TV番組でこの様子を映していました。私はこの言葉を初めて聞いて、すこし衝撃的でした。
自分自身の世話を放棄する、という意味ですから、ショッキングです。
番組では30代の男性を追います。週7日のアルバイトで仕事終わりにコンビニで弁当とペットボトル飲料を買い部屋で食べる暮らしを続け、部屋のゴミが溜まる。片付ける時間がない、そのうちに部屋の汚れを放置してしまう。それが何年も積み重なり、ゴミ部屋になる。
どんな心理状態で、こんなことになるのか。
私が想像するのは忙しさと疲れで日々がすぎてしまう風景です。そこには感情や思考が入り込む隙間もない。景色を眺めて季節の移り変わりを楽しむことも、たまには贅沢をして美味しいものを食べることもできない。潤いのない荒んだ風景です。
感情や思考を失くす=放棄すると、味気ない暮らしをするしかありません。恐らく経済的な理由で。必死で稼がないと暮らしていけない。アルバイトではいくら頑張っても、家賃、水光費、食費、ケータイ代を払うとそれでおしまい。預貯金など無理です。
最近よく言われる「自助」は充分にしているのではないでしょうか。自分の部屋がゴミで溢れるほど、懸命に働いているのですから。TVの彼もギャンブルやアルコールに溺れている様子はありません。至って真面目な感じです。
自分で自分を変えられないのは、それでも自分のせいでしょうか。
私にはどうも共助、公助が不足しているように見えます。しかも圧倒的に不足していると。どうもこの国は自助だけを要求し、共助、公助を放棄していると。
社会構造からくる貧困、という言葉があります。自分の力、努力ではどうにもならない社会の仕組み、構造。
人の精神状態は社会の状況に規定されることは間違いないようです。