぇ~だな
チ:3か所めぇりに行っただ。子守神社では御払いをしてもらって、
 金毘羅様と、どう(どうの山)はめぇるだけだけど、3か所でミカンを撒いただ

マ:3か所でみかんですか?みかん沢山必要だったでしょうね!
チ:おう、めぇりに行くときはリアカーにみかんを積んで行っただぞ
マ:チヨ婆ちゃんも着物を着たのですか?
チ:おう、牡丹の紫の留袖をつめて七五三の着物にしてもらったな
  昔は一番上のもん(子供)しかやらねぇ(※親戚にお料理をふるまうなど)だぞ。
  (※チヨ婆ちゃんは長女です)
  下のもん(子供)はみかんも撒かねぇし、めぇりに行っただけだな
  昔はな、一番上のもんを男でも女でも「そうりょう」って言ってな、
  「そうりょうだからいい着物着せてもらったんな(もらったね)」って言ってただぞ
  下のもんのことは「ねこのしっぽ」って言ってただ

昔の七五三の様子がよく伝わってきました
そうりょうのチヨ婆ちゃんはよく
上は下の子供達のお守で大変だったと言っていましたが、
七五三の時は特別扱いのそうりょう。
とっても嬉しかった思い出のようです。
チヨ婆ちゃんが着た紫の着物、見てみたかったですface02

昔は芋ばっかだった

今月はチヨ婆ちゃんに さつまいもと幕張logoicon の昔話を聞いてきました。
マクスタッフ(以下マ) :昔は多くの家でさつまいもを作っていたのですか?
チヨ婆ちゃん(以下チ):昔はな、ほとんどの畑がいも畑だっただぞ
チ:ここらではな(幕張町1丁目)3件でん粉屋があってな、
 百姓のもん(者)は朝くれぇ(暗い)うちから芋掘って、昼過ぎから10貫(1貫3.75キロ)に分けて
 南京袋に入れて、夕方になると牛車に積んでみんなでんぷん屋に運ぶだよ。
 列が出来ただぞ。
 酒飲みにはでん粉屋がお茶替わりに酒をふるまうんだ。
 でん粉屋には東北から住み込みで働きにきてもらって、夜にガラガラと洗ってでん粉をすって 
 それを干して売ってたな。

(でん粉屋さんが、さんまつという会社に持って行き、そこで水あめとかにしたそうです。)
 でん粉の他には稲毛に焼酎会社があったから、百姓のもんは芋の皮を剥いて干して、持っていくだよ。
チ:昔はな、今みたくせんべいだの菓子だのなかっただぞ、芋やどにく(でん粉をとった後に出る芋のはしくれだそうです)
 を食ってただ。
 戦争中は東京からも買いにくるもんが大勢いてな、見つかると警察につかまるからリュックに入れて
 しょって帰ってただよ。着物と芋を交換しにくるもんが多かったみてぇな。
 1年中芋食ってただぞ。
 だいたいは蒸かして食ってたけどな、冬になると乾燥させた芋をふやかして
 あんこみたくして食ってただぞ。
 でも砂糖だのなかったからな・・・


 といって今日の朝、旦那さんのために砂糖を沢山入れてさつまいもを煮たそうですナイフフォーク
 マクスタッフにも裾分けしていただきましたface02
 甘くて美味しかったです。
マ:最後に、チヨ婆ちゃんは今でもさつまいも好きですか?
チ:おう。好きだんな。
※昔、チヨ婆ちゃんが作っていたさつまいもの種類は「おきなわ」という名前だったそうです

子守神社のお祭り


明日から3日間、幕張の子守神社のお祭りです!
ということで、
今回はチヨ婆ちゃんに「子守神社のお祭り」についてお話をしてもらいました
マ:「子守神社のお祭りは、チヨ婆ちゃんが小さい時からあったのですか?」
チ:「昔からあー(ある)だよ」
マ:「お祭りの時にしていた特別な事があったら教えてください」
チ:「まんじゅうを作って赤飯を炊くだよ」
取材に行った今日、チヨ婆ちゃんはお赤飯を炊く準備をしていました。
井戸水でお米をといでいました。
チ:「あとはな、提灯棒を立てぇだ
?チヨ婆ちゃんの家には提灯棒が立ってません・・・eku&Que
チヨ婆ちゃんと娘さん、お婿さんの間で勘違いがあった様で、あわてて準備をしだしましたdash2

