スミイカ


チヨ婆ぁちゃんの若い頃、幕張の海はスミイカの漁で大賑わいだったそうです。
毎年たくさんのスミイカが幕張の海に戻ってくるように、
地元の漁師は、スミイカが卵を産みつけるための仕掛けをこしらえ、
それを沖(場所は、今の神田外語大学のある辺り!)に浮かべておいたそうです。
仕掛けとは・・・
葦の根っこをこもで包み、それに箒草を差し込んだものだそうです。
その箒草の上にスミイカは黒くて小さいイクラみたいな卵を産みつけるそうです。
産卵の為に幕張の海にやってきたイカを地元の人は船一杯に獲ったそうです。
それこそ、船が沈むくらい沢山。
スミイカには甲と呼ばれる骨のようなものが入っており、
チヨ婆ぁちゃん達は、それを消しゴムとしても使ったそうです。
昔の幕張も楽しそうですね〜。

江戸ゴミ


これは戦争前の話。
チヨ婆ちゃんもまだ子供の頃。
幕張には、揚げ場というゴミを溜める場所が2カ所あったそうです。
一つは、当時の浜田川の河口、今の14号線沿いの交番辺り。
もう一つは、上の写真の場所、わかります?どこだか??
そう、14号線沿いのVOLVOの向かい辺り。
なんで『揚げ場』と言うのか?
それは、当時、14号線沿いのラインが丁度海岸線で、
そこまで船を使って東京から運んできた生活ゴミを陸揚げしていたから。
そのゴミは『江戸ゴミ』と言われ、地元の人がそのゴミを仕分けしていたそうです。
一部は畑の肥料に、一部は鉄くず屋に売ってリサイクルへ。
・・・エコですね〜。
子供のチヨ婆ちゃんも釘やコハゼ(足袋なんかのフックの部分)を拾い集めて、
それを両親に渡し、鉄くず屋に売ってもらったそうです。
そこで貰えた少しのお金で、『鉄砲玉』(当時、飴をそう呼んでいたそうです。)
を買ってもらうのが嬉しかったそうです。
cloverSustainable Society Makuhariclover

ここは昔・・・


この場所お分かりになりますよね?
チヨ婆ちゃんの話によると
book 50年以上前の幕張では有名な話
だそうですが・・・
よくこの場所には土左衛門が流れついたそうです・・・
※土左衛門とは 江戸の力士、成瀬川土左衛門の身体が肥大であったので、
世人が溺死人の膨れ上がった身体を土左衛門のようだと戯れたのに起るという(広辞苑より)
何故この場所なのかは分かりませんが、特にお盆になると多く流れついたとのこと・・・
今でもチヨ婆ちゃんは言います
「お盆に海にいくもんじゃねぇ」
と・・・・icon11

菖蒲湯

5月5日 こどもの日
みなさんは菖蒲湯に入りましたかhuro
マクスタッフはチヨ婆ちゃんに同行し、菖蒲を取りに行ってきましたhasami

ここ・・・幕張ですよface08
どれが菖蒲でどれが雑草か・・・私達には分かりませんface07
でも、チヨ婆ちゃんはスタスタと草むらへ入り、包丁片手に菖蒲を見つけ切ってくれましたface08
今年も元気に1年過ごせそうですtikarakobu

ご無沙汰です

久しぶりの更新ですpen
実は、チヨ婆ちゃんの妹であり、大の親友でもあった 春江婆ちゃんが
2月に永眠されました。
チヨ婆ちゃんも毎日のお茶飲み友達がいなくなってしまい、寂しい限りだそうです。
少しずつですが、チヨ婆ちゃんも元気になり、今は畑にも出かけているそうです。
そんなチヨ婆ちゃんが、今日採ったふきを持ってきてくれました!!
お勧めは 砂糖、醤油、みりんで煮て、最後に唐辛子を入れるのがポイントだそうです
今回は自分で煮て食べろとのことで、そのまま・・・face03
チヨ婆ちゃん84歳、まだまだ元気ですtikarakobu

ちよ婆ちゃんの肘


この写真だと分かりずらいのですが・・・
先日、ちよ婆ちゃんのを見たら、黒く硬くなっていましたface08
何故かと聞くと
草取り等、座って作業する時に左手は地面に付いて
右手で草取り・・・・
立ったり座ったりするのが大変なので
肘をついたまま移動したり、片方の肘に体重をかけているので
あざになってしまったそうですbyoin
長年働いた勲章というのですねthanks
こんなクーラーの効いた部屋で仕事している自分が・・・・icon10
これでいいのかな?

