小さな命

このひと月 仔猫を保護して育てていました

先輩の別荘で生まれ 元気に育っていたのが 雨に濡れ弱っていると
別荘から自宅に連れ帰り 獣医に連れて行くと連絡

その日は蛍を見に行く約束でした
先輩の地元 観光地ではなく普通の山筋の沢
地元の人からは この場所を教えないように言われているようです

車で1時間ほど走り暗くなる頃 光が一筋もう一筋
明滅の周期に合わせて 光は増えていきます

地元の人に誘われ 畦道を歩いて上流へ入ると 群生地

田んぼと山の斜面に挟まれた沢筋に おびただしい蛍 幻想的

100匹程度の群れなら見たことはありますが はるかにしのぐ数千匹の群れ

これでも今日は少ないと地元の人は言いますが 見事な光景

水がきれいなのでカエルの声も響きます

堪能して帰路に

先輩の自宅

離乳するかしないかの小さな三毛

母猫の母乳の出が悪かったようで 普通よりふた回りほど小さい

風邪をひいて鼻水と目やにがひどい 目が開かず鼻も詰まっている

獣医でもらった点眼点鼻液 買っておいてくれたミルクなどを受け取って帰ります

哺乳開始

シリンジ(注射器の筒)でミルクを強制給餌 弱って飲めないのでこれを2時間おきに

体が冷えると命取り使い捨てカイロをタオルに包んで敷いてやります

とりあえずビワの段ボール箱に もう捨て猫そのものです

この頃 体重300gほど

この状態が2、3日

目が開いて哺乳瓶の乳首を噛んでボロボロに ちょっと安心

子猫用のペーストにヨーグルトで溶いたミルクを混ぜ与えます

舐めて食べるようになりました

ホタルを見に行った日にうちに来たので 名前はほたると命名

顔の汚れも綺麗になり もう大丈夫かと思いましたが

見ていると呼吸が早く浅い まだ風邪が治っていないのか呼吸器に問題があるのか

近所の新しい獣医に

若い女医 レントゲンを撮らせて欲しいと

それは飼い主のニーズじゃないよと私は無言

ではお薬を と抗生剤に起動粘液溶解剤を処方してくれました

この処方が良かった 1週間で寛解

今は特に心配もなく元気に ようやく子猫らしいやんちゃさを発揮しています

小さな命を預かる 引き受ける 新しい家族として迎える

とても大変なことでしたが ブリーダーの頃の経験を生かすことができました

命の大切さを改めて感じました

先住の猫を見送って ペットロスに沈んでいた私でしたが あっという間に立ち直りました

死んでいく命は静かに見守る

生まれてきた命はしっかりと生かしてやる

これはきっと私が

親にして欲しくてしてもらえなかったこと を

代わりに自分がしているのだと思います

そのことで自分が癒されているのです

そう思うとますます この小さな命が愛おしくなります

自我の感覚を取り戻す 禁止令を解除する

買い物 薬物 ギャンブル セックス…

依存の相手は様々です

依存に苦しみ悩む人は多いのです

理由は「寂しくて」簡単な言葉で言えばこうでしょうか

寂しさを紛らわすための依存

寂しさがなくなれば依存はなくなるのでしょうか そんなに簡単ではない

例えば恋愛依存 好きな人が現れる しばらくは充実した幸せな時間が流れるのですが 何かをきっかけに(それは何でもいい)壊れてしまう 残った虚しさを埋めたい そして次の相手を この繰り返しです

ここにはもっと深いところに理由がありそうです

自我の感覚の欠如

自我の感覚とは

・私はこの世界でたった一人の 他の誰でもない かけがえのない存在だ

・私という存在は私だけのもの たとえ親でも私の人生を奪うことはできない

・私は私を大切にする だから同じようにあなたも大切にできる

・私とあなたはそれぞれ別の人間 別の人格 仲良くなることも愛し合うこともできるが 決して一つにはなれないし なってはいけない

・私は他人の中に無遠慮に入り込まない 他人とは適切な距離をとる

などなどの感覚です

どれもACには教えられてこなかった感覚です

あなたのものは私(親)のもの 私のものは私のもの と育てられたきました 時間も心も奪い取られて大人になりました 一人で自分の足でこの世界に立つことの幸せを奪われました 誰か(これも親)を頼らなければ生きていけない心にされました

