増える中高年の引きこもり

内閣府が2015年度に実施した調査で、15~39歳の「若年ひきこもり」は54・1万人と推計された。今回、40~64歳の「中高年のひきこもり」について国レベルで初の調査を実施。調査方法の一部変更があったため単純比較はできないが、その結果に基づく推計数は、若年層を上回った。

(略)

今回の推計は、ひきこもる中高年の子と高齢の親が孤立する「8050(はちまるごーまる)問題」が、特殊な例ではないことを示すものといえる。また、「就職氷河期世代」(おおむね現在の30代後半~40代後半)の多くが40代に達したため、中高年のひきこもりが増えているとの指摘もある。

調査時期や手法の違いから「若年」と「中高年」の推計を単純合計はできないとしつつも、北風参事官はひきこもり総数が「100万人以上」になるとの見方を示した。(略)

(朝日新聞デジタル 2019.03.29)

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私が引きこもりの居場所事業を行うNPO法人で有償ボランティアをしていたのが10年ほど前。その頃、利用者(引きこもり当事者)は10代後半から30代後半でした。

ですから彼らが今も引きこもっていたら、もはや中高年。

若い頃の引きこもりなら、そこから立ち直る可能性、時間的な余裕があるのです。親が元気なうちは引きこもっていればいいのです。親が年老いて病気でもしたら、そろそろ外に出て仕事を探す。この時期的な余裕で自分の始末をし、内側を片付ければよかったのですが。

親の財産を食いつぶしてもよかったのです。親は支配とコントロールで子の人生を食いつぶしてきたのですから。

でも中高年だと実際問題として残った時間が少ない。やり直しがきかないのです。本気で短時間で何とかしなくてはいけません。

さて、どうしましょう。

昔なら人付き合いが苦手だったら手に職をつけて職人に。私の両親は床屋の職人でした。

今の時代でもそれは通用すると思うのです。

ネットの発達で在宅での仕事は広がりましたから、仕事の依頼を受けて返す、器用な人ならクラフト系に進む、通販で稼ぐ、など。今なら無料でも開設できるネットショップがいくつもあります。もちろん全部自分でやります。

大切なのは、自分が本当にやりたいことを始め、それを続けることです。淡々と、楽しみながら。

今まで親に向けて発信していたSOSはしばらくやめて、ひたすら自分のことに集中しましょう。好きなことに取り組む上での最低限の対人関係だけには注意を払って。ミスしたら修復して。言葉が足りなかったら補足して。なるべく明るくポジティブに。

親は常に「お前が心配」を口実にあなたを支配し操作(コントロール)しようとしてきます。それに巻き込まれないように。

ただ、今までのように強い恨み憎しみの感情で拒否する必要はありません。親との距離を今までより多く取って、動じないように。

少しなら他人と関わってみたい、という人は製造、商品管理など時間から時間まで働けばいい職種を。空いた時間に同僚先輩と話すことから、対人関係の作り方を学びましょう。そうすれば接客などもできるようになるかも。

決して無理をしないで、嫌ならすぐ辞めて。変な我慢はしないように。ストレスが溜まるだけです。

親はもうそれなりの歳。

あなたには積年の恨み憎しみがあるでしょう。言いたくて言えなかったこと、言って欲しくて言ってもらえなかったこと、して欲しくてしてもらえなかったこと、してあげたくてもしてあげられなかったこと、たくさんあるでしょう。

老いていく親を眺めながら、手放すこと、諦めることを自分の中から探しましょう。親の死を越えて、初めて子は自立、自律します。

怒りの感情をコントロールする

全豪オープンを制した大阪なおみさんから こんな言葉が出ました。

「私は精神的に成長する必要がある」「今は3歳児の精神状態」「この1年で成長できた。今は5歳児」

自分のメンタルの弱さ、怒りの感情をコントロールできない自分を客観視できている状態です。

それまでの彼女はコートの上で怒ったりふてくされたり泣いたりラケットを投げ捨てたり、見ていても可哀想になるほど不安定でした。それがこの1年で見違えるほどの成長を遂げました。

ピンチになっても慌てない、過剰に落ち込まない。失敗しても自分に腹を立てない。

自分の感情をきちんとコントロールできている21歳の女性アスリートの姿がそこにはありました。

怒りの感情をコントロールするのは、そう簡単にはできません。特に私たちACには至難の技です。

自分の感情が一体どこから来るのか分からない。どう対処すればいいのか分からない。冷静に自分の感情と向き合うことができずに、感情的になってしまう。激昂してしまう。それでパニックになってしまう。自分の感情に簡単に飲み込まれてしまうからです。自分で毒を吐いて、その毒に当たって中毒を起こしてしまうのに似ています。自家中毒です。

