信じる
健全な人の 信じる という意思は
(思考や感情ではなく 自分の意志で信じるという心の動きが表れる と仮定しています)
自分や他者の言動を一つひとつ確かめながら積み上げていくと想像します
余分な感情を差し挟まず 淡々と自分を そして相手を見ることをします
信じる は 愛する と同様
相手に求めることのない自分の意志であり感情と言えるかもしれません
ACの信じる はちょっと違うかもしれません
相手への期待 願望 盲信に近い 思い込みです
〜のはずだ 〜に違いない 〜に決まっている など
実際の相手の言動はどうでもよく 自分のために 自分の都合で他者を見るようです
信じるという意味を どうやらACは はき違えているようです
育ちの中にこの体験がないのです
自分が相手を信じる 相手に自分を信じてもらう という体験
自分の親との関係で 「愛する」がなかったと同様に「信じる」体験がありませんでした
自分以外の人間に そもそも興味がないようです というより 自分のことが信じられていないようです
自分を信じることができないので 当然ながら他者を信じることもできません
信じる という意思の働きは ACにとってはかなり高度なものかもしれません
健全な家族で普通に行われている「信じる」は 愛と安心があって初めて成立するのでしょう
ACが育った環境にはそれがなかったのです
自分を愛する 自分を信じる から始めなくてはいけません