「ち」がさわぐぜぃ!!

潮干狩りに行った日、
千代ばぁちゃんに採れたてのバカ貝とお土産のあさりを渡しに行きましたicon27

むか~しむかし、千代ばぁちゃんは仕事で潮干狩りをしていたそうですumi
千代ばぁちゃんもあさり・バカ貝が大好きだそうで、すっごく嬉しそうでしたface05
で、翌日千代ばぁちゃんの家に行ってみると・・・icon16
黙々と貝を剥いていましたhasami

聞いてみると、貝が気になって気になって午前2:30に起きて
貝剥きをしていたそうですface08
私が行ったのは10:30・・・
8時間も!?face08
昔を思い出して血が騒いだのでしょう・・・・tikarakobu
ご近所さんにあげたり、仲良しの春江ばぁちゃんにあげたりするそうですface02
それにしても貝剥き、早かったですよ~face08
貝剥き専用の包丁みたいなのを使って・・・お見事ですcracker
来年教えてもらう約束をしましたface02

ちなみに、千代ばぁちゃんはアサリと葱を醤油と砂糖とお酒で煮る深川丼がお気に入りとのことicon12

海の水でらっきょ漬けただぇ!の巻

今日もハルエ婆ぁちゃん家で千代婆ぁちゃんは、お茶を飲んでいた。
お茶碗の隣には、薄皮まんじゅう。
二人の婆ぁちゃんに質問をしてみた・・・
「昔、幕張の人はどうゆうおやつを食べてたのですか?」
『いしゃ、昔はよ、飴一つねぇだえ』
と千代婆ぁちゃん。
ハルエ婆ぁちゃんも遠くを見つめ一言。
『乾燥芋煮て食っただっけよぉ』
当時の幕張の農家では、種芋の残りで保存のきく乾燥芋を作り、それに水を足し煮詰めたアンコがおやつだったそうだ。
戦争中は全て配給制。
浜田川のとなりの武蔵屋(現在のセブンイレブン幕張店の前身)で米、味噌、塩、醤油、砂糖、炭、薪、着物などが配給されていたと言う。
『塩がねぇから海の水でらっきょ漬けただぇ』
と千代婆ぁちゃんは強調する。
風の強い日には、朝4時になれば、浜辺に打ち上げられた薪(流木)を目当てに人が集まったという。
カーナ(アオサ)も全て拾い集め、サツマ芋などの肥料として使ったそうだ。
その当時、千代婆ぁちゃん達が線路沿いの芋畑(今の幕張本郷と津田沼の間)でカーナを撒く作業をしていると、そこを汽車が通った。
汽車には、両国や浅草まで行商に行った親戚が乗っていて、時折、東京から持ち帰った貴重な飴を車窓から畑に放り投げてくれる事もあったそうだ。
そう話してくれた後、二人の婆ぁちゃんは、しばらく無口になった。
・・・きっとあの日のあの飴の味を思い出していたのだろう。
そんな特別な飴を、私達は味わった事があるだろうか?

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ふき

農家のチヨ婆ちゃん
昔は苺・スイカ・長ネギ・玉ねぎ・人参・キャベツ・ほうれん草などなど
たくさんの野菜や果物を幕張で作っていたそうです
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今83歳の今も元気に畑に行っているそうですicon16
畑帰りのチヨ婆ちゃんが届けてくれましたicon27

ふき  From Chiyo’s Field
煮て食べても、炒め煮しても美味しいですよねicon28
チヨ婆ちゃんは炒め煮が好きだそうですよicon06
(七味唐辛子をちょっと入れると美味しさアップだそうです)
春を感じますね~hana

チヨ婆ちゃんの「草団子」

チヨ婆ちゃん、今度は草団子を作ってくれました~icon28

を買ってきて、一から作ったそうですよface08
あんこをのせていただきますicon28
やっぱり手作りは違うface08
うまいっicon14
お彼岸だから作ったそうです。
仏様にお供えするために・・・。
ご先祖様も喜んでくれているでしょうねface01
私もお墓参りに行こう・・・・