井戸水をくんで、ブラシでゴシゴシ・・・
この提灯棒、当日に提灯をぶらさげ、上には榊を飾るそうです。
提灯ですが、基本は15日と17日のお神輿が通る時に灯をつければいいそうですが、
チヨ婆ちゃんの近所の方は、お祭りお間はずっとつけているそうです。
マ:「あと他にはどんな事をしていましたか?」
チ:「舞台を作って、しろとえんげい(素人演芸)もしたなぁ」
マ:「しろとえんげい?」
チ:「1丁目の年番の時は、しんでんの前の空き地(現在のマクドナルドの近く)に舞台を立てて、
 踊ったり歌ったりしただぞ」

マ:「年番?」
年番とはおまつりを仕切る当番だそうで、1丁目から5丁目まで順番でやるそうです。
ちなみに今年は5丁目。
面白い事に年番の順番は5丁目→4丁目→3丁目→2丁目→1丁目だそうです。
そして、年番の町会は縄をはるそうです。

今日、5丁目を通ったら、縄がはってありました。
チ:「昔はな、年番になると寄付集めにきただよ。寄付が少ないと神輿を家に当てられだぞ。
 あとな、年番になると呉服屋が着物を売りにきて、新しい着物を作っただぞ。」

マ:「出店とかもあったのですか?」
チ:「綿あめと、たこ風船、おめん・・・はぁ忘れた。」
88歳のチヨ婆ちゃん、やっぱりお祭りは嬉しい様で、張り切って御赤飯の準備をしていましたicon12
皆さん、15日~17日は子守神社のお祭りに行ってみてはいかがですか?

~お盆にまつわるお話し~

今日はお盆にまつわるお話を聞いてきました。
(※マ:マクスタッフ、チ:チヨ婆ちゃん)
マ:そろそろお盆ですが、お盆に仏様を迎える準備など教えてください
チ:仏壇にな、飾り付けをするだよ、今はな面倒くだから皿にのっけて終わりにするもん(者)が
 多いけど、昔はさげてただ。おらがのは今でもさげてるぞ。

マ:何をさげるんですか?
チ:稲穂、粟穂、サトイモと葉、ほおずき、笹竹だのぶらさげるだぞ
  瓜と茄子は麻の木をおっさして(刺して)馬にするんだ。馬に乗って仏様が来るだべ。

※こんな感じです↓ これはチヨ婆ちゃんの家バージョンです。他のお宅が
どうなっているのかはチヨ婆ちゃんも分からないとのことです。

チ:新盆の家は12日に飾って、普通の家は13日に飾り付けをするだぞ。
  13日の夕方にな、家から提灯に火をつけて墓に仏様を迎えに行って、
  けぇ~って(帰って)来たらまんじゅうとお茶を食べんだ。
  提灯の火が途中で消えたら、また家に戻ってやりなおしするだぞ。
  
  14日は朝早くから墓参りだ。
  サトイモの葉を皿代わりにして上に茄子・キュウリを小さく切ったのと米をまぜて供えるんだぞ
  14日は仏様は家にけぇって来てるのに、墓参りすんのもおかしっけどな。
  15日は家から提灯に火をつけて仏様を墓に送るんだけどな、墓で火を消してくるだぞ
  

※本当はハスの葉をお皿代わりにするそうですが、チヨ婆ちゃんの家ではサトイモの葉を代用しているそうです。
※ちなみに、家に帰って来ている時の仏様に供えるご飯は、夏野菜を使ったおかずだそうです。
 茄子、キュウリ、いんげん、かぼちゃなどを使い、お昼ご飯には冷麦をあげるそうです。
 これは昔からだそうですよ!
マ:他にお盆にまつわるお話とかありますか?
チ:昔はな、お盆には海へは行くなって行っただぞ。足引っ張られるんだべ・・・
来週はお盆です。
チヨ婆ちゃんの家ではお婿さんが受け継いで、買い物リストを作っていました!
いつまでもぶらさげた飾り付けを続けて欲しいな~と思いました。

