土地と家を処分して新しい場所に引っ越し、ブログで知り合ったカウンセラーと、メールカウンセリングが始まります。
ここで初めて、私は機能不全家族に生まれ育ったACであること、ACと共依存がセットであること、パーソナリティー障害が症状として表れることを知ります。
自分の認知(物の見かた、受け止め方)の歪み、自由な感情を抑え込んで生きて来たこと、言語コミニュケーションができない、非言語コミニュケーションで生きていること、親への恨み憎しみの感情が終わっていないこと、それは同じ大きさで親に愛されたい親を愛したい欲求があったこと、などなど←過去記事をご参照ください。
ACとは実に厄介な荷物を背負っていると、親からいらないものばかりもらったものだと思います。
親からもらったものを全部捨てて、親をきちんと恨み、その感情を終わらせることが必須だと知ります。
機能不全家族のメンバーは、仲良く暮らす、仲良くすることがありません。私は父母の仲睦まじい姿を一度も見たことがありません。だから男女が仲良くするとは実際どうするのかが分からない。模倣から学ぶ体験がないのです。
結婚しても言語コミニュケーションなしのセックスはするのですが、言語ありで仲良くはなれない。感情の交流ができない。
互いにACなのでスキンシップに嫌悪する。触り触られることに慣れてないのです。幼児期のスキンシップ、肌の触れ合い、ハグ、キスの体験がない。幸せな体験がない。殴られるなど暴力はある。
また元妻は「人前でベタべタするのは嫌い、手を繋ぐのも嫌い」でもセックスはするのです。性欲を満たすための愛のないセックス。
幼児期からの愛情体験がない。セックスの知識も得られない、教えてもらえない。それどころかセックスは恥ずかしいもの穢らわしいものと遠ざける。この環境で育ったのです。
結果、他者を好きになっても、相手を束縛、支配、操作しようとする。結婚したら自分の所有物と考える、自分の気分感情は相手も分かっていると考える、言語コミュニケーションをますます不要と考える、など思い違いは果てしなくなります。
束縛する愛、解放する愛。この違いは「タフラブという快刀」信田さよ子 著 をご参照ください。
相手をを気に入らないと無言になる、非言語コミュニケーションを繰り出し、最終的に破綻します。
多くの機能不全家族ではここに暴力が登場し、とても危険な事態になります。
健全なセックス観が得られなかった男女の末路です。