今日もハルエ婆ぁちゃん家で千代婆ぁちゃんは、お茶を飲んでいた。
お茶碗の隣には、薄皮まんじゅう。
二人の婆ぁちゃんに質問をしてみた・・・
「昔、幕張の人はどうゆうおやつを食べてたのですか?」
『いしゃ、昔はよ、飴一つねぇだえ』
と千代婆ぁちゃん。
ハルエ婆ぁちゃんも遠くを見つめ一言。
『乾燥芋煮て食っただっけよぉ』
当時の幕張の農家では、種芋の残りで保存のきく乾燥芋を作り、それに水を足し煮詰めたアンコがおやつだったそうだ。
戦争中は全て配給制。
浜田川のとなりの武蔵屋(現在のセブンイレブン幕張店の前身)で米、味噌、塩、醤油、砂糖、炭、薪、着物などが配給されていたと言う。
『塩がねぇから海の水でらっきょ漬けただぇ』
と千代婆ぁちゃんは強調する。
風の強い日には、朝4時になれば、浜辺に打ち上げられた薪(流木)を目当てに人が集まったという。
カーナ(アオサ)も全て拾い集め、サツマ芋などの肥料として使ったそうだ。
その当時、千代婆ぁちゃん達が線路沿いの芋畑(今の幕張本郷と津田沼の間)でカーナを撒く作業をしていると、そこを汽車が通った。
汽車には、両国や浅草まで行商に行った親戚が乗っていて、時折、東京から持ち帰った貴重な飴を車窓から畑に放り投げてくれる事もあったそうだ。
そう話してくれた後、二人の婆ぁちゃんは、しばらく無口になった。
・・・きっとあの日のあの飴の味を思い出していたのだろう。
そんな特別な飴を、私達は味わった事があるだろうか?
ふと、薄皮まんじゅうの包みに目をやると、賞味期限が切れていた。
こういう話を聞くと、まんじゅうの賞味期限がとてもばかばかしく思えて来た。
今日何個のまんじゅうが捨てられたのだろう?
まだ食べられたかもしれないのに・・・。