ACのもう一つの悪い癖は「余分な感情を上乗せする」ことです。

自分の内側に立ち現れた感情を客観視できずに、冷静に対処できずに次々に感情を増幅させるのです。

例えば立ち現れた不快な感情の原因が「嫉妬」だとします。これに「私は今、彼(彼女)に嫉妬してる」から原因を探ったり、その感情をなだめたりするのではなく、さらに余分な感情を、例えば恨み、憎しみなどの感情を上乗せしてしまうのです。

客観視する とは、一枚の風景画、風景写真のように眺める に近い行為と言えばいいでしょうか。

感情を無理やり抑え込むのではなく、客観視する。ただ眺める。
余分な感情を上乗せしないことはとても大切です。

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「ここは、おしまいの地」こだま 著

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「ここは、おしまいの地」こだま著 を少しずつ読んでいる。
読みながら感じる独特の初めての感覚を言葉にできないでいた。
そんな時、自分の記憶が途絶えた頃の感覚と重なったのだ。
浮遊感。
読者でしかない私が、彼女の物語の中で、亡霊のように俯瞰であるいは隣で、それを眺めているのだ。
私は彼女の物語の中にいる。物語の展開を眺めている。
この感覚は。
私は3歳から10歳ほどまでの記憶がない。
小学校入学、校外写生会の大きなイベントの記憶はあるが、日常の生活の記憶がない。
きっかけは父親のDV。
いつものようにお昼ごはんを食べていた。母親の言葉の何が気に障ったのか、父親の目の色が変わる。明るい鳶色に。
掘り炬燵は夏の間、食卓テーブル代わりになる。
父親は食べ物、食器の乗ったこたつ板を両手で持ち上げた。全てが散らばる。3歳の私は泣き出す。母親は危険を察知して逃げ出す。後を追う父親。それを私が追う。このような事件は珍しいことではなかったのだろう。今思えば母親の反応は素早かった。
部屋を出た土間を走り、突き当たりは台所(炊事場)とお風呂場。井戸ポンプが据えられているので逃げ場がない。
井戸ポンプと壁に挟まれた母親をめがけてこたつ板が振り下ろされる。
ここで私の記憶が消える。
心理学では乖離という。衝撃が大き過ぎた事件を記憶から消して「なかったことにする」のだ。自分の命を、脳を守る本能から来るのだろう。
記憶が途絶えた7年ほどの間、私には生きている実感が希薄だったようだ。時間の感覚もない。夢うつつの中にいるような感覚。どちらの世界にも属さない感覚。
あの日見た恐ろしい光景をなかったことにするには、相当の時間が必要だったのだ。私の中でどのような作業が行われていたのか知る由もないが、その記憶を切り取って前後を繋ぎ合わせることさえできず、そっくりそのまま記憶を消したのだ。
浮遊感は決して恐怖や不安ではなかった。だからといって心地よい訳でもなかった。
この感覚が蘇り、本の中で彷徨う自分を感じている。
本を読んでこんな感覚を覚えるのは初めてだ。
前作「夫のちんぽが入らない」から1年だという著者の文章はやはり綺麗で品がある。悲しみを笑いにしてしまう強ささえ、私の胸に刺さる。泣きたいのを我慢し、笑いたいのも我慢して生きてきたのかと、そんなところにも共感してしまう。
こんな読み方をする読者は極めて少数だと思うが、こんな読まれ方をする作品も珍しい。

「夫のちんぽが入らない」こだま 著

 

久しぶりに紙の本を読んだので、今日はその感想文です。

単行本の頃からあちこちで話題になって、今更の感はありますが、文庫版が出たので購入。

なかなか衝撃的なタイトルで、拒否反応を示す方も多いでしょう。そりゃそうです。今までタブーとされてきたワードです。少なくとも男性の間で話し言葉として使われてきたものが、女性の手で書き言葉になったんですから。でもこれだけでも私はあっぱれと言いたい。

男性が女性器を呼ぶときのいやらしさは微塵もない、女性が男性器をこう呼ぶ時、むしろとても愛おしい、可愛らしいものとして呼ばれるのです。(もちろんこう呼ばない人もいらっしゃるので、その自由は尊重します。)