昔の浅間神社大祭


毎年7月14日、15日は浅間神社大祭(稲毛)。
今年も近づいて参りました!
ということで、今回は昔の浅間神社大祭についてお話を聞いてきました。
マ:そろそろ浅間神社のお祭りですが、このお祭りは昔からあったのですか?
チ:「あっただよ」
マ:どんな様子だったか教えてください
~チヨ婆ちゃんが子育てをしていた頃、今から約60年前のお話です~
チ:「昔はな、自転車に畑の籠を乗っけて、その中に子供を入れてな、
  朝早くにめぇり(参り)に行っただよ。7歳までは必ず行っただぞ」

 (ちなみに、子供が多い家はバスや電車で行ったそうです)
 ※当時、旧14号船橋から千葉大学病院までバスが走っていたそうですbus
  「この辺のもん(者)は皆行っただよ。鷺沼からもめぇりに行くもんがいっぺぇ(沢山)いただぞ。
  電車も混んでったっけな~
  めぇった(参った)後はかき氷を食って帰っただぞ」

マ:かき氷があったんですか!?ちなみに何味でした?
チ:「あっただぞ、イチゴとすい(砂糖水)の味だけだったけどな。
  あとな、めぇった後に仲人をやってもらった家に土産でうちわを買って帰っただぞ。」

マ:へ~…
  このお祭りはチヨ婆ちゃんが小さい時からあったんですか?
チ:「あっただべな。はぁ(もう)、忘れちまった。店もいっぺぇ出てたぞ」
マ:どんなお店が出ていたのですか?
チ:「うちわや、おもちゃやかき氷、ほうずき・・・・」
マ:他にも出ていましたか?
チ:「出てたべな、はぁ忘れちまった」
子育ての神様、浅間神社は昔から多くの人がお参りに行っていたのですね。
今年は土曜日、日曜日の開催ですface01
かなりの混雑が予想されますが、皆さんもぜひ行ってみてはいかがですか?

今日のチヨ婆ちゃんface02
白内障の関係でサングラスをかけていますが・・・結構、迫力ありますよtikarakobu
最近はあまり外に出ることが減って来ましたが、セブンイレブン幕張店にたまに出かけます。
マクスタ芋掘りも来れるかな?

昔の幕張の台風・・・

お久しぶりです。マクスタッフです!
今日からまた月1ペース?でチヨ婆ちゃんのオラが幕張、復活です
ピース

※写真はイメージです
昨日の台風は本当にすごかったですね。
もの凄い風でした・・・
ということで、復活第1弾目はチヨ婆ちゃんに昔の台風についてお話を聞いてみました。
マ(マクスタッフ):昔、幕張に来た大きな台風について教えてください
チ(チヨ婆ちゃん):ここらは昔っからあんまり被害ねぇだよ
           でもな、台風だと聞くと、船溜まりに行って船をあげたりしたな。
チ:(思い出した様に…)しびんの川(現在セブンイレブン幕張店の横の川)が溢れて、
           田んぼが水だらけになって、稲が流されたりしただぞ。
           川の横の家はな、水浸しになると役場から支給されたりしてたな。

マ:役場があったんですか?
チ:今の芋神様(昆陽神社)のところに役場があっただよ。
マ:川が溢れて家が被害にあうと役場から何か支給されたということですか?
  ちなみに何を支給されたか知っていますか?
チ:被害に合わなくても貰えたみてぇだぞ。おんら貰ったことはねぇからよくは知らねえけどな。
  毛布とかもらっただべ。

マ:(何故毛布なんだろ???)
セブンイレブン幕張店の横の川は、昔はすぐに溢れてしまったそうです。
そもそも川の横に田んぼがあったなんて想像つきませんね~
幕張の歴史、聞けば聞くほど面白い
face02
そして最後に、七年祭りの芋、あの強風で大丈夫ですかね?と聞くと、
芋はあんたんねべ(大丈夫という意味)。トマトやトウモロコシはひっくりけぇってるな、きっと。
とのことでしたlogoicon

