チヨ婆ちゃんの「味」


チヨ婆ちゃんの好物icon06
(油ものはドクターストップがかかっているのでめったに食べられないそうです…)
これは『かき餅』
お正月の鏡餅を、1月11日に「蔵開き」砕いて
これを油で揚げ、醤油と砂糖で味付けをするそうです
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マクスタッフもいただきましたicon28
驚くほど・・・絶品face08icon06
太ることは間違いなし・・・
ちなみに、鏡餅はチヨ婆ちゃんのご自宅で年末に「餅つき」をして
作った自家製だそうです!

今年の年末、「餅つき」を取材させていただく約束をしましたicon22

雨の日の仕事


今日、千代婆ぁちゃんの家に行ってお話を聞いて来ました。
針仕事をしていた、千代婆ぁちゃん。
まずは一言・・・
『昔は、雨んときゃ、ぼろ(布)のつぎはぎやら、縄ないをしただよ。』
昔は、雨で畑や海に出れない時こそ、家族全員分の着物の繕いをしたそうです。
そんなとき、男衆は畑、海、薪集めに使う縄をなっていた(編んでいた)そうです。
もちろん昔は、ガスなんか無く、炊事やお風呂にも薪を使っていたそうです。
そんな貴重な薪ですが、一年分を集めるのが、丁度今の時期の仕事だったそうです。
薪を集めていた場所は、皆さんもご存知、14号線のキグナス石油(ヤマダ電器隣)の裏の山だったそうです。
この山一体は昔、埼玉県川口のお味噌屋さんが所有していて、千代婆ぁちゃんの実家が管理を委託されていたのだとか・・・。
冬の時期、この山で松の落ち葉、枝、竹などの薪を集め、男衆の編んだ縄で束ねて持ち帰り、一年分の燃料としたそうです。
薪集め(山の管理)の仕事中、眼下には海岸が(今の14号線沿いに)見渡せたそうです。
潮が引くのが山の上から見えると、皆で浜に降り、潮吹きや蛤などの貝採りの仕事をしたそうです。
採って来た貝は、『ムキヤ』とよばれる女の人達(いまのパートさん)の手により文字通り剥かれ、それを男達が自転車で埼玉、茨城まで売りに行ったとの事です。
千代婆ぁちゃんの話を聞くと、文明の力に頼ってしか生きた事のない、テレビやコンピューターばっかり見て時間を過ごす、私たちの暮らしが、なんだか薄っぺらく感じてしまいます。
みんな薄々気付いているはず、でも便利な?世の中で、今までに増して忙しく、立ち止まって考える時間も作れないままでいるのが現状。
たまには、あの山の上で遠くに見える(かもしれない)海をみつめ、『本当に大切なもの』について考えるのも必要かもしれませんね。
千代婆ぁちゃん、今日繕っているのは旦那さんのワイシャツ。
お孫さんの結婚式で着るものだとか・・・。

質問してみました!恋愛について

チヨばぁちゃんと、ハルエばぁちゃんに質問してみました・・・icon06恋愛ネタicon06
Q1:昔はデートとかしたのですか?
A :そんなもんねぇ~!
Q2:どうやって知り合ったり、結婚まで発展したのですか?
A :親に言われた通りにするだぇ!
・・・今では考えられませんねicon10
昔の方が我慢強いと言われているわけが分かった様な・・・

洗ってっかい!の巻


皆さん、浜田川って知っていますか?
幕張1丁目~デニーズ~神田外語大学キャンパス~BMW~マリンスタジアムへと流れる川です。
今日は、チヨ婆ちゃんとハルエ婆ちゃんに昔の浜田川の様子を教えてもらいました。
まずはチヨ婆ちゃん・・・
『昔は何でも川で洗っただよ!』
冬でも朝の4時から、真っ暗闇の中、赤ん坊のおしめを、この浜田川で洗っていたそうです。
畑に行く6時頃には干して置いたおしめが寒さでパリパリに凍っていたそうです。
『おぅえ、昔は洗濯機なんかねぇだよ!』
野菜、米、障子の枠・・・
この浜田川に近所の人々が集まって来ては、洗濯の他にも、色々な物を洗っていたそうです。
そんな時、幕張の人々は『洗ってっかい!』と声をかけあい、川端でのおしゃべりを楽しんだそうです。
大人が洗い物に精を出している中、子どもたちは浜田川に入り、上流の田んぼから流れてきたフナ、ドジョウ、カンニョコ(ウナギの稚魚)を捕まえて夢中になって遊んだそうです。
また季節によっては近くの海からイナ(ボラ)が浜田川を溯上してきて、川辺は賑わったそうです。
(ちなみにこのボラ、現在も浜田川を群れをなして幕張一丁目のセブンイレブン辺りまで上ってくる様です!)
そこで、ハルエ婆ちゃんが一言
『イナは煮て食うだで』
ハルエ婆ちゃんによるとイナ(ボラ)は身が柔らかくて味はまあまあ。
でも、内臓の中にソロバン玉程の”たまっころ”が入っているそうで、それはそれは美味だそうです!
昔はこの浜田川に人々が(魚まで?)自然と集まり『洗ってっかい!』と幕張のコミュニケーションが生まれました・・・
そして今、浜田川の代わりに、このマクスタに人々が集い、自然と幕張の街中でのコミュニケーションが活発化してゆけば本当に素晴らしいですね!
『ブログ書いてっかい!』

幕張の食事(c. 1930)


今回は75年前の幕張の食事について教えてもらいました・・・。
『昔はあんもネェだよ!』
(訳:昔は何もなかったのよ)
チヨ婆ちゃん、まずは一言。
ハルエ婆ちゃんがある一日のメニュー(実は、ほぼ毎日一緒だったそうです)を教えてくれました。
朝食:
麦飯(丸麦7割、白米3割)、サツマイモのみそ汁、こうこ(漬け物)
※麦飯の中の丸麦は白米と混ぜる前に煮るそうです、その際に出る煮汁はなんと赤ちゃんのミルク代わりだったそうです!
昼食(畑仕事の合間に畑で食べたそうです):
もろこしもち
『もろこしもち』とはもろこしと米をついてつくった団子のようなものだそうです。
チヨ婆ちゃんいわく
『ウメッけど!』
・・・とっても美味しかったそうです。
もろこしはとても背の高い植物で、幕張では『スイカ泥棒よけフェンス』として、スイカ畑を囲む様に植えていたそうです。
また、スイカ泥棒を撃退する手段としてもう一つ『バンヤ』と呼ばれる見張り小屋(実は誰も中で見張っていなかったそうです!!!)まで建てていたそうです。
夕食:
麦飯(丸麦7割、白米3割)、サツマイモのみそ汁、こうこ(漬け物)、幕張で獲れた魚
とてもシンプルだけど体に良さそうですね。
今度マクスタ事務局では、チヨ婆ちゃん&ハルエ婆ちゃんの指導のもと幻の『もろこしもち』を再現してみる予定です!
もちろん、このブログでその模様を一部始終お知らせ致します。
乞うご期待!!!

海は面白れっけどよ、昔はよ・・・の巻き


昔の話の続きを教えて下さいと聞くと・・・
『海は面白れっけどよ、昔はよ・・・』
とチヨ婆ちゃん。
ハルエ婆ちゃんも嬉しそうに頷いて一言。
『夜によ、ワッパでもって、ハゼ捕まえただよ』
どうゆう事かというと、昔の幕張の人は海辺(今のイトーヨーカドー辺り)に夜出かけて行って沙魚(ハゼ)を手づかみで捕まえていたそうなんです!
お二人がうれしそうに教えてくれたハゼ漁の方法がとても面白かったのでここで紹介します。
1. 夜ハゼが寝静まるのを待つ(本当に寝るそうなんです!)
2. 鍋の様な取っ手の付いた容器にぼろ切れを入れ、そこに石油を入れ、ぼろ切れに点火しランプにする。
3. そこの抜けた桶のような物(ワッパと2人は言ってました)を浅瀬で眠りこけているハゼの上にかぶせる。
4. 後はワッパの中で逃げ回るハゼを手づかみで捕獲!
5. この繰り返しで沢山獲れたそうです。(天ぷらにしたり煮たりして食べたそうです。)
想像してみて下さい・・・
今の国道14号線沿いに延びる70年前の静かな夜の浜辺・・・
ファミレスやパチンコ店のライトの代わりにポツポツと海岸沿いに浮かぶ自家製ランプの光・・・
潮の香り、海からの優しい風、そして穏やかな波の音・・・
時折、遠くの方から微かに聞こえる子供達の笑い声・・・
こんなシナリオの中でゆっくり浜辺で月を愛でながらお酒でも飲んでみたいと思いませんか?
カラオケ店もレンタルビデオ店も無い時代、だけど幕張の人は結構楽しんでいた様です。
2人のいつものキラキラの笑顔が証明してくれています。

船が沈むぐれぇイカが獲れただえ!の巻

2人は何十年もの間、毎日午後3時に一緒にお茶を飲みながら休憩するそうです。
子供の頃からずっと一緒、それぞれ違う家に嫁いだ後もこうして毎日一度会ってお話をするそうです。
昔の話を教えて下さいと聞くと・・・
『足がショブクくれえにブッタだえ!』
とチヨ婆ちゃんが開口一番。
幕張弁で足が地面に着く位のところでおんぶしたもんだという意味。
6歳の頃からハルエ婆ちゃんをはじめとする妹、弟たちをおんぶしてお守りをしていたとの事。
自分もまだ小さかったので背中の子供の足が地面に着いてしまっていたそうです。
小学1年生のチヨちゃんが子供のお守りを担当する程、当時の幕張の大人たちは畑と漁の両方が繁盛していて忙しかったそうなのです。
幕張の畑ではサツマイモと麦を主に栽培し、海ではイワシやハゼ、そしてイカ、スズキ、ワタリガニなんかが沢山獲れたそうです。
『イカが船が沈むぐれぇ獲れただえ!』
チヨ婆ちゃんとハルエ婆ちゃんは同時にやや興奮気味に教えてくれました。
ちなみにイカは今のベイタウンの辺りでよく獲れたそうです。
当時の海は今の国道14号線の辺りにまで迫っていて、浜をちょっと歩けばワタリガニを踏んでしまう程の恵まれた漁場だったとのこと。
2人からは『何かと昔は苦労が多かった・・・』という印象ではなく、その苦労の中で存分に幕張の毎日を楽しんで来たという感じがした。
『面白れっけどよ、昔はよ・・・』
チヨ婆ちゃんの遠くを見つめる優しい笑顔がとても印象的でした・・・。

次回は幕張のハゼ漁についてお話してもらう予定です!