思考停止

あるイベントでの出来事
雨が降るという予報を気にしながら進行していましたが
とうとう降って来ました
子どもたちの吹奏楽も大慌てで楽器を片付け避難
そこへ父兄と思われる男性が本部席に怒鳴り込んで来ました
「子どもたちも楽器も濡れてるじゃないか!雨が降ると分かってて何でやるんだ!」激昂しています
濡れた楽器の修理代は父兄の負担になる とも
主催者はもちろん気象情報を睨みイベントを進めています
学校も自分たちの判断で参加を決めています 天気が心配だから参加を見合わせる という判断もありなのです
この男性に欠けているのがこの 自分の判断 という部分
自分で判断し行動することを放棄しているのです
無意識で思考停止してしまっているのです そのせいでストレスが溜まり キレるのです
これは一例ですが ACにはこの傾向が多く見られます
他者の言いなりになる という場面は 実際には多くあるようです
親と子 教師と生徒 上司と部下 上下関係のあるところです
こんな場面では 立場が下の人が思考停止になるようです
自分で決められないというストレスが どんなに深刻かが分かります
ACには「自分のことは自分で決める」「自分の人生は自分で引き受ける」という自覚 姿勢が希薄です
親に自分の人生を奪われていましたから 自分のことなのにどこか他人事
思考停止しているのです 無意識に
この癖を終わらせ 自分の人生を自分の手に取り戻すことができれば 本当の自立 自律ができます
今ここ にいる自分 他の誰でもない この世にたった一人の かけがえのない自分 を感じましょう
自分の頭で感じー 考えー 決めてー 行動する この一連の癖をつけましょう
自分の人生を自分で引き受ける とは そういうこと
失敗したり想定外のことが起こっても 他人のせいにしないことです

「元気であること」より「幸せである」ことを

元気? と問いかけられて 元気!と応えます が
改めて思い直すと 何だか違うようです
小さい頃からこの言葉に縛られて
いつも元気でいなければ と頑張ってしまっていたのです
それはACにとっては強迫的とも言えるほどでした
例えば「愛する」を「一生懸命」と言い換えて惑わされたように
「幸せ」を「元気」と言い換えていたようなのです
分からない言葉は 他の言葉に言い換えて学ぶのです
言葉が違う ということは 意味が違うのですが
勝手に言い換えるのです
健全な育ちであれば まず幸せ感を持つことができていて その上での元気 なのですが
機能不全なACは 幸せ感のないまま元気でいようと頑張ってしまったのです
幸せ感が持てない分 水を求めるように無理をしてしまったのです
ですから幸せと元気はそれぞれ別のもの
それほど元気でなくてもいいのです 幸せであれば
「今 ここにいる」自分が幸せかどうか
考えるのではなく 感じることが大切です
「感じる」と「考える」も それぞれ別のもの
自分の内側から湧き上がる感情を ただただ感じる
そしてそれを そのままの大きさで言葉にする
ACにはこれができません
考えてしまうのです そして言葉にできないためにキレて爆発する
この不幸な繰り返しをやめることです
そのためには 感じること
幸せを感じる など ACにはとてもできません 感じたことなどなかったのですから
でもそれは今までのこと 過去のことです
過去は変えられませんが 今は変えられます それに続く未来も 変えられます
自分の傷を自分で癒やし まずは小さな幸せから 感じましょう

母親をどう手放すか

母親への愛着を手放す
ACにとって最大の難関です
ずっと長い間 母親の愛が欲しくて でも愛が貰えなくて
母親に「愛してるよ」と言って欲しくて
でも言って貰えないままだったのです
自分も母親に言いたいことがたくさんありました
それも我慢して抑え込んで生きて来たのです
それが満たされないまま 終わらないまま このまま手放す訳にはいかないのです
ではどうするか
何とかして自分の言葉で 今までの思いを母親に伝えなくては
本当の自分の気持ちを 抑え込んでしまっていた終わらない愛着を 言葉にするのです
ああしろこうしろという支配とコントロールではなく
「大好きだよ」「愛してるよ」と言いたいし 同じ言葉を母親の口から聞きたいのだ と
あれこれ先回りのお節介や介入ではなく 暖かく見守って欲しかった
ただ 悲しいことに 母親自身が 暖かい言葉を受けて育った体験がないので 要求すること自体が無理なのです
でも これを言わないと 子どもは自分の内側での決着が着かないのです
インナーチャイルドを癒すことができないのです 幸せ感を持つことができないのです
愛を求めても 与えてはくれない母親
言葉にして伝えるのです 理解してはもらえないでしょうけど
そして 自分の中の子どもに語りかけるのです
もう心配しなくていい と もう寂しくないよ と
今までその袖に 気づかないうちにしがみついていたその手を そっと離すのです
手放す とはそういうこと
見放すことでも見捨てることでもありません 自分の手を離すのです
手放すことで ようやく自分の足で立つことができます
やっと自分の人生を 自分で生きることができます