夫婦の間で、恋人同士の間で普通に交わされるであろう会話、ワードを表に引っ張り出した功績は大きいと思うのです。

普通なら入るはずの夫のちんぽが入らない。想像するだけで悲しい。そのくせ夫以外のちんぽなら入る不思議とおかしさ。

エッセイとして書かれているので、もっと生々しいはずが、この文章はとても綺麗です。細かな描写が優しい。そして切ない。

物語のもう一つの柱が、「言えない」というキーワードだと、私は読みました。この時に思ったことをそのまま口に出して言えばいいのに、言えない、言わない。自分の中にぐっと溜め込む。あ〜また我慢しちゃった。。がいくつも出てくる。

彼女がどう育てられたか、その生育歴が私のそれと重なって、切ないような懐かしいような感覚を何度も持ったのです。

あ〜、そう育っちゃったから言えないよねー。と共感してしまう。

振り返れば私もACだった頃、最初の結婚も燃えるようなときめくような感動はなかった。離婚するのも淡々としていた。二度目もそうだった。それは理性的とか冷静などというものではなく、単純に脳が動いていなかった、思考はしていたが感情は動かなかった。感情が何者かも知らなかった。動かし方を知らなかった。感情を言葉にすることができなかった。

彼女の文章を読みながら、そんな自分の過去を重ね合わせていました。本を読んで自分の過去を重ねるなど、カウンセリング関連の本を読んで以来のことです。

読み終わって著者に感謝のメッセージを送りました。

『どうもありがとうございます。「入らない」以外の出来事も同じくらい重くのしかかっていたことなので、そこも読んでいただけて嬉しいです。』

と返事が来ました。話し言葉でコミュニケーションをとることが苦手でも、彼女のように書き言葉できちんとコミュニケーションをとることができれば、それでいいのです。自分を表現する手段が一つでもあればそれでいい。それが一方通行ではなく、相互通行できていればいいのです。

そしてこの本のおそらく最大のテーマであろう「普通」を求める、求められることの理不尽を思うのです。みんなと同じでいなければならない窮屈さ、それをお互いに求めている不自由さ。

実はね、一緒に買ってきたこの本『ヒトは「いじめ」をやめられない』に、奇しくもそのヒントがあったのですよ。

セロトニン。

この読後感想文も書きますので。

秋の夜長は読書です。

他人には期待しない

こんなツイートがタイムラインに流れてきました。
なるほど。私にもこの体験はあった。この欲求、この感情があった。そしてこれにケリをつけるのが一番厄介だった記憶があります。
人をどうしよう=他人を支配し、操作(コントロール)しようとする欲求。
人にどうしてもらおう=他人に依存し、無意識に他人の下に入り込み、他人に結論を委ね自立、自律を放棄する。

ACの特徴に「過剰」という嗜癖があります。100か0か、All or nothing な感覚。中庸がないのです。これを他者に求める。

他者とほどよい距離をとる、ほどよい関係を保つ、ができない。幼児期からの見捨てられ不安が今も続いているのでしょう。

幼児期、親とべったりくっついて過ごす安心感を得られていないままなので、成長と共に離れていく体験もないまま大人になったのです。これを親以外の他者に求めてしまう。

ACの対人関係の過剰さはここからくるようです。

All or nothing ですから「他人に期待しない」と書かれると、相手を拒否する、関係を遮断する、嫌いになることと勘違いしてしまう。

他人には期待しない、とは具体的にはどういうことでしょうか。どうすることなのでしょうか。

❶ まず「他人は他人」「自分は自分」と自他の境界をはっきりさせる。

❷ 自分の欲求や感情で他人を支配・操作しようと思ってはいけないし、できるものではないと知る。原家族では行われていたかもしれないが、赤の他人には通用しない、通用させてはいけない。

❸ 「期待」という言葉を「支配」「操作」に置き換えてはいけない。期待はあくまでも期待。それが叶わないと相手を恨む、憎むのは相手の問題ではなく、自分の側の欲求や感情に問題がある。

❹ 他人に期待しないと同様に、自分にも過剰な期待しないこと。自分に期待して、それが叶わなかった時の打撃の方が大きいと想定できる時は、自分に負荷をかけないこと。できそうな目標を立てることはOK。1か100か、ではなく50でいい、20でもいい。どちらでもない中庸の心地よさを知る。

❺ あなたを受け入れるから、あなたも私を受け入れて!など交換条件を出さない。あくまであなたはあなた、私は私。それぞれ別の人格。お互いに自由であること。

やってみてください。
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自分の親からも同じように育てられた