行商に行っただよ


前回のストーリーで書いたように、幕張の人々は東京に行商に行っていたそうです。
幕張の女たちは、年末の伸し餅だけではなく、
年間を通して野菜・魚・漬け物なんかを背負い籠に入れて東京で売り歩いていたそうです。
電車で行商に行く人がとても多く、京成電鉄には行商専用車両が有った程だそうです!
魚を売りたい場合は、船橋で途中下車して、市場で魚を仕入れてから東京に向かったそうな。
チヨ婆ぁちゃんの義理の母もそんな行商の女で、約30年前まで亀戸や平井まで品物を売りに行っていたそうです。
お得意先は、とうふ屋、花屋、下駄屋、材木屋など商売をやっている家が多く、週に3回程回っていたそうです。
毎回、一番仲のいい豆腐屋さんの家で幕張から持って来た朝食を一緒に食べるのがおきまりだったとか・・・。
夏が近づくと、お得意さん達が幕張のチヨ婆ぁちゃん家に潮干狩りや海水浴に遊びに来たそうです。
花屋の娘さんは、一ヶ月間泊まって幕張の夏を楽しんで行ったこともあったそうな。
東京と幕張、
お客と行商・・・
地域と枠を超えた人情味の溢れる交流ですね〜。

ゼーの米俵


※写真はイメージです。
チヨ婆ぁちゃん家にいくと餅を食べていました。
毎年、年末に餅をつくそうなんですが、その前に古い餅を食べ切ってしまいたい様子。
『いしゃ、昔はみんな3俵ついただえ〜』
昔はそれぞれの家で180kg分の餅米をついていたそうです。
米俵1俵 には 60kgの餅米が入っていたそうです。
もちろん、ついた餅は全て家で食べるわけではなく、一部は伸し餅にして行商で東京まで売りに行ったそうです。
(※次回チヨ婆ぁちゃんのオラが幕張では、行商について書きます)
さて、チヨ婆ぁちゃん曰く、幕張の村で使っていた米俵は『ゼー』で作られていたとか・・・。
『ゼー』がなにかさっぱり解らず、改めて聞き直すと、幕張の人から見て長作や八千代の方面を差すそうです。
辞書でその漢字の”在”を調べたところ”都会からみた田舎”という意味が有りました。
昔から幕張は海が近くにあり栄えていたので、山側の長作や八千代を在(ゼー)と呼んでいたのでしょうね。
<チヨ婆ぁちゃんの幕張弁教室>
いし = あなた
〜らんチャン = 〜の旦那さん
〜らんオッカ = 〜の奥さん
(基本例)
幕張弁:いしらんおっか
標準語:あなたの奥さん
(応用例文)
幕張弁:『あそこらんチャンは、ゼーのもんだベー』
標準語:『あそこの家の旦那さんは、長作ご出身よね』

お祭り


チヨ婆ぁちゃんに昔の幕張の祭りについて聞きました。
『祭りの時期になると思い出すものは?』
とまず聞いてみると、この近辺で行われていた海苔の養殖で使った竹棒立ての作業で忙しい時期だったとの事。
年に一度のお祭りだからといって、仕事を休める程、幕張の生活は甘くなかったようです。
しかし、祭りはみんなの楽しみで、出店や神輿で華やいだそうです。
出店でチヨ婆ぁちゃんが懐かしく思い出すものは、
べっこう飴の型抜き:ひょうたん型などに飴をきれいに型抜きできると、さらに一本もらえる遊び。
ぼったら:キャベツの入ってない薄いお好み焼きみたいなもので、桜えびが入っていたそうです。
おもちゃ屋:女の子用に厚紙の着せ替え人形、男の子用の木剣。
金魚すくい:出目金なんてしゃれたもんはいなかった!そうです。
その他:焼きそばやヨーヨーは昔もお祭りの定番だったそうです。

最後に神輿。
今も昔も祭りの華ですが、幕張の神輿は重くて有名だったとか。
そして、チヨ婆ぁちゃんの目にいたずらっ気のある輝きが・・・
『昔は、祭りの寄付の少ない家には神輿をブツけタダよ。』
もちろんコレは噂です・・・村の伝説です。
でも、なぜか祭りで神輿が家に突っ込み塀を壊されることが後を絶たなかったとか・・・