自我の感覚を取り戻す

これもなかなか大変なことですが どうしたらできるでしょうか

何かを始めること それも自分のために自分でやることで自分が幸せになれることを始めてみましょう

自分のために を最優先

大切なのは「自分の人生の時間は自分で決めて自分の自由に使える」ことを実際に体験 体感すること

だからこそたった一度の人生の時間を無駄にせずに自分のために使おうと思えるようになるまで続けること

これなら周りに迷惑をかけることもないので(親は少し迷惑かもしれませんが それは構わない)思う存分やりましょう

ひたむきに何かをやるのも 何もやらないと決めるのも(これもとても大切)すべて自由です

奪われていた時間は戻っては来ませんが 少なくともこれからの時間を取り戻しましょう

それでも現れてくる もう一つ厄介なのが罪悪感

楽しかったり幸せだったりするとそれをいけないことのように抑え込もうとする感覚です

その根っこは幼児期の禁止令

「自分のために生きてはいけない」

「自分の人生を楽しんではいけない」

など いくつもの禁止令を無意識のうちに私たちは自分に向けて発しています

ちなみに私の場合は加えて「大人になってはいけない」「男になってはいけない」がありました

これは幼児期に「そうしなければ自分の命を守れなかった」から 本能的に自分を守るために発したもの 潜在意識の奥に残っている生きづらさの元

大人になった今ではもう必要ありません これを解除しましょう

自分に向けて禁止するものは もう何もありません 何をしてもいいのです

もちろんそれで何か起きた時にも すべて自分で引き受ける

大人の対応ができるようになることは あなたにとって好ましいことでしょうか?

大人になることに少なからず嫌悪感を抱いていたのは 払拭できましたか?

子供のままでいたい自分をまだ感じますか? この方が居心地がいいでしょうか?

このせめぎ合い たっぷり感じましょう

たっぷり時間をかけて 自分を決めましょう

一つづつ決めていく 楽しいことですよ

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頑張れないことも 頑張りすぎてしまうのも 

このブログへのアクセスを眺めていました

アダルトチルドレン 頑張る というキーワード検索があったので行ってみると

以前私が書いた 僕には頑張るエンジンが載ってない の記事とともに他のたくさんのサイトが出てきます

そこにあったのは 頑張れないという私の記事よりも

圧倒的に「周りの期待に応えようと頑張ってしまう」ACの姿がありました

周りの それは多くは親の期待 期待というより強制的な力 に必死に応えようとする Noが言えない 自分の気持ちを言葉で伝えることさえ我慢してしまう 押さえ込んでしまう子の姿です

私の片手落ちでした

頑張れないのも 頑張ってしまうのもACの同じ嗜癖 根っこは同じで現れ方が違うのです 人によってその現れ方が違う 一人ひとり違うのです

そうまでして親の願いというより無言の命令に従うのは何故なのでしょう

幼児期のトラウマです

子は親に縋りつかなければ生きてはいけません 食べさせてもらわなければ死んでしまいます 本能的に自分を守ります 生きていくための本能ですから 食べさせてもらうためには自分を抑えます

機能不全家族の親は愛情深い親ではありません 自分自身も愛情をもらって育っていませんから子への愛情もありません 愛することがどんなことなのかが そもそも分かりません

誰のおかげで食わせてもらってるんだ?!

育ててもらってるだけありがたいと思え!