痛ましい事件が続いています。

私は加害者がどんな育ちをしたのかをいつも考えてしまいます。

例えば我が子を虐待死させた親は、自分の親からも同じように育てられたのではないか。

例えばその場に居合わせた無関係の人を殺傷した青年は、自分の親からも同じように育てられたのではないか。

私の育ちの歴史にも、似たようなことがあるからです。

機能不全家族に生まれ育ち、普通の愛をもらえない幼児期、少年少女期を過ごし、死ぬことはなくても実際の死に等しい、もしくはそれ以上の親からの暴力を受け、自分の身体ではなく心を殺しました。

親からの言葉、視線、仕草、無言などの親からの攻撃。

ACにとっての死は、心の死も身体の死もそう変わらないのかもしれません。振り返ればACは何度か死を体験しています。自分で自分を殺すのです。

見たくないことは「なかったこと」にする。記憶から消し去る。強い恐怖と遭遇すると乖離(かいり)する。必要があれば嘘をつく。小さい頃から自分を守るためにしてきたことです。自分を拒否されたら死んだことにする。そうしながら生き残ってきた「人生のサバイバー」がACだといえます。

親に褒められたいために、親の愛を受けたいがために自分の人生を差し出してきたのですが、それが報われることはなく、子の大きな失望はいつか恨み憎しみの感情に変わります。最愛の人との関係が上手くいかないということは、子にとって最大の悲しみ、汚点です。他者との良好な関係が築けない原因がここにあるようです。親への愛着は簡単に拒否されたため、他者とはそれ以上の関係が作れないのです。

その恨み憎しみの感情は他者にも同じように、親へ向けるよりも簡単に向けられます。

誰にもあるであろう心の傷

健全に育った子と機能不全家族に育った子では、見た目の大きさが同じでも深さが違うような気がします。

これを治すにはとても時間がかかります。根気も自我の強さも必要でしょう。恨み憎しみ怒りの感情をコントロールする方法を身につけることも、そもそもそんなネガティブな感情をできるだけ呼び起こさなくても済むようにならなければ。親に差し出した自分の人生の時間を取り戻さなければ。恐怖に震えているインナーチャイルドを癒してあげなければ。他者とのコミュニケーションには暴力や支配ではなく言語だけが必須だということを学ばねば。

親から受けた傷は簡単には癒えません。

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私がカウンセリングで得たもの ②

カウンセリングがすすみます

ここで私は 初めて言葉でのコミュニケーションを体験します

それまでは非言語のコミュニケーションでした 表情 仕草 ため息 舌打ち 言語以外のすべての方法で

これは原家族で当たり前にやられていたこと この方法がどこにでも通用すると思っていました

他の世界を知らないとは恐ろしいことです 親からもらうコミュニケーション方法がこれでした

それはおよそコミュニケーションとはいえません 家族以外の他人には通じないことも知りませんでした

ですから言葉の使い方がとても偏っていました

事柄や情報を伝えることはできる でも気分や感情を伝えることができない

当時は自分の気分や感情を抑え込んで生きていたので それはほとんど自覚されず 不全感は感じませんでした

実はACには こんな状態の人が多いのです 感情のやり取りをしない機能不全家族

原家族の中で無意識に本能的に感情の発露を抑えて生き延びてきた自分の不全になかなか気づけないのです

私自身も「私は健全な人間よ!」とカウンセラーに言っていたぐらいです

ずっと後になって「他の人たちはお互いに気分や感情を言葉にできて それを共感しあえるのに なぜ自分にはそれができないんだろう?」と感じたのです

カウンセリングはまるで幼児が言葉を学ぶ過程に似ていました

カウンセラー「今どんな感じ?どんな気分?」

私「…したいと思う』

カウンセラー「それは思う。思考。思うことと感じることは違うよ」

私「!!」感情を言葉にできないこと 感情そのものが働いていなかったことがようやく分かるのです

自分の感情を探す 表現する やり直す 言葉の使い方を真似る 学ぶ

相手の言葉の受け止め方の癖を直すことには相当な時間がかかりました

相手の言葉を「自分への攻撃」と受け止めていました 温かい言葉もアドバイスも全て自分への攻撃 と

認知の歪み 分かりやすい言葉にすれば ひねくれ者 真っ直ぐなコミュニケーションが取れなかったのです

相手の言葉に自分の余分な感情を上乗せしない これがキーワードです

何も足さない 何も引かない そのままを受け止める

こんな具合に 何もかも学び直し 生き直しです

 

