私は本当に人を愛することができるのだろうか

新しい出会いがありました
ちょっとした悩みが現れたので 書いておきたいと思います

私は相手を本当に愛することができるのだろうか という悩み

前回の恋バナでは 愛するという感情よりも 欲しいという欲求が先走り 相手に不快な思いをさせてしまったという苦い記憶が残っているのです

コミュニケーションは相互通行 一方通行ではないので 自分のコミュニケーション能力だけでなく相手のコミュニケーション能力も問われるのですが

実際お相手のコミュニケーション能力は低く こちらもそこに気づくのが遅かったのですが

自分の内側を探ってみると ACの悲しさに出会うのです
今までに本当に人を愛したことがあるのか

親から愛されなかったAC 無償の愛をもらえなかったAC 自分は愛されていると思っていたのが 実は条件付きの愛だった 先回りの世話焼きや過干渉は 支配とコントロールのための道具だった…のです

幼い頃に親からもらった言葉を思い出します

「誰に育ててもらってると思ってるんだ」

「食わしてもらって育ててもらってありがたいと思え」

無償の愛はほとんどの場合 親からもらうものでしょう 親以外に近い親戚などもあるでしょう この愛情体験と感情の記憶があるとないとでは のちのちの恋愛関係に影響するのだと思います

無償の愛をもらえなかったACは 前回の恋で相手に無償の愛を与えることなく 自分の欲求のままに相手を求めたのでした

で  今回 今まで本当に人を愛したことがあるのか です

無償の愛で人を愛した記憶 見返りを求めない愛の記憶

記憶を辿ると 条件付きの愛の記憶ばかりです

あなたが〜してくれるのならOK でも〜してくれないならNG

これから相手に見返りを求めないで愛することができるのだろうか

想像すると怖いものがあります 遠い昔の癖が現れるのではないかと

その都度意識して自覚して対処するしかないのですが 上手く自分をコントロールできるのだろうか と心配です

あなたがいて 私がいる 私はあなたが好き

無償の愛を言葉にすればこんなにシンプルなのに

ACお得意のそれ以外の余分な感情 余分な欲求がつきまとうのですから厄介なものです

この先どうなることやら いいえ 自分がどうしたいのか 問われます 自問自答です