この言葉は私にも記憶があります 今でも生々しく思い出すことができます

親自身が受けた言葉を 親自身も一番傷ついたであろうひどい言葉を そのまま子に投げつけます

子の悲しみは想像を絶します 深い傷となって心の底に残ります

このトラウマがいつまでも自分の人生を苦しめるのです

頑張り過ぎた女性を思い出しました

カウンセリングのサークルで自己開示のワーク 自分の身の上話のようなものを話していた女性 今まで夫のため子供のため親のため舅や姑のために ずっと働いてきた

気がつくと「私」がいない と大粒の涙をぽろりと流すのです

頑張れないことも 頑張り過ぎてしまうのも どちらも不幸

どうすればいいのでしょうか

親の支配や干渉から離れると決めること

自分の人生の時間は親にも渡さないと決めること

過去のトラウマに振り回されないと決めること 幼児期の記憶はとても鮮烈で それはまるで昨日のことのように蘇ります その恐怖に支配されないこと 振り回されないこと これはとても難しいです 終わったこととして風景画のように眺められるようになればいいです 確かに自分の身の上に起こったことですが 大人になったあなたが それに飲み込まれないこと あぁそういえばそんなことがあったねと 心の引き出しにしまって鍵をかけるのです

自立 自律していくとは 多分その積み重ねなのだと思います

幸せになるとは 多分その積み重ねなのだと思います

頑張れない人も頑張り過ぎてしまう人も ここは試してみてください

 

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ACをやめる勇気

ACをやめる勇気

きっかけと そしてタイミングはどこにあるのでしょうか

本当に長い時間 生まれて物心がついた時から 家族のメンバーからの有言無言の暴力とバイオレンス ネグレクトに逢い

それでも果敢に生き残ったサバイバー それがAC

そして今まで生きてくるために身につけた ものの受け止め方 感じ方の癖

長い間に身につけたその癖は 時として生きづらさを産みました

コミュニケーション能力 特に言語のコミュニケーションが低い

人と関わる時 他者とコミュニケーションをとる時に平常心ではいられない 身構えてしまう 本心が表せない リラックスして相手と向き合えない

非言語のコミュニケーションが得意

嫉妬 恨み 憎しみなどネガティブな思考が多い

物事を悲観的に考えてしまう癖

変わりたいと思いながら変われない自分への焦り 自己嫌悪

自分の中の危機感

このままでは自分の人生がダメになるかもしれない

このままでは親に支配されたままで自分の人生が終わってしまう

自分の人生を生きられないまま終わってしまう

覚醒して 自分の人生を諦めないでいる限り 答えは出てくると思います

自分と向き合うことが苦しくなったら その場から離れることも必要

ネガティヴな思考に囚われてしまったら 見直すことも必要

気分を変えること 自分以外の人の対処法を眺めるのも大切です

人の意見を聞く 参考にしてみる 試しにやってみることも

自分の内側のことなので いつの間にか堂々巡りしてしまい 解決の糸口がつかめなくなることもあるでしょう

でも焦りは禁物 そんな時ほどゆっくり 周りの景色を眺めながら

変わりたい自分を より具体的にするといいかもしれません

例えば「自分の気持ちをきちんと言葉にしたいんだ」ならば

自分の感情と真摯に向き合うことが大切になってきます これが最初の課題

そして自分の中から湧き上がる感情を 丁寧に言葉にする

ゆっくりでいいから焦らずに ぴったりくる言葉を選ぶ

そのためには語彙を豊富にする必要が出てくる これが一つの方法

他者とのコミュニケーションの基本のき

ここから連続する言葉のやり取りができるようになります

コミュニケーションは相互通行 自分からだけの または相手からだけの一方通行ではありません 話す力とともに聴く力も必要になってきます

自分が変わるためには 親ではなく他から学び直すことがたくさんあります

それほど親は 子の自立に必要なものをくれてはいなかったということになります

余計なものばかり たくさんもらっていたことになります

親の言いなりになる 親への依存 親の支配とコントロールを受け入れる

まずこれを手放しましょう

 

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ペットロスの怖さ

愛猫が死んでひと月が過ぎました

犬のブリーダーとして交配の介助をし 出産の介助をし 死産や難産 胎盤剥離や逆子 仮死状態の蘇生 帝王切開で母子ともに死亡 などの経験をしてきました
その生死に立ち会い 喜びも涙もありました

捨て猫の保護もしました
田舎暮らしで巡り逢う悲しい風景 飼い猫の避妊・去勢をせず 自然交配を放置する やがて生まれた仔猫を まるで捕まえたネズミと同じように捨てるのです
箱に入れて川へ流す 林道に捨ててカラスの餌になる そんなことが普通に行われているのでした
今まで飼った犬猫たち そしてその生死に何度も立ち会いました
今回ばかりは質が違いました