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私がカウンセリングで得たもの ①

今まで私のカウンセリング体験を書いていなかったので それを少し

私のカウンセリング体験は ブログを始めたことがきっかけでした

ブログの中で友達もできて そのやり取りをカウンセラーが眺めていました やがて声をかけてくれるようになり やり取りが始まりました

私の書く文章の表現 起きた事柄に対する反応 その中にAC独特のものを見たのでしょう

友達とのやり取りの表現には 自分のものの受け止め方 感じ方=認知の特徴 ACの場合なら認知の歪み が現れます

「相手は普通にコメントを発したのに過剰な受け止め方 違う反応をする」「書き言葉での相手とのコミュニケーションができない」=もちろん話し言葉でも

当時の私は「言葉を武器に」する特徴がありました 「共感とコミュニケーションのためのツール」としてではなく 相手を攻撃するため 自分を守るために言葉を使っていました

何が目的で? 自分のプライドや根拠のない自信を守るために

若い頃はギターを弾いて人前で歌っていました

この時の言葉(歌詞)は自己主張 他者とのコミュニケーションのためではありませんでした 自己主張は出来ても他者とのコミュニケーションができない=言葉とともに感情のやり取りができないことが カウンセリングで分かりました

コミュニケーションは相互通行 一方通行ではない とここで初めて教えられました

これは私にとってかなりショックでした 今まで自分にこんなに大切なものが欠落していたとは全く思ってませんでしたから

そもそも自分を客観視する などしてもいなかった 自分の内側の一つひとつに注意を向けることなどなかったのですから

言葉と感情のやり取り=感情を言葉にして相手に伝える 相手から受け取る

原家族(げんかぞく・自分が生まれ育った家族)では全くその体験がなかったのがAC

私もその一人でした

長い間感じていた不全感 みんなは普通に楽しくお喋りができるのに 自分は出来ないのはなぜ? の謎が解けました

私は言葉を武器にすることをやめました 他者を攻撃することをやめました

自分のプライドや根拠のない自信はもういらない

そんなものはなくてもいい ありのままの自分でいることを選びました

カウンセラーは真摯に対等に丁寧に 私に向き合ってくれました

メールでのやり取りはお互いの文章を引用して 私の問いかけの一つひとつに 私はカウンセラーの言葉を一つひとつ確かめながら カウンセリングは進みました

私は「このままでは自分の人生はダメになる」ほど自分の不全感に危機感を持っていました

もうカウンセラー以外に頼る相手がいなかったので必死にすがりつきました

強い愛着を感じた他者にすがりつくのはACの得意技です それがいい結果につながるとは意外でしたが

カウンセラーとのこのメールのやり取りは それから1年以上続きます

幼児期のトラウマ 認知の歪み 嫉妬 恨み憎しみの負の感情 親への感情 共依存の実態

自分の心の中がどうなっているのか ようやく理解しました

親からもらったものを捨てる それは少なからず恐怖を覚えるものでしたが 親からもらったものは何とも厄介な 不要なものばかりでした それが分かった時のショックも大きかったのです

新しく学び直す 生き直す その師となったのはまずカウンセラーでした

こうして約1年半の間 カウンセラーとのメールのやり取りは続きます

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健全ってどんなこと?

