頑張れないことも 頑張りすぎてしまうのも 

このブログへのアクセスを眺めていました

アダルトチルドレン 頑張る というキーワード検索があったので行ってみると

以前私が書いた 僕には頑張るエンジンが載ってない の記事とともに他のたくさんのサイトが出てきます

そこにあったのは 頑張れないという私の記事よりも

圧倒的に「周りの期待に応えようと頑張ってしまう」ACの姿がありました

周りの それは多くは親の期待 期待というより強制的な力 に必死に応えようとする Noが言えない 自分の気持ちを言葉で伝えることさえ我慢してしまう 押さえ込んでしまう子の姿です

私の片手落ちでした

頑張れないのも 頑張ってしまうのもACの同じ嗜癖 根っこは同じで現れ方が違うのです 人によってその現れ方が違う 一人ひとり違うのです

そうまでして親の願いというより無言の命令に従うのは何故なのでしょう

幼児期のトラウマです

子は親に縋りつかなければ生きてはいけません 食べさせてもらわなければ死んでしまいます 本能的に自分を守ります 生きていくための本能ですから 食べさせてもらうためには自分を抑えます

機能不全家族の親は愛情深い親ではありません 自分自身も愛情をもらって育っていませんから子への愛情もありません 愛することがどんなことなのかが そもそも分かりません

誰のおかげで食わせてもらってるんだ?!

育ててもらってるだけありがたいと思え!

この言葉は私にも記憶があります 今でも生々しく思い出すことができます

親自身が受けた言葉を 親自身も一番傷ついたであろうひどい言葉を そのまま子に投げつけます

子の悲しみは想像を絶します 深い傷となって心の底に残ります

このトラウマがいつまでも自分の人生を苦しめるのです

頑張り過ぎた女性を思い出しました

カウンセリングのサークルで自己開示のワーク 自分の身の上話のようなものを話していた女性 今まで夫のため子供のため親のため舅や姑のために ずっと働いてきた

気がつくと「私」がいない と大粒の涙をぽろりと流すのです

頑張れないことも 頑張り過ぎてしまうのも どちらも不幸

どうすればいいのでしょうか

親の支配や干渉から離れると決めること

自分の人生の時間は親にも渡さないと決めること

過去のトラウマに振り回されないと決めること 幼児期の記憶はとても鮮烈で それはまるで昨日のことのように蘇ります その恐怖に支配されないこと 振り回されないこと これはとても難しいです 終わったこととして風景画のように眺められるようになればいいです 確かに自分の身の上に起こったことですが 大人になったあなたが それに飲み込まれないこと あぁそういえばそんなことがあったねと 心の引き出しにしまって鍵をかけるのです

自立 自律していくとは 多分その積み重ねなのだと思います

幸せになるとは 多分その積み重ねなのだと思います

頑張れない人も頑張り過ぎてしまう人も ここは試してみてください

 

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