離婚してからの12年余りを一緒に過ごした家族です
ずっと私を見ていてくれた

自身のカウンセリング終結から
コミュニケーション能力を得るまで
愛することがどういうことかを知って今まで
幸せ感を得られるようになって今まで

人との向き合い方 関わり方が変わったのと同じように
動物にも変わりました
気持ちを言葉で話しかけ 相手の感情を受け止める
それは人でも動物でも変わりません
そんな家族を亡くすのですから ペットロスの重さは深刻です
ペットの死に立ち会った人なら誰でもが体験することでしょう
大きな悲しみ 無力感 孤独感 抑うつ状態
外から帰ってきてドアを開ければ 目の前を残像が横切ります
そして引きこもり状態

これ以上長く続くと深刻な状態になると 自分でも危ないと感じました
でもどうしようもない 忘れることなどできませんし 他のことで気分を紛らしても すぐに元に戻ります 悲しみを抑え込んでも 必ず増幅して自分を襲います

終わったこと 実際にあったこととして そのままを受け止める 受け入れるしかないと気づきました
思い出しては涙して が当分の間続くでしょう それも受け入れる 自分の中から出てくる感情には逆らわない 逆らってはいけないと思ったのです むしろその悲しみをしっかりと受け止める受け入れる

一つだけ気をつけたのは かつての得意技を封印したのです
悲しみの感情を増幅させないようにしたこと
愛猫の死が悲しいといって 他のすべてまで巻き込んでしまわなかったことです
それはそれ これはこれ と分けて考える 感じる

みなさんのこれからにもしもこんなことがあったら ペットロスだけでなく 愛する何かを失うようなことがあれば 思い出して参考にしてください

 

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愛猫の死

愛猫が死んだ
12歳ほどだった
例にもれず腎臓病
長患いするかと思ったら あっという間だった
何週間か前には布団に入って来て一緒に寝ていた

朝 まだ暗いうち 目が覚めて様子を見た コタツの中にいた
彼はトイレから帰って来て力なく倒れ込んだ しばらく苦しそうに息をして やがて静かになった 私は彼の体をさすり 手を握り 私の命をあげるから生きてと言った

今は引っ越した時と同じケージの中で お気に入りの椅子の上で眠っている

 

田舎暮らしをしていた頃に 息子がリサイクルショップで 猫をもらい受けて来た
すぐに子どもを産んだ 8匹の中に 彼はいた

離婚が決まって 全てを処分し 家の片付け 引越しの荷物を運ぶ最終日
ベランダに出していたケージの中で 彼は寝ていた
他の犬猫はもう引き払って 彼だけが残って のんびりお昼寝だった
私たちは一緒に引越した
グレーで 尻尾が長く真っ直ぐだった
灰かぶりだからAshアッシュと名付けた

山の中の大きな倉庫を借りた 改造して 犬たちの場所と人間のスペースを作った
彼は犬たちの運動場に入っては 犬まみれになって鬼ごっこをした

彼は10日ほど家に帰って来なかった
あちこち山の中を探して 諦めていた
雨の日に帰って来た すぐに自分のベッドに潜り込んで眠ってしまった
左手の3、4指がなくなって 自分で舐めて治していたのだった

田舎暮らしは楽しく続いた

この頃から私は ブログで知り合ったカウンセラーにメールでカウンセリングを受けるようになる
自分がACアダルトチルドレンであること パーソナリティ障害 GIDであることに気づいた
機能不全家族 共依存 こんなキーワードが私に響いた

ある日 母親から手紙が来た 普段は手紙のやり取りさえしない親子だ
自分ももう歳だから一緒に暮らして欲しい と
倉庫の貸主に 立ち退きを迫られていたのを知っていたはずはないのだが
私たちは引越し先のあてがなかった 同居を承諾することにした

同居しなくても 近くに引っ越すだけでいいじゃない とアドバイスしてくれる人もいた
それが正しい選択だと 後で分かった
この同居を仕組んだのが 母親と強い共依存の姉だったことも 後で分かった