前回からの続きです

親からもらったものがまさにそうだった と言えます

まだ言葉も出ない幼児期 子は親の言動を見て学びます

機能不全家族の親からすべてを学ぶのですから いいものを得ることはまずありません

愛ではなく哀をもらったのです 自分に向けられる怒りも憎しみも貰いました 恨まれました疎ましくされました 虐待も 育児放棄も

健全に育った子との違いは とてつもなく大きいようです

ここで健全ということについて

健全って いったいどんなこと?ACには未知の領域ですね

幼児期 親からの言葉かけ 生まれてきてくれてありがとう 愛してるよ

明るい笑顔 優しい愛撫 たっぷりのスキンシップ

そんなの体験したこともない そう あなたの親も同様にそんな体験がないのですから

子に同様の体験はありません これが家族の輪廻 家庭内連鎖です

機能不全家族

機能不全という言葉自体はよく聞きます 内臓の機能不全 心不全 腎不全など

本来はその機能を果たして 健全な機能を保つ

これができない状態が機能不全ということになります

機能不全な状態になった家族

家族の健全な機能 って何でしょうか

ACが育ってきた環境と真逆の状態です

・家族の中に不安 恐怖がない 安心してそこに存在できる

・家族に生まれた子は祝福され歓迎されている

・普通に愛情がある 家族の中に怒り 恨み 憎しみの感情がない ネガティヴな感情に支配されていない

・感情を表現することを抑えない 喜怒哀楽の気分や感情を言葉にして普通のテンションで相手に伝えることができる

・愛情と支配 操作を取り違えていない 相手を支配 操作しない 裏の感情がない(裏面交流をしない) 依存し依存される関係がない

・家族のメンバーそれぞれの人生を 誰も邪魔しない など

ACがいかに辛く悲しい環境で育ったか 想像できるでしょう

過去は変えられない事実です これは受け入れるしかない

でも現在は 今という時間とこの状況は変えられます そして未来は変えられます

機能不全家族に育って年を重ねてきた親は この先変わることは難しいかもしれませんが 少なくともあなた自身は変わることができるかもしれない

人は変わることができます とても大変なことですが

諦めなければ変わることができます

親からもらったもの -それはすべて不要なものでした-を捨てることになります

家族の輪廻 家庭内連鎖の鎖を断つには 生まれ変わる 生き直す覚悟が必要です

親の支配と操作は 自分で思うより根深いものです

無意識にやっていることが実は親と同じことだったり それは仕草や口調だけでなく ものの受け止め方 感じ方にまで及びます これを全部捨てて リセットするのです

自分の人生をどうきるか それはあなたの自由

生きたいように生きられるのです

その自由を縛っているのは 意外にも自分自身だったりします

自分はどう生きていきたいのか ここで自問自答したくなりますね
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新しい年に

新しい年が始まりました

ACを手放そうと 日々癒しと新しい認知のトレーニングをしている方に

そして自分をどうしていいのか悶々としている方にも

今年はもっと丁寧なアドバイスができればと思います

今までに書いたことを繰り返しながら お話を進めていきます

ACを手放すプロセスは次のようになるでしょう 順番は不同です

・自分の不全感 生き辛さがどんなもので それはどこから来るのか どこに原因があるのかに気づく

・生き辛さはどうしたらなくなるのか なりたい自分のイメージを掴む

・親をきちんと恨み きちんと憎む 親を拒否し 自分の内側にある親への執着を終わらせる 親から離れる

・親との関係が今は険悪でも 離れることで関係は修復できることを知る

・親からもらった認知の癖ー嗜癖ーとコミュニケーションの癖に気づく その嗜癖が自分にとって今後マイナスになることに気づく

・ACにとって親からもらったものはほとんどすべて捨てて 生き直しをしなければならないことに気づく

・認知の歪みを正すトレーニングに向かう

・親以外の 他者とのコミュニケーションの仕方を学ぶ

・自分の内側のインナーチャイルドを探す 見つける 状態を知る

・インナーチャイルドの癒しが必要なことが多いので 癒しのセッションを受ける

・自分の中の依存を明らかにする それを受け入れる 依存は誰にもあるもので それ自体は悪いことではないと知る コントロールする方法を見つける

まだありますが 書き出しただけでもこんなに課題はあります

もちろんACを捨てない という選択もありです これは嫌味ではなく ACのままで共依存のままで生きていく人もいるのです そうしなければ生きられないのです

私の姉がそうです 長い間誰かに依存して生きてきたので依存の相手は変わっても依存そのものをやめることができない でもそれは自分の選択です

さて あなたの生き辛さはどんなことでしょう 振り返って または今を感じましょう

どんな自分ならOKと言えるでしょうか

ACの自己嫌悪の大きなものは 嫉妬 恨み憎しみの感情が強いことでしょうか

こんなにも他者を嫉妬し恨み憎しむものなのか 自分でも嫌になることが 私にもたくさんありました

それはなぜなのか 自分の内側を探ってみましょう

ACの感情にはポジティブな感情がとても少ないようです

喜怒哀楽でいうと喜と楽が極端に少ない

怒と哀でほとんどが占められています

これはなぜなのか さらに奥へ

親からもらったものがまさにそうだった と言えます

まだ言葉も出ない幼児期 子は親の言動を見て学びます

機能不全家族の親からすべてを学ぶのですから いいものを得ることはまずありません

愛ではなく哀をもらったのです 自分に向けられる怒りも憎しみも貰いました 恨まれました疎ましくされました 虐待も 育児放棄も

健全に育った子との違いは とてつもなく大きいようです

さあ ここから挽回するにはどうしたらいいでしょう

今年もこれから 少し長い旅が続きます

 

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