子どもの頃 ドッジボールが苦手で嫌いで いつも憂鬱になった記憶があります
飛んでくるボールを避けることができずに すぐに当てられてしまうのです
固まってしまって逃げられない
ボールのルートや速さを予測して 自分がどの方向へ動けばいいか判断する 行動する これができない
飛んで来るボールを受け止めるか避けるかを判断して 体を動かす これができないのです
そしてひと度ボールを当てられると それが悔しくて 投げた相手が憎らしくて 後を引くのです
他のみんなは楽しんでやっているのに どうして私は楽しめないんだろう と不思議でした
それは 今になって 不安と恐怖 パニック そして思考停止だったことが分かります
家族のメンバーから日常的に受けていたもの
子どもの頃から実に長い時間をかけて しかも実に巧みにコントロールされたもの
例えば言葉 子の発言を遮る 拒否する 否定する言葉 うるさい 黙れ など 子の言葉を受け止めない 受け入れない態度
また非言語のメッセージ 表情 目つき 舌打ち
子は不安と恐怖でパニックに陥ります
どう反応していいのか どう対応していいのか分からない
相手は親なので それを拒否していいのか 反対していいのか分からない
親の言うことに従わなければ さらに強い不安と恐怖が待っているからです
子は黙ったまま 思考停止したまま 親に従うしかなかったのです
この思考停止の癖が 大人になった今でも続いているのです
親は巧みに子の自立 自律の機会を奪い 親に依存するように仕向け
子は親に依存されることに ささやかな喜びを見出すように仕向けられるのです
大人になった今 子は自由に思考できます 自由に感情を発露できます
親から離れ 自分の人生を生きる自由があります 自立 自律できるのです
子の自由を奪っていたのは親でした これが機能不全家族の正体
親は子の手を離そうとはしません
子の側からその手を放すしかありません
子は あの時にして欲しくてしてもらえなかったこと 言って欲しくて言ってもらえなかったことが終わっていないので 親を手放すことがとても難しいのですが
親への思いを諦める 親への強い愛着を手放すことが 一番の近道なのかもしれません
この葛藤を経て 子は自立と自律を手に入れるのでしょう
私の体験でも この過程が一番辛く 時間がかかりました
親への恨み 憎しみ その裏にある強い愛着 その全てを一つひとつ振り返り 終わったこととして受け入れ 心の中の引き出しにしまう その扉を閉めて鍵をかける もう二度と開けないと決める
そんな作業を何度も何度も繰り返して 自分の中を片付ける
あの頃言えなかったことを言葉にして自分の外に出してみる あの頃言って欲しかったことを言葉にして 今の自分に言ってみる
こんな自分の思いを手放して親を赦し 和解する
とても時間のかかる 何度も逡巡する体験でした
思考停止をやめる 今までの癖をやめる
思考を動かす 今ここの自分を感じて 自分が思うこと考えることを まず自分が実感する
こんな普通のことを手に入れるのにも 時間がかかります
でも それを手に入れた時の幸せを 愛おしく感じるのです