「夫のちんぽが入らない」こだま 著

 

久しぶりに紙の本を読んだので、今日はその感想文です。

単行本の頃からあちこちで話題になって、今更の感はありますが、文庫版が出たので購入。

なかなか衝撃的なタイトルで、拒否反応を示す方も多いでしょう。そりゃそうです。今までタブーとされてきたワードです。少なくとも男性の間で話し言葉として使われてきたものが、女性の手で書き言葉になったんですから。でもこれだけでも私はあっぱれと言いたい。

男性が女性器を呼ぶときのいやらしさは微塵もない、女性が男性器をこう呼ぶ時、むしろとても愛おしい、可愛らしいものとして呼ばれるのです。(もちろんこう呼ばない人もいらっしゃるので、その自由は尊重します。)

夫婦の間で、恋人同士の間で普通に交わされるであろう会話、ワードを表に引っ張り出した功績は大きいと思うのです。

普通なら入るはずの夫のちんぽが入らない。想像するだけで悲しい。そのくせ夫以外のちんぽなら入る不思議とおかしさ。

エッセイとして書かれているので、もっと生々しいはずが、この文章はとても綺麗です。細かな描写が優しい。そして切ない。

物語のもう一つの柱が、「言えない」というキーワードだと、私は読みました。この時に思ったことをそのまま口に出して言えばいいのに、言えない、言わない。自分の中にぐっと溜め込む。あ〜また我慢しちゃった。。がいくつも出てくる。

彼女がどう育てられたか、その生育歴が私のそれと重なって、切ないような懐かしいような感覚を何度も持ったのです。

あ〜、そう育っちゃったから言えないよねー。と共感してしまう。

振り返れば私もACだった頃、最初の結婚も燃えるようなときめくような感動はなかった。離婚するのも淡々としていた。二度目もそうだった。それは理性的とか冷静などというものではなく、単純に脳が動いていなかった、思考はしていたが感情は動かなかった。感情が何者かも知らなかった。動かし方を知らなかった。感情を言葉にすることができなかった。

彼女の文章を読みながら、そんな自分の過去を重ね合わせていました。本を読んで自分の過去を重ねるなど、カウンセリング関連の本を読んで以来のことです。

読み終わって著者に感謝のメッセージを送りました。

『どうもありがとうございます。「入らない」以外の出来事も同じくらい重くのしかかっていたことなので、そこも読んでいただけて嬉しいです。』

と返事が来ました。話し言葉でコミュニケーションをとることが苦手でも、彼女のように書き言葉できちんとコミュニケーションをとることができれば、それでいいのです。自分を表現する手段が一つでもあればそれでいい。それが一方通行ではなく、相互通行できていればいいのです。

そしてこの本のおそらく最大のテーマであろう「普通」を求める、求められることの理不尽を思うのです。みんなと同じでいなければならない窮屈さ、それをお互いに求めている不自由さ。

実はね、一緒に買ってきたこの本『ヒトは「いじめ」をやめられない』に、奇しくもそのヒントがあったのですよ。

セロトニン。

この読後感想文も書きますので。

秋の夜長は読書です。