古い団地の3k 間取りは悪い その4畳半に暮らすことになった
下半身麻痺のダックス・ドナ そして愛猫
母親は猫が嫌いなくせに猫なで声で猫の機嫌をとっていた
自分の部屋に入るのを嫌い 私はワイヤメッシュで壁を作った

同居のストレスか 私は引きこもった
やがて犬が死に 母親が入院 施設入所 そして死んだ
1年以上続いたカウンセリングは終結し やっと私は普通の暮らしができるようになった

私たちは幸せに暮らした 楽しかった
家に帰れば迎えてくれるのが当たり前だった いつも側にいた
気が向くと私の膝の上にいた トイレに入ると膝の上に お風呂に入ると覗きに来た
ベッドで寝ているとジャンプして私の上に乗った
胸の上にお尻を向けて座り 尻尾で私の顔を撫でた

彼は暮らしのほとんどを この古い団地で過ごした
10年 長いようであっという間だった
夏は玄関の涼しい場所で 押入れの中で お風呂場で涼んだ
冬はベランダで日向ぼっこをした コタツの布団を手で指して めくれと催促した
ベッドに入りたくなると 寝ている私の顔を触った
ブラッシングが大好きで ブラシを握ると寝っ転がった コロコロの服クリーナーも大好きだった
名前を呼んで手を叩くと 小走りで私のところへ来た

今まで暮らした犬猫たち 病気になれば獣医にかかり そこで死んだ
あるいはどこでどうなったのかも分からないまま いなくなった

彼は最後まで家で過ごした 看取ることができたのが せめてもの救いだった

たくさんの幸せをありがとう
また向こうで会おうね

 

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周りの力に動かされないで

私は今 電源OFFの状態です

今まで長い間ずっと働いてきて 少し疲れました いいえ かなり疲れたようです
いろんな仕事をしてきましたが 今は何もしたくない気分です
体力が落ちてきたのが 最大の要因かもしれません それ以上に気力の衰え
ライフワークとして続けてきたPA(音響)の仕事と 合間に始めた便利屋の仕事
この二つで充分 それ以外のアルバイトは もう無理 と体と心が言っています
この感覚が分かるようになって 私はとても救われています
それまではこの感覚が自覚できずに 言いようのない不安と恐怖に苛まれていたのです
ACは この感覚に気づくのがとても苦手 下手です
罪悪感のようなものを無意識に持ってしまうのです
何事も真面目に 一生懸命やらなければ 誰かに怒られて嫌われてしまう と思い込んでいるようです
親が子の人生に ことごとく介入してきたのです
子が自分の人生を自分で決められないように支配し育て その代わりを親がするのです
自分の人生の時間です
自分の人生の時間は 自分で自由に決めて 自分の自由に使っていいのです
このことは今までに何度か書いてきました
今また書いているのは 本当に理解して実践して欲しいと思うからです
何かをしなきゃいけないけどできない
ではなく 本当の自分の感情は 何もしたくない だからやらない
何もしないのはいけないこと 悪いこと ではなく
自分で決めたことだから自分が引き受ける 悪いことでも何でもない
何もできない時に 気持ちだけ焦って「何かをしなくちゃ」と脅迫的になるのではなく
本当の感情に気づく 「何かしなきゃ」は誰かに仕向けられてること 本当はしたくない
その感情に気づいたら 何もしなくていいのです そんな時間が必要なのですから
引きこもりの支援をしていた頃 「居場所事業」と「自立支援事業」を分けていました
人には引きこもっていたい時期 引きこもることが必要な時期があります
その時期にいくら自立しましょうと言っても動かないのです 抵抗します
その時間を過ごして ようやく自立に向かうことができるのです
自分の内側からその気持ちが湧き上がってこなければ 動きません
人は外からの力では変わりません その人自身の内側の力で 初めて変わります
何もしない時間は これから何かをするために必要な時間です
これも自分の大切な人生の時間の使い方です
周りの力に動かされないで
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僕には頑張るエンジンが載ってない

この言葉 児童養護施設出身の学生が言った言葉だと
ラジオにも出演している社会活動家・法政大学教授湯浅 誠さん(反貧困ネットワーク、年越し派遣村 村長など)が紹介していました

