弱さを受け入れる

プライドの高さがそうさせるのか
コンプレックスを隠そうとしてか
ACは自分の弱さが大嫌いです
正確に言うと 弱い自分が大嫌い なのです
それで強くなろうとします
でもなかなか強くはなれません それでますます自分を嫌いになります
自分の中に 嫌いな自分がいる このこと自体が問題なのです
好きも嫌いも全部ひっくるめて 丸ごとの自分を好きでいる 愛する ことができないのです
どんな時でも自分だけは自分を裏切らない 自分だけは自分を愛している ができないのです
自分の中に嫌いな自分がいる限りは 簡単に自分を見捨ててしまいます
ACの見捨てられ不安は 自分を見捨ててしまう裏返し と言えるでしょう
冷静になって考えてみると 弱さは誰にでもあることで それ自体は悪いことでも責められることでもありません
幼児期のACは 残念なことにこれを悪いこと してはいけないこと として育てられたのです
弱くてはいけない 強くなれ ◯◯に負けてはいけない と育てられたのです
さて 弱いこと=いけないこと 悪いこと この価値観を捨てる訳にはいかないのでしょうか
生まれてからずっと持ち続けたこの価値観は 生きる上でとても窮屈ではないでしょうか
親からもらった価値観は 果たして同じように自分にとって大切でしょうか
不要なら 捨てても構いません 自分が自分の幸せのために生きるのです 親のためではなく
弱くていいじゃないか 何が悪いのか とワタシは思います
自分の弱さを受け入れる それがありのままの自分なら そのまま受け入れるのです
今まで強がってきた自分をやめます 肩の荷が降りる感覚を持つでしょう
強くなるために頑張る必要はないのです
自分の弱さを認めて受け入れ そんな自分を愛することが大切です

自分を信じる

ACの弱さ 自分を愛さないとともに 自分を信じないこと
自分を信じるということ自体が かなり高度なことなのですが
自分を信じることができて初めて他者を信じることができるのですが
幼児期からこの学びや体験がないので どうしていいのか分かりません
親やきょうだい 家族を信じる ことがありませんでした
自分や他の家族のメンバーに向けられた不安や恐怖で
信じる などほど遠い家族の環境だったのです
愛する 愛される が分からないと同様に 信じる も分かりません
幼児期のACは 嫌われ 捨てられたくないために 自分の命を守るために
本能的に家族のメンバーにすがりついていただけなのかもしれません
この記事を書いているワタシ自身も 信じるということが今ひとつ分かってはいません
相手や自分への期待を固定化して 思考停止になってしまうことなのでは?とも思ってしまうのです
信じる という言葉に置き換わる 適切な言葉も見つからないので どう言い換えていいのか悩むのです
幼児期の体感 体験 学習がとても重要だということです
そんな幼児期を過ごしたACが これらを取り戻すには どうすればいいのでしょうか
自分を信じる を全うさせるには 自分を裏切らない言動が必要 ということになります
それは自分の本当の感情 欲求に素直に従う ということでしょう
やりたいようにやる なりたい自分のなる 自分の思うままに生きる のです
自由奔放に生きる ことは いい加減に無責任に テキトーに生きることではありません
自分はどう生きるのか どう生きたいのか 自問自答して その答えに従うのです
自分の感情や欲求に嘘をつけば その後の自分を信じることはできません
自分と真摯に向き合うことがとても大切です