昔から幕張ではお彼岸に草餅を作る風習があるそうです。
チヨ婆ぁちゃんに幕張産草餅の作り方を教えてもらいました。
1. 幕張の田んぼ(パサール近く)近くの山から幕張産よもぎを採取してきます。
2. それを茹でて小さく刻みます。
3. 次にそのよもぎを臼の中ですりつぶします。
4. お米(餅米ではない)を石臼で挽き、米粉にしたものにお湯を混ぜ、適当なサイズにまとめます。
5. まとめた米粉を蒸し器で蒸します。
6. 蒸した米粉と先程のすりつぶしたよもぎを臼の中で混ぜ合わせます。
7. 杵で餅つきをします。(忙しさと、重労働で、写真撮るの忘れました)
8. つき上がった草餅を適当なサイズにまとめ、あんこをのせて食べます。
よもぎの色の美しさと、香りのよさに感動しました。
守ってゆきたい素敵な幕張の文化ですね〜
月別: 2010年3月
干し芋の食べ方と芋の密売
チヨ婆ぁちゃんの若い頃、サツマイモの産地の幕張では保存食として干し芋を作っていたそうです。
今でも全国的に出回っている干し芋とは違い、ふかさずに生のままの芋を干して作ったそうです。
まずは、日中畑仕事で収穫したサツマイモを夜に皮むきし輪切りにしておく。
そして翌日、よしずの上に並べ、天日で乾燥させるのだとか。
食べるときは、ペースト状になるまで煮込むそうです。
砂糖は、その頃貴重だったので煮込む時に入れようとも思わず、
また周りに甘いものが少なかったせいか、そのままで十分甘く感じたそうです。
その干し芋ペーストは、お腹を膨らます為にあえて食事の前にスターター?として食べたそうです。
また、まんじゅうの餡としても使ったそうです。
戦争中、配給制のため個人的なサツマイモの売買は禁止されていたそうです。
それでも、幕張のサツマイモを目当てに、夜な夜な東京から電車でやってくる人がいたそうです。
物がない時代、お金は意味を持たず、東京から来た人達は配給の缶詰や着物と芋を密かに交換して行ったとか。
そうした行為は見つかると罰せられ、駅で警察に取り押さえられる人も居たとか。
またその人が白状し、交換した幕張の農家も逮捕されたりした事が実際にあったそうです。
今の幕張は平和ですね〜。
イソギンチャクの味噌煮
チヨ婆ぁちゃんが若い頃、幕張の大人たちはイソギンチャクを食用にしていたそうです
チヨ婆ぁちゃん曰く『オンらぁ気持ち悪くて食わなかったぁ』そうです。
その頃、幕張ではイソギンチャクのことを、『尻こ玉』(その見た目がお尻の穴みたいだから)と言いい、主に味噌煮にして食べられていたようです。
<イソギンチャクの味噌煮の作り方>
1. 火箸に何個も串刺しにして灰をまぶし水洗いし、ぬめりをとる
2. 油でイソギンチャクをよく炒める
3. 味噌で味付けする
今でも幕張の浜で見かけるイソギンチャク、どんな味がするのでしょう?