感情を言葉にする
さて あなたならその言葉に裏はありませんか?
私 自分の言葉に裏があるのに気づきました 今回の恋愛で
「愛しています」=だから私のことも愛して
「信じています」=だから私を裏切らないでね
例えばこんな風に
感情をそのまま言葉にしているのに その奥に違う欲求がある
前回 言葉だけが登場した裏面交流 がこれです
感情をそのまま言葉にしているのに 一体どうしたことでしょう?
意識の構造として欲求がまず先にあり その奥に感情がある というのが一般的だと思っていましたが
どうやらそうでもない 感情の奥に深い欲求が潜んでいることもあったり
感情と欲求が混沌としていたり どうやらそれはお互いに影響し合っているようなのです
感情が上で 欲求は下でもない 感情が先で 欲求が後 でもない 隣り合って蠢いているようです
ですから 欲求が感情を支配することもあるようなのです
これがいい悪いではなく 実際に人の心に立ち現れる
私の場合はこれが瞬時に判断できなくて 区別がつかなくて戸惑ったのです
裏面交流をやめるには 自分の感情と欲求への相当の注意が必要だということでしょうか
健全な人はそうではないのかしら?
理性的な感情 とでもいうものがあって(この言い方が適切なのか?)
もっと冷静に 自分の感情を眺め コントロールできているのでしょうか?
まぁ それもこれも生身の人間 生きている証なのでしょうが
厄介なものです 人の心は。。
でもね こうして自分自身とコミュニケーションを取る機会ができてのは 嬉しいことです
月別: 2015年7月
コミュニケーションって 大切だけど大変だ。。
カウンセリングの世界でも コミュニケーション能力をつける 高めることの大切さを言っています
確かにそれは必要 間違いのないこと
ただ それだけに終始してしまうと 思わぬ落とし穴が待っているかもしれません
コミュニケーションの片方の車輪は 自己主張
どれだけ正確に的確に 自分の言いたいことを あるいは感情を言語化できるか
これは訓練すればそこそこ能力は上がるでしょう
ボキャブラリーを増やすことが目的ではなく 相手に分かりやすく自分の感情を 意思を伝えるのです
文学的な表現が優れてはいても わかりにくければ相手には伝わりません 自己満足の言葉は相手には伝わりません
誰にでも普通に理解できる言葉こそが 最良のツールです
車輪のもう片方は相手の話を聴く力
相手の情報ではなく 感情を聴く力です
この人は一体何をどのように感じ どんな言葉で表現しようとしているのか
相手の言葉をそのままの大きさで 形で色で 自分は受け止められるのか
相手の言葉の意味を 自分で勝手に解釈して受け取っていないか
この人は二つを お互いの会話の中で瞬時にやり取りするのです
考えてみるとこれは並大抵のことではない もはや神業
そうやって眺めてみると 周りには見事なコミュニケーションを取っている人は・・・?
果たして存在するのでしょうか?
どうでもいいお喋りならば 何時間でも続きますが
これを完璧にやろうと思ったら 疲労困ぱいです
エネルギーを消耗してしまいます
自分の感情を言葉にする アサーティブ トレーニングなどと言われるものでも せいぜい5分から10分
相手の話を聴く 感情の言葉を聴く 傾聴の訓練でも 同じく5分から10分が限界でしょう
普段の何気ない会話
リラックスした状態で交わされる ごく普通の言葉
その中に織り込まれた自分の気分や感情
相手の気分 感情
それを掬い取って お互いが共感の言葉をかける
そんな会話が理想なのかもしれません そんな自分が そんな相手が理想なのかもしれません
自分の言葉 独り善がりの言葉 ではなく 相手に分かる言葉で伝える
相手の気分 感情を受け止める力を磨く
これができるためには まずは他者と向き合う前に 自分と向き合うこと
自分の本当の感情を捕まえているか 言語化できているか
そう 捕まえて言語化しようとしているものが 自分の本当の感情ではなかったりしますからね
裏面交流が得意な人は この傾向があるようです
くれぐれも 気をつけて