それを聞いて 私にも思い当たる節があったのです
頑張る 自分の人生を自分の力で生きていくエンジン
周りにはバリバリ頑張れる人がいるのです
笑顔でテキパキ 愚痴も言わず ストレスを実に上手く解消しながら 巧く周りと関わりながら
何が違うんだろう

ACは自分に集中して そのものができなかったのではないか
家族のメンバーの不安定な関係 恐怖 自分に向けられるコントロール 支配
親の機嫌を取ったり 避難したり あるいは依存し 依存され 振り回されて来たのですから
自分の人生を考え なりたい自分に向かって力を集中させることができなかった

頑張るエンジン といっても 誰にもどうしても必要な装備ではないとは思いますが
ここぞというときの踏ん張り パワーの集中ができればいいのです

普段は通常走行できるぐらいの 軽自動車程度でもいいから あればいいと思います

前回もクルマのパーツに例えましたが
自分の身体や心をクルマの運転に例えると分かりやすいようです

車体は自分の身体 ドライバーはあなたの自我 ハンドルやアクセル ブレーキを操作する手足があなたの意志 感情 欲求 などと例えればイメージしやすいかもしれません

目的地を探し ナビでルート検索をして どこに向かいましょうか
漠然とではなく具体的に どのルートを通るか 渋滞や事故に巻き込まれたらどうするか
迂回路はあるのか どのくらいの時間がかかるのか

人生のドライブを楽しみましょう

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愛を乞うひと

原作も映画も観ていないのです

著者が下田治美さんと知って名前だけは聞き覚えがありました

機能不全家族に潜む危うさと狂気

物語やシチュエーションには 人それぞれ違いがあります

でもそれに巻き込まれる子の感情には大いに共感でき

いいえ共感どころか当時の苦い思い出が蘇っていました

子は何も悪くない ただただ親のスイッチが入っただけで 理不尽な目に合うのです

それに耐えなければ 自分の命に関わるのです

耐えたとしてもそこには暴力が待っているのですが

恐らくこんな辛い思いをして それでもなお健気にサバイバルをしている子はたくさんいるはず まさにサバイバーです 命をかけて生き延びているのです

「愛すればいいって どうやって愛すればいいのか分からない」

この台詞に象徴される親の苦悩ですが

それは彼女の親から受け継いだもの そして次の世代へ

家族内連鎖 不幸の輪廻が続きます

この連鎖 自分の代で最後にしたいものです

 

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アクセルとブレーキを踏み間違える

高齢者の事故が増えているようですが

今日のお話は感情のアクセルとブレーキ

会話をしていて相手の言葉に引っかかる

そこで必要なのは 相手の真意を確かめる 自分の真意を伝える

誤解があれば解く 言い間違えがあれば訂正する

できるだけ穏やかに 冷静に 笑顔でゆっくり言葉を選ぶ

なのですが

ちょっとしたきっかけでそれが大きく暴走してしまったことがありませんか

まさにアクセルとブレーキを踏み間違えてしまった

感情的にならずに ブレーキを踏んで周りを相手をよく見て話せばいいのに

感情の歯止めが効かなくなる 激昂してしまう

もう言葉で自分の気持ちを伝えるどころではなくなる 言葉を失う

自分の感情の渦に巻き込まれて溺れてしまうのです

そして相手とのコミュニケーションを遮断してしまう

ごめんなさい が言えないために 関係の修復ができないままになる

相手への怒りの感情 自分への嫌悪感が終わらないまま時間が過ぎる

その感情は自分の内側に澱(おり)のように溜まっていく

あ…またやっちゃった にならないために

感情が昂ぶってきたら まず深呼吸 大きく鼻から吸ってゆっくり口から吐く

リラックス 肩を上下して力を抜く そして集中

相手の言葉を聴く 相手の感情を聴く 相手との距離をもう少し取る 少しだけ離れる

できれば笑顔で 相手に自分の気分 感情を伝える

相手に非があれば伝える 自分の非は謝罪する ごめんなさい をきちんと

関係を修復する

今年から こんな風に自分を変えていけたら素